西欧の侵略がなかったら清は自力で近代化して現代に適応できたのだろうか?
アヘン戦争から始まる
西欧諸国の武力侵略と
反植民地化
それがなかったら清は近代化することはできたのだろうか
71: 2019/11/27(水) 01:09:39.07 0
西欧の侵略があってもなくても近代化はできなかった
製紙や黒色火薬、活版、羅針盤を使いこなせたからだけど
それらは全て、古代支那の発明
何千年も、全く自分で積極的に運用せず
技術革新にも無関心で
外部の刺激もなくて突然近代化なんて
想像に苦しむ
日本の幕藩体制脱却もいつになったかわからんな。
>>6
あれは世界史の奇跡
マックス・ウェーバーによると宗教パワー
西欧化と同義だけどそれ以外に?
それだと、西欧は最初から100%近代化されてることにならないか?
近代化の定義を考えると
「サウジアラビアは近代国家なのか?」
という問いが、補助線になるな。
近代化の定義がこの議論の本題かな。
それさえ決まれば結論はすぐ出る。
これがあいまいだと延々と堂々巡りの議論が続く。
中世の西欧は、都市は商人ギルド、地方は農奴制で固まり、停滞していた
近代に入って社会が流動化し、急速な拡大再生産が始まった
近代に入って社会が流動化→してない農民が市民身分になれなくなったりギルドで親方試験を受けれる実際は階層がより一層固定化されていった
急速な拡大再生産が始まった→「産業革命」時代のイングランの成長率は年間1%か酷い場合はマイナス成長で19世紀初頭まで数百年の停滞していた
最近では実態に即していないということで「産業革命」という言葉自体が使われなくなってきている
>>18
まあ、そういう面はあるだろうな
機械化で生産コストが猛烈に下がっていくのだから、
「三行革命」という言葉もありましたなw
ということに教科書ではなっているけど実際は囲い込み運動で農村人口は反って増えてるんだよな
そもそも18世紀通してイングランドの賃金労働者人口は全体の1割とか2割程度で案外と少ない
アメリカに移住してた連中も多かったのを考えると、増え方は早い。
人口が増えると、労働者が余るのでデフレ要因となる。
だいたい、なんで15世紀後半の長江下流地域で産業革命が起きなかったのかが、経済史でよく議論になるくらいだ
明の時代の江南の経済には、それほどの勢いがあった
せっかく機関車導入しても農民が悪魔の乗り物として川に放棄するくらいだし
近代化しなかったのは
>>27
歴史上、コントロールできた試しのないモンゴルやウイグルを、最終的に屈服させられたのは西洋伝来の鉄砲の威力
いくら清でも、西洋の技術はやはり欲しかった
西欧が近代化できた最大の要因は科学革命
つまり古代中世的な観念論的な思想哲学から抜け出して
実証主義的に真理を積み上げることができるようになったからでしょう
ヨーロッパでも宗教改革のころまでは聖書を基準に万物の真理を確かめていたが
啓蒙主義の時になってそれまでに得られた諸科学の分野の知見と聖書の記述との間で整合をつけることができなくなり
人類史は6千年で終わるとする普遍史が捨てられ
無限大に伸びる過去から未来へと続く近代的歴史学が誕生した
ここで西洋の優越が決定づけられたのであろう
一方の清朝では宋学への批判がなされたのはいいのだが
結局そこから漢唐の訓詁学へ戻れという一種の宗教改革の方へいってしまい科学革命は起きなかった
西洋の場合と違いそれまでに特に科学的な発見が蓄積するということもなかったので
古代中世的な観念論から抜け出す要因がなかったからだろう
「観念論」っていったら、哲学では通常、19世紀の近代ドイツ哲学を指す用語だけどな
もっと普通名詞的に
自然科学と関わらずに作った観念的な思想って意味で
使ってみたわ
キリスト教はあれはあれで、根拠を求める実証精神が内包されていて、実は後々科学に繋がる精神があったりする。
だからこそ、神はタヒんだとかと言われちゃうわけだ。
仏教徒や神道信者は馬○だな、曖昧にしておけば有り難がられてそんな存在を否定されないだろうにと言うが、
まあキリスト教的物が科学を産み出したとも言える。
キリスト教が科学を生んだというか、
ユダヤ教がギリシャローマの理性主義や民主主義の影響をうけてキリスト教になった。
権力への絶対服従を否定し、理性や実証を重視するのがギリシャローマの特徴だが
それは権力が集中しにくい地中海という風土の影響が大きく、言い換えれば地中海世界を
超えて理性や実証を重視する精神を広げることはできなかった。
絶対的存在への服従を求める砂漠の文化と、説得・検証・合意を重視する地中海文化の
融合という面がキリスト教にはあって、それが地理や政治の制約を超えた普遍的真理を
検証によって追求しようとする近代科学を生み出す土台になったのだろう。
測った値を真実とするのが科学理論、理論上の値を真実とするのが観念論。
もっとも、数学の応用として物理をやる理論物理学者には、実験軽視の傾向がしばしば見られる。
大陸哲学の祖・デカルトが、よくその傾向を指摘される。
それに対して、実験を重視するのは英米の特徴。
西欧は急加速してたけど日本はというとそうでもない
例えば1879年の統計だと日本の鉄生産量は1万4千トンだがこれは同時代の清帝国の江西省の年間鉄生産量が15万トンと
比べるとかなり低い
日露戦争もそうだけど国力差を考えると日清戦争も西太后が盛大に軍艦建造費を10分の1になるまで使い込んでくれたおかげもあるけど
ほぼ奇跡的な勝利なんだよな
>>51
日露戦争は
数字だけ見たらまず勝てない戦争
のちの対米戦と同じくらいの無謀な戦争と言われてしかるべき戦争だった
ロシア側の官僚主義や硬直した行政
イギリスの同盟が本当に助かっていた。
だが勝った戦争というのはなかなか敵失や自分以外の力、味方の援護は
目に入らない。自分の力(だけで)勝ったと思い込んでしまい
分析が曇ってしまう。
中国は基本的に暑い南の国であり、欧州でいえばイタリアとかスペインあたりに相当する
>>43
緯度と気候は完全にイコールではない。緯度10度くらいの範囲では、緯度よりも
気団の方が気温に大きく影響する
上海の各月の平均気温は、東京とあまり変わらない
沖縄とはだいぶ違う
上海も東京も冬場三か月は平均気温が10度程度だが、沖縄は20度くらいある
沖縄と近いのは香港
上海ならそうだろうな
夏の南京が異常に暑いのは内陸だからか
>>46
南京は、夏は暑くて冬は寒い。感覚的には京都や山梨など日本の盆地に近い
南京の冬は寒いくせにセントラルヒーティングがないので余計寒く感じる
>>48
夏の北京は暑いよ。湿気が少ないので日陰に入れば大丈夫だが。逆に冬はそれほどつらくない。
セントラルヒーティングが入っているし、乾燥しているから、空気が冷たく感じても、
寒くは感じない。雪も少ないので移動もしやすい。
つうか明の鄭和出航の時代までは
西欧よりも明のほうが上だったろう
なぜ中華はその後西欧に追い越されたのか
明は雑魚すぎたからモンゴルよりも下だった
明を衰亡に向かわせ世界史の流れを変えた超大物ニート ばんれきてい の業績。
モンゴルはヨーロッパを圧倒してたのに明朝が足を引っ張った
その結果、ユーラシア東部が劣勢となり時代遅れとなった
新航路の開拓にも通商の役にも立っておらず、ただの消費でしかなかった。
いくら理論を積み重ねても、元が妄想や空論だから意味がない。
ポストモダニズムも理系用語を使っていかに中二っぽいポエム作れるかみたいなジャンルになってるし
哲学は何ら文明レベルに寄与しないのだからそんなもんより農学とか土木とか建築学のほうがよっぽど重要
進歩というのは変化であり淘汰と裏表の関係だから、誰もが進歩を歓迎するわけではない。
既得権益をもっている者は、つまり権力財力を持っている階層は、
納得できる理由がないとまず変化には反対する。
没落もいいとこなんだが
中国人が苦しんでたとしてもなんとも思わない
中華がチベット仏教と騎馬民族の守護者を辞めたから独立しただけで
中華民国になってモンゴルのハーンもやめたし。
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