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【三国志】無双ではなく正史における呂布の強さを真面目に考察する

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1: 2007/03/31(土) 20:18:43 ID:Dhk9Fchy0

・正史三国志で数少ない一騎討ち経験者。
・時の権力者董卓のボディーガードを努めていた。
・抜群の弓術と馬術と腕力を持っていたため飛将と呼ばれた。
・蒼天の下に立てらられた戟をただ一矢で射ぬく
・武芸に優れていた丁原、董卓を自らの手で○す。
・黒山賊の数万の精鋭に対し数十騎で連戦戦勝、「人中の呂布、馬中の赤兎」と評される。
・袁術軍筆頭将軍の紀霊が大軍を率いて劉備を攻めた時、少数で出陣してきた呂布の勇名を恐れ、攻撃をしなかった
・兗州を乗っ取った時、引き返してきた曹操軍を一度は叩きのめしている。
・徐州を迅速な速さで乗っ取る。
・捕縛された時、曹操は呂布の強さに魅力を感じ、配下しようとした。
・陳寿は「呂布は吠えたける虎のごとき勇猛さをもつ」と評している。

やっぱりかなり強い武類の武将だったのだろうか?
中国史全体ではどのくらいのレベルに入るのか?

5: 2007/04/01(日) 02:06:38 ID:GsT3TqRY0
北方謙三著の三国志の呂布は、>>1のイメージに結構近い。

 

24: 2007/05/22(火) 22:31:16 ID:dIs7Snfd0
三国志スレ立ちすぎだな
驍将スレとか適当に名前付けて冉閔とか楊玄感みたいな部将を語るスレにすりゃよかったのにさ
>>1みたいな馬○がこの板の三国志規制に拍車をかけるんだ。

 

28: 2007/07/08(日) 09:15:13 ID:UQszo6kq0
>>1
確かに強いとは思うが実際負けの方が圧倒的に多い。
曹操とボクヨウ攻防戦を繰り広げ、飢饉によって
休戦になったすぐ後に、弱小豪族の李進と戦って
大敗北を喫してるし、その後も呂布が一万余もの
大軍を引き連れ曹操を攻撃した時も、数百の曹操軍
に大敗北を喫し、闇にまぎれて
逃走したほど、さんざんな目に会ってるわけだし。
実際、張遼や張飛などのように正規軍と戦って完勝した例
もない。一騎打ちにしたって郭しのような個人的武勇
がどれほどのものかもわからない男に勝ったところ
で自慢にもならないし、郭し自身をも討ち取ってすらいない。
それに賊に勝ったというが賊というのはそもそも指揮系統が
はっきりしている軍とは違って、思い思いに略奪など行っている
ならず者軍団と考えるほうが妥当。正規軍を数万を撃破したとは
わけが違う。それに兗州を確保し、孤立したケン城を攻略し
ようとした呂布はここでも苦戦し退却している。さらに曹操の
呂布討伐戦では緒戦から降伏しようとしてる。結局、陳宮に静止
され勇んで撃って出たが敗北を喫し城に篭ったが降伏してる。
呂布の徐州攻略にしたって劉備軍本隊が不在かつ、守備を任されていた
張飛はソウヒョウ軍と戦っており呂布軍とまともに戦える状況に
なかった。降伏時についても、曹操が呂布自身に魅力を感じた
という保障はどこにもない。呂布は曹操軍にはない騎兵軍団を
統べており、この北方の精強な軍団をまるごと曹操軍に編入したかった
と考え魅力を感じたと考えるほうが自然。

 

30: 2007/07/09(月) 09:36:34 ID:56i+ZtIB0

>>14
丁原の元にいた時は主簿
これは地場出身の豪族で士大夫階層がよく着任している官位
この事から普通の豪族だったんじゃないかと推測できる

>>28
魏の記録は戦果の数字を1/5に、被害の数字は5倍にして計算すべき
三国志内部できっちり魏の戦果報告はそんだけ水増しされてるって書いてあるから
なので1万の兵どころか2000の兵で曹操に敗れたということになる
直属の配下である高順も1000人の兵士がいると言ってたが実数はもっと低い部隊だった
正史で評価するなら正史の記述システムももう少し理解しては?

 

31: 2007/07/09(月) 17:33:29 ID:fWDpETWW0

>>28
>実際、張遼や張飛などのように正規軍と戦って完勝した例もない。

正規軍とはなんぞや?
呂布のいた当時は、各勢力の兵は全て漢の正規軍と言えなくもない。

魏・呉・蜀分離したあと、「敵はxxの正規軍」と必ず言える状態の
張遼や張飛の戦果と同列に比較して、呂布の相手は「正規軍じゃないから」
って、オマエはア○か

 

2: 2007/03/31(土) 20:37:37 ID:qKAsgrn2O
一騎討ちなんかあった?

 

3: 2007/03/31(土) 20:42:36 ID:3tfBqVXV0
郭汜とやってるじゃん

 

4: 2007/03/31(土) 20:54:21 ID:xGzfb26L0

つとりあえずwiki

呂布
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%E5%B8%83

 

6: 2007/04/01(日) 02:40:47 ID:WDvPykxA0
強いか否かでなく、何処まで強いのか?だろうな

 

7: 2007/04/01(日) 15:47:34 ID:E7h2hsxx0
演義では黒山賊との激闘がカットされてるんだよね

 

10: 2007/04/08(日) 11:56:27 ID:H1KIHxGu0
>>7
だから演義から入る人は魏越とか成廉を知らないんだよな。
下ひ篭城前に捕縛された程度しか。

 

13: 2007/04/16(月) 15:09:42 ID:0nlyQ7GH0
呂布ってやっぱり遊牧民出身?

 

14: 2007/04/19(木) 15:29:11 ID:kY0OVGR10
出身地を考えれば遊牧民か遊牧民と漢人のハーフっぽいわな。

 

15: 2007/04/27(金) 00:22:03 ID:pXhxiuoH0
素人意見で恐縮だが 呂布って攻め戦では強いけど防戦は苦手って感じ

 

16: 2007/04/27(金) 11:57:38 ID:T35um6Hm0
呂布は遊牧民族系騎兵集団の指揮官だからな。
野戦はともかく拠点タヒ守は適任じゃないだろうな。

 

17: 2007/04/30(月) 01:35:32 ID:EpoynXaE0
頭を使った作戦は不得手っぽいな
正直正史だと張飛の方が上な感じがる

 

18: 2007/05/01(火) 07:55:14 ID:7a+wYnYF0
王允はハーフかな

 

19: 2007/05/01(火) 13:06:45 ID:vhLjbg580
張飛は長坂橋の話やら万人の敵と言った武勇が突出しているが
蜀攻略戦では厳顔を捕虜とし更に魏の名将張コウを撃退し
漢中太守最有力候補と目されている。
名将と言ってもいいだろう。

 

20: 2007/05/15(火) 15:29:58 ID:gUczyskA0

>>19

厳顔が捕まって、張飛は降参しろと言っても降参しなくて
張飛は怒って打ち首(なのかな?)にしろと命じてもなお、
厳顔が別に良いと言ったので張飛はそのおいおいしい

(省略されました)

 

21: 2007/05/17(木) 00:42:56 ID:eLYdjlmHO
俺は三国最強の男というコピーに引かれ、三国最強になるためにはどうすればよいのか考えた
三国最強なのだからどんなこともできる
手始めに全裸で貂蝉の部屋にアンゲロ、アンゲロとつぶやきながら飛び込む
タンスをこじ開けブラジャーを腰に巻きパンティーを頭にかぶる
貂蝉が呆然としながら見てくるが三国最強なので気にしない
貂蝉のベッドに潜りこみ「幸せだから!幸せだから!」と絶叫、貂蝉は無言で部屋から立ち去る
だがまだ最強には不十分、次は張遼の部屋にムッシュムッシュと叫びながら飛び込む
張遼は着がえをしている最中だったが三国最強なので無視
半裸で逆立ちをしながら
「俺に充電しろ!!俺に充電しろ!!」と絶叫
張遼は大泣きで退散、確実に三国最強に近づく
開脚後転でトイレに飛び込み便座を外し首に掛ける
ゾンビの真似をしながら董卓の部屋に突撃、タンスを開けると一枚の写真発見
タヒんだ丁原が俺を抱いている写真だった
俺は泣いた

 

25: 2007/05/22(火) 22:59:39 ID:aERjObYh0
陳寿が取材したものには、すでに創作が入ってると思う。

 

27: 2007/07/08(日) 07:57:59 ID:WhgwOPvY0
>>25
陳寿にもいろいろ愛着や、配慮しなければならない対象があっただろうからな。

 

29: 2007/07/08(日) 09:54:04 ID:H3QGognp0

「山東は大臣を出し、山西は大将を出す」という。
この場合の「山」とは大行山脈のこと。
つまり涼州、并州は半異民族みたいなものなので、強兵が育ちやすいということ。
動物的な競争力に長けてる反面、人間的な社会性というのは非常に低い。
そういう連中をどうやってまとめるかというと、それはほぼ「力」。
戦利品の分配が公平とかいうのはあくまでオプションに過ぎない。
「山西出身」で「指揮官」というだけで山東系の部将よりは真正面の組合いでは一日の長がある。
それと側面、背面、兵站、その他の総合力は別。

力だけが価値観の連中の上に立つのは最強でなければならない。
だから、呂布は当然最強の強兵で猛将ということになる。

戦績から帰納的に考えると大したことの無いヤツというのは正しいが、
それだけだと何故そんなボンクラが天下をかき回したのか分からなくなるだろう。

 

32: 2007/07/11(水) 00:27:59 ID:Jp/TlktW0

孫権だったたが曹操や二袁に比する脅威として呂布の名を挙げている。
李カクとかサク融、黒山や白波らの賊では無くてな

呂布って孫呉と事を構えた事も無いよなあ それだけ有名だったって事なのかな?

 

33: 2007/07/11(水) 10:57:12 ID:/wYKH6CI0
人中の呂布、馬中の赤兎ですからなぁ

 

34: 2007/07/16(月) 00:43:35 ID:WtFmafrl0
呂布も敵わなかった李カクらなんかは
最期は割と簡単にやられて討ち取られているように見えるのだが
呂布は最後までしぶとかったな。
内通者や離反者が出なかったらまだまだ粘れただろうか

 

35: 2007/07/16(月) 08:51:02 ID:O+YxZcdR0
高順をもっと信用していれば・・

 

37: 2007/07/23(月) 12:10:32 ID:V5KQQTpBO

まぁ 馬○な猛将以上の評価はないってことか?

たしか 字が読めなかったんだよな呂布は。。つまり兵法書も読んでなかった、だからこそ兵法に詳しい陳宮との意見の相違も起きたんだな

 

38: 2007/07/23(月) 12:35:14 ID:p5QVwxI40
陳宮は頭の中身がどうこうとという以前に行いがなぁ

 

39: 2007/07/23(月) 18:46:46 ID:1txA/yVG0

陳宮が呂布に造反したのは事実なんだろうか?
物語のような忠誠心があったとは思わないが。

造反者なのに呂布は最後まで仕えさせたし、陳宮も殉じたんだよな

 

40: 2007/07/23(月) 20:23:02 ID:p5QVwxI40
造反したのかどうかが事実であるかどうかは兎も角
高順が全軍の前で陳宮を告発した事で、呂布軍と陳宮の信頼関係は失われたと思う。

 

41: 2007/07/23(月) 20:45:58 ID:p5QVwxI40

追記。あくまで推測だけど述べてみる。

カク萌の乱後、
「呂布は高順を嫌うようになり、その兵を奪って魏続の部将としたが、高順はそれを恨まなかった」とされる。
その理由について正史の注では「陳宮の事が有ったからだ」としている。
しかし、これは陳宮がカク萌と乱を起こした事に関連させると全く意味不明。
何故なら、高順はカク萌の乱の鎮圧では大活躍だったからだ。

呂布を脳筋馬○で高順の大活躍に嫉妬した小物、と取ればこういった経緯もアリかもしれないが、
自分は、呂布はそこまで馬○ではないと思いたい。

では、高順と陳宮の何を問題として、呂布は腹心である高順にそんな仕打ちをしたのか。
呂布は、陳宮と高順がかねてから不仲である事を知りながら、2人を同時に用いている。
呂布の、両者への評価が高かった事が伺える。

そして、カク萌が造反する事件が起こった。
高順は陳宮を告発したが、陳宮は押し黙って反論せず、呂布は結局陳宮を不問に処したとされる。
謀叛はタヒ罪をもって当たるのが正道。陳宮を不問に処す理由は2つしか考えられない。

1:呂布には陳宮を処罰出来なかった=呂布軍に陳宮が不可欠だったか、陳宮はパトロンだった
2:陳宮は無実だった=真実無実だったか、証拠不十分だったか

高順は、不適当な告発によって兵士に混乱を起こした罪によって兵を奪われたのではなかろうか。

 

42: 2007/07/23(月) 23:41:12 ID:mcstjeJA0
>>41
1でしょうな
陳宮は曹操の下でもかなり有力な将だったようだから、
呂布の下でも多分有力だっただろう
多分呂布の指揮する兵の多くが陳宮の私兵だったんじゃなかろうか
下手に陳宮を切ると自分が痛いわけだ

 

44: 2007/07/24(火) 02:40:16 ID:iin73k4r0
>>42
主君の窮状を理解するってのも忠だよね・・・

 

48: 2007/07/30(月) 10:39:33 ID:RBapHOJm0
>>41 そうすると、高順が空気読めない奴みたいでちょっと嫌でもあるな。

 

59: 2007/10/01(月) 20:27:13 ID:UkhA1O2F0
>>41
俺も2だと思う。
そもそも呂布と陳宮の力関係以前に、陳宮がカク萌と反乱を起こすメリットがあったのかどうか。
また、陳宮が関わった謀反劇なら、そう易々と鎮圧されるものなのか、とか。
実際、陳宮が謀反したとするなら、
陳宮やカク萌ら非并州系のグループが袁術との連携で?とかなんだろうけど、
それはそれでジリ貧のような気もするし…

 

45: 2007/07/24(火) 03:07:43 ID:PZK87VkEO
つまりさ、呂布と陳宮は単なる主従の関係じゃないんだよ
同盟者、または出資者と雇われ社長みたいな微妙な関係だったんじゃないかと

 

46: 2007/07/25(水) 01:40:06 ID:r+kYQ9l+0

>>45
確かに陳宮のほぼ100%の活躍でエン州奪ってるし
呂布にも遠慮があったと考えると面白いな

そう考えると
キングメーカー(は言いすぎとしてもそれに似た役割)としての陳宮を見るのも面白くていいな

 

49: 2007/07/30(月) 13:13:49 ID:JmL2VtJzO

当時の漢民族の人口は800万人で大阪府くらい。
呂布を日本にあてはめると
大阪府最強の男=岸和田の番長=カオルちゃん=竹内力

 

 

50: 2007/07/30(月) 15:47:57 ID:jSmNaXgw0
>>49
呂布が居た頃はまだ5000万以上いたはず
その後の動乱でだいぶ減ったと思うけど

 

52: 2007/08/30(木) 15:22:31 ID:ez6pS1w30
たしかに蒙古もどきの強さがあったんだろうけど、郝萌に反乱された
時、便所の天井から必タヒこいて脱出てのが彼もまた人の子なんだな~と
ほのぼのさせられる。

 

53: 2007/09/13(木) 20:02:14 ID:qRNgV95b0
呂布って実は清原みたいな奴だったんじゃね
自分自身は全然実力ないんだけど、なぜか有能な若手に慕われる
呂布の強さって有能な部下に支えられてただけだと思う

 

54: 2007/09/13(木) 20:48:01 ID:yIP5uuV9O
ところで呂布って、董卓軍にいた時に大軍を率いた事ってあった?
一部隊はあっても総大将だった覚えがないんだが…

 

56: 2007/10/01(月) 15:12:54 ID:lIjTFCWk0
>>54
呂布にはそんな権限が無い。
だが元丁原の軍はそのまま丸ごと率いている筈。

 

58: 2007/10/01(月) 20:18:56 ID:4pUVvyLG0
>>54
虎牢関では胡軫の副将だったしな。
自分で兵を率いたのは董卓暗○後じゃない?

 

55: 2007/09/13(木) 21:08:40 ID:99PnvmYP0
遷都した後は完全に董卓のSPだからなぁ。

 

57: 2007/10/01(月) 19:04:40 ID:CUng9iSs0
>だが元丁原の軍はそのまま丸ごと率いている筈
???
なぜ断言できるんだろ???

 

60: 2007/10/02(火) 17:58:43 ID:7KK311OJ0
>>57
ゲームと違い、当時の軍は豪族の私兵だから。
呂布に張遼や秦宜禄、李粛という丁原時代からの并州出身者が付き従っている所を見ても、
呂布が丁原の軍をまとめている事が分かる。

 

61: 2007/10/02(火) 19:12:13 ID:7QJiNwCW0
>>60
丁原の軍が全て、丁原を直接的な支配者と認識していて、
丁原の後継者を呂布と認めているという前提がつく話だな
ゲームじゃあるまいし、そんなことはありえないと思うけどね^^

 

62: 2007/10/03(水) 15:52:16 ID:YwTM89gz0

丁原は騎都尉で呂布はその主簿
主簿は上官の文章や印鑑なんかも管理してるので
上司がいなくなれば最もその権力を掌握し易い存在

董卓が呂布を抱き込んで兵目当てで丁原を○させたのもその為かと
騎都尉の兵権をそのまま掌握し、土豪なんかの私兵も同じ并州出身の呂布ならば調整できる

>>61
ゲームじゃないけど呂布は丁原の持つ兵をほとんど掌握できる状況にあった
そもそも「後継者」って発想が間違ってる
漢の兵権を借りて兵士を使ってるわけで拠り所は丁原じゃなくて「印綬」
「印綬」持ってれば官兵の掌握は難しいものじゃない

 

64: 2007/10/04(木) 00:24:45 ID:bGWirTxDO
丁原は豪族ではない。
丁原の出世コースは役人(今の日本だと巡査か?)からスタートする。
危険を顧みない勇猛さが認められ、最終的に執金吾まで出世する(つまり、呂布に○された時ね)。
状況的に官兵の可能性が高そうだ。というより私兵を雇う余裕がなさそう。

 

65: 2007/10/04(木) 00:38:26 ID:/LmsUJQa0
両方正しい可能性も有ると思うけどな。

 

66: 2007/10/04(木) 00:38:34 ID:bGWirTxDO
それから、主簿にはそんなに大層な権限はないよ。兵士だって誰が偉いか知ってる。たかが主簿の言う事なんて聞きはしないでしょう。

 

70: 2007/10/23(火) 17:04:13 ID:6QUSUIzQ0
>>66
主簿には権限ないよ
でも権限を掌握する事は可能な立場なの
権限の拠り所である印綬の管理役が主簿だから

 

67: 2007/10/04(木) 03:37:23 ID:ym3YHdMF0
つまり呂布が「ただの」主簿などではなかった事の証明では

 

69: 2007/10/22(月) 02:29:38 ID:eiYC0esh0
呂布は丁原の全兵権を握ってた。(証拠なし)

なんで全兵権握ってたって断言できるの?

豪族の私兵だから全部ついてったに決まってる。

豪族の私兵なら、なおさら分散するはず

豪族の私兵じゃない。官兵だから主簿の呂布が統率できた。

ただの主簿如きにそんなの無理

丁原の全兵権握れたんだから、ただの主簿じゃなかった証拠になる。

なんで全兵権握ってたって断言できるの?

以下、上に戻ってエンドレス

 

71: 2007/11/09(金) 01:22:36 ID:aYQAcAU3O
流れぶった切りですまんが、赤兎てのは実在する馬なのか?
俺の調べた感じでは正史にも記された名馬なんだが
ある人が俺の読んだ正史三国志にはそんな記載ないアル。
俺は職業上、中国語が読めるから、俺の読んだのは発掘された陳寿の三国志をそのまま写した真の三国志アル。
今知られる正史三国志は唐代以後の粉飾の混じった偽書アル。
ということなんだが、キティ認定でいいのかな?

 

73: 2007/11/09(金) 16:54:06 ID:nHLQi3ZV0

1
布有良馬曰赤兔.

布は良馬曰く赤兔を有す。

呂布は赤兎という良馬を所有していた。

2
曹瞞傳曰:時人語曰:「人中有呂布,馬中有赤兔.」

曹瞞傳曰く、時の人語りて曰く「人中に呂布有り、馬中に赤兔有り。」

曹瞞傳という書によれば時の人々は「人に呂布という英傑がいるように、馬にも赤兎という名馬がいる」と噂した。

正史三国志巻七 魏書七 呂布臧洪傳第七 呂布 より抜粋

あとは自身で判断してくれ。

 

74: 2007/11/09(金) 17:24:08 ID:SIHljiDh0
後漢書本伝にも載ってるね。
魏志と曹瞞伝の当該箇所は太平御覧にも引用されてる。
これが全部、唐代以後の加筆とするにはかなり苦しいだろうな。
もし陳寿の原典に近い三国志が発掘されて、それに記載されてないとしたら、
むしろ発掘された方に佚文があるとまともな学者なら考えるだろう。

 

75: 2007/11/15(木) 09:49:59 ID:pEKODIGS0

曹瞞伝は曹操をひたすらクソミソに貶す書だから一般的には信憑性が薄いとされてるけど

人中有呂布、馬中有赤兔

この一文に限っては捏造する意味がないもんな

 

76: 2007/11/16(金) 06:52:32 ID:m91LYb1H0
曹操を貶めるからこそ、相手側を褒めるという事もある。

 

77: 2007/11/20(火) 05:32:46 ID:XclLrsCw0
呂布の徳行を誉めるならまだしも、呂布の武勇を誉めてしまったら、その呂布を破った曹操を誉めたも同然になってしまう。

 

80: 2007/12/09(日) 14:11:09 ID:bbfOmO9a0

強くなきゃあそこまで増長は出来ないだろうな

呂布に足らなかったのは自分が馬○だっていう自覚

 

81: 2007/12/19(水) 03:14:00 ID:tJCMz/1P0
>>80
機を見るに敏だぞ
呂布に足りなかったのは長期的展望

 

82: 2007/12/19(水) 03:25:50 ID:Ez6JPQe40
あと、謙虚な態度と助言を聞く耳

 

83: 2007/12/19(水) 16:20:38 ID:PH/iGHWz0
なんか項羽とかぶるな

 

85: 2007/12/20(木) 14:17:31 ID:yQNGTLbf0
>>83
項羽と劉邦関連のスレで
「呂布と劉備だけの三国志」って説明があったな

 

84: 2007/12/20(木) 10:23:33 ID:k47E40zj0
長安に篭る呂布や王允が敗走させられたのは何でですか?
単に数の差?

 

86: 2007/12/20(木) 18:29:13 ID:DIwUP5Kd0
>>84
王允のクーデターは涼州と并州の州閥争いの側面もある。
并州の方が軍事力に劣り、朝廷の名士層の支持も少なかったんだろうな。

 

87: 2007/12/21(金) 02:23:36 ID:/QXmHlls0
泣きを入れてきた董卓派に対して王允が
「謝っても許しませんよ。あんた等は皆○しです」とさえやらなきゃ、
軍事的には劣ってても主導権は握れたように思う。

 

88: 2007/12/21(金) 11:20:49 ID:WIj3JOjD0

だから李カクが報復処置で王允一派を鏖したんだな。

呂布と李カクらって仲悪かったんかな?

 

89: 2007/12/21(金) 18:46:31 ID:/QXmHlls0
良い悪い以前に本文中では殆ど接点が無い。

 

90: 2007/12/22(土) 20:34:07 ID:mPAgpQxq0
呂布が董卓の下にいる間、李カクらはほとんど外に出ていたんじゃないかな?
確認してないけど(というか記述があるか?)
面識も殆どなかった可能性はある

 

91: 2007/12/30(日) 10:07:18 ID:GCUlSEuR0
呂布が一部将に過ぎず涼州人でもない上に、涼州人を王允が許さなかったので、董卓軍は李カクに集まった。

 

92: 2008/01/05(土) 10:38:31 ID:yWGSlbuk0
涼州と并州で心を一つに天下統一に向けて邁進すればよかったのに

 

93: 2008/01/07(月) 19:02:08 ID:eL7gfINuO
なぜ緒戦の大将が李粛?
他にいなかったのかね、武将が?
それとも、牛輔程度の相手なら李粛で充分だと思ったのか…

 

94: 2008/01/07(月) 21:29:19 ID:mUG3W4jj0

負けたから史書で大したことない扱いされてるだけだろう。

牛輔の方は董卓の娘婿で、長安の東に駐屯し、
つまり山東の諸侯との前線に位置して李カク・郭シらを指揮下に持っていた。
董旻と並んで長安外の董卓軍主力を擁していたと考えていいだろう。
朱儁を破ってもいる。記述が少ないだけで小者感は微塵もないよ。

 

95: 2008/01/07(月) 23:56:27 ID:eL7gfINuO
まぁ牛輔の場合は最期がアレなんで評価が下がるのは仕方ないにしても、隣に何かすごい人材がいるわけだが…
だったら尚更李粛では荷が重くないかな?
やはり、この時点ですぐに牛輔隊と戦える兵力を持っていたのが騎都尉の李粛しかいなかった…と見るべきか…

 

96: 2008/01/08(火) 01:07:04 ID:QXMmxHpr0
牛輔のすごい人材って誰だっけ? 郭シ?

 

97: 2008/01/08(火) 08:25:29 ID:KRbDbKVRO
李カク、郭シ、張済は周辺部を攻略中なので、牛輔隊を叩くには彼らが帰還するまでに決着をつけねばならない。だから、攻撃をするのであればこのタイミングしかない。(攻撃をする必要性が有るか否かは置いといて…)
で、李粛って目立った戦績有った?

 

98: 2008/01/08(火) 10:57:37 ID:HLZ+MQ1R0
平話では李広の末となっとるね。
なんでこんな設定にしたのかは知らんが

 

99: 2008/01/08(火) 18:31:31 ID:9mFsStQl0
気になって三国志の董卓伝見たら、牛輔を処刑させるために
李粛を派遣したとあるじゃないかw
相応の兵力を率いていただろうけど、正面決戦目的じゃなさそうだな。
新政権の権威と董卓のタヒによる涼州兵の動揺・寝返りを計算に入れたのだろう。

 

100: 2008/01/08(火) 19:44:33 ID:KRbDbKVRO

でも軍を率いて行ったなら迎撃されるのは目に見えてるよな。敗けて処刑される李粛タンカワイソス。

牛輔だったら、董卓の娘と離縁すれば罪は問わない…とか言えば、ノコノコ出頭して来そうな気がする。(勿論、餌も用意してな。)そこをバッサリと…

 

101: 2008/01/09(水) 02:27:01 ID:E6Yw7GGzO
いかにも劉備がやりそうな手管ですね

 

103: 2008/01/20(日) 10:05:06 ID:h3qa6M0h0
関係ないが、カクワイは并州出身者なのに、
長らく雍州・涼州方面の統治をしてたよね。
差し障りは無かったのかな?

 

106: 2008/01/21(月) 11:47:23 ID:F5hTmu6U0
>>103 他に適任者がいないなら、有能な人物が回されたというだけでは?
魏で出世した涼州出身者ってどんなのがいる? 賈?とか

 

108: 2008/01/22(火) 16:25:55 ID:dn53VL+Z0
>>103
出身地の仕事貰う方がマレ

 

104: 2008/01/20(日) 10:13:43 ID:ZVN+oNr/0
ほんとに関係ないw
出身の反対側で活躍するような人間沢山居るじゃない。
劉備なんて3/4周してるぜ

 

105: 2008/01/20(日) 13:04:06 ID:6V0w4QXx0
そういう意味じゃなくて、并州人と涼州人は仲が悪かったのに
郭淮はどうやって涼州人と接していたかってことなんじゃないの。

 

107: 2008/01/21(月) 17:39:05 ID:mUnzxcwF0
>>105
涼州閥、并州閥の対立って董卓陣営内でのものであって
別に并州人と涼州人が対立していたわけじゃないんじゃないか?

 

109: 2008/01/22(火) 22:14:49 ID:DjHApXNv0
元々の東漢朝廷では、何州閥が一番勢力があったんだ?

 

110: 2008/01/22(火) 22:36:30 ID:jbCknbZc0
>>109
南陽

 

111: 2008/02/02(土) 11:27:39 ID:GxGiHlwQO
あぁ、呂布が長安開城するまで迎撃も何もしなかったのは、兵士の掌握ができなかったからか。
そうすると董卓暗○直前には少しばかりの兵しか持ってなかったことになるか、呂布は。

 

112: 2008/02/02(土) 15:41:09 ID:Q1GreESK0

こんなスレがあったのか。呂布好きには嬉しい。

最近初めて魏書の呂布伝を読んだが、例の虎牢関の戦いなんか一行も書かれてない
ので笑った。あの名場面や三兄弟との一騎打ちなんか全部フィクションだったのな。
ちくま学芸文庫以外で呂布の史料読めるのって他にないですか?

 

117: 2008/02/02(土) 18:34:56 ID:LX7MXXlw0
後漢紀とか諸家後漢書かな。御覧あたりにも何か載ってるんじゃないの。
でも>>112が求めてるのはそういうんじゃないような気がする。

 

113: 2008/02/02(土) 17:43:38 ID:Jp2RVcSK0
後漢書呂布伝。対張燕で具体的な武勇の記述もあるよ。
ネットに和訳が掲載されてる。

 

114: 2008/02/02(土) 17:48:10 ID:WFCEhv7i0
『後漢書』呂布伝とか後漢末期の連中の伝。訳書は汲古書院から出てる
『資治通鑑』漢紀52~54。現代日本語訳書は抄訳ばかりで、呂布が出る箇所の訳があったかは判らない
両書を訳してる奇特な人もいる。「ほぼ訳!後漢書」で検索するとわかるでしょう

 

115: 2008/02/02(土) 18:08:08 ID:WFCEhv7i0
ああ、かぶった
趙翼の『ガイ余叢考』で春秋から明までの一騎打ちの事例を集めた話があるが
三国からは呂布と郭汜のタイマン勝負が選ばれてる

 

118: 2008/02/02(土) 18:35:49 ID:LX7MXXlw0
演義の呂布が好きなら三国志平話が面白いかもしれない。

 

119: 2008/02/03(日) 01:44:36 ID:Q4L4qlXT0
ガイ余叢考の歴代名勝負に広武山の項羽・劉邦と並んで呂布・郭汜のカードが入ってるのは
三国で一騎打ちがほとんどなかった事を示しているとも言えるかもしれない
太平御覧にしても、呂布が袁紹のガサ入れから逃げるのに琴の奏者を使った、
みたいな勇ましいというより風流?な話が載ってたりする

 

120: 2008/02/03(日) 23:27:48 ID:9q4DAZ5J0

親切な人が多くて嬉しいです。ありがとうございます。

最近、史実の呂布がどうだったかに興味がわきまして、ちくまの奴を読んだ
ところなのです。演義と史実の違いとか、比較したいと思いまして。
最強説の出所である虎牢関の話がなかったり、一騎打ちで化け物じみた力を
発揮するところがなかったりとか。演義の作者は呂布萌えだったのかな、とw
なんで最強設定にしたのやら。

 

121: 2008/02/04(月) 00:38:23 ID:KtHW43s40
演義って先行する小説や演劇の影響を受けてて、ちょっと正史と違うなってところは
ほとんど演劇の筋が取り入れられてるんだよ。
演義より先行して演劇の影響も強い三国志平話なんか見てみると、余計によく分かる。
平話の呂布や張飛を見たら、演義のは劣化版にしか見えないかもしれない。

 

122: 2008/02/06(水) 07:22:08 ID:fwlWEnOD0
ま、本場中国じゃ曹操の実力とあくどさは社会常識として浸透してて、
その曹操を一度は打ち破った呂布や馬超の評価の高さは
知識としてしか知らない日本人のそれとは隔絶してるらしいからな。
演義であれだけ活躍してる趙雲が端役として認識されてるのもそう。

 

123: 2008/02/09(土) 22:14:45 ID:HZZYvV+l0

呂布の出身はモンゴル。
モンゴル出身が一番の強いなによりの証拠。モンゴル人が築き上げた元の国は、
歴史上最大の帝国。領土拡張能力は、モンゴル人は最強だということだ。

弓馬をとらせては、天下無双なのも理解できる。
さらに、朝青龍、白鳳の強さもモンゴル人の象徴だ。

 

124: 2008/02/09(土) 22:23:25 ID:YvjjreDhO
モンゴル人て、モンゴル拡大の過程で様々な部族や民族を内包してモンゴルというんだが?
元のモンゴルがいたのはゴビ砂漠の向こうで呂布の出自の五原の住人をモンゴルなぞいわん
そもそもモンゴル自体がはるか後世の民族だろうが
呂布が異民族と漢族の雑居地帯にいた事は確かだろうが、呂布がモンゴルな訳ないだろ

 

125: 2008/02/09(土) 22:25:11 ID:oUJil7i+0
呂布は領土拡張してないと思うけど。
それに蒙古にも相撲はあるんだよね。

 

126: 2008/02/10(日) 17:37:56 ID:43Mxz/HKO
もっとも元は、モンゴル帝国の一部であっても、モンゴル帝国の全てじゃないんだが。

 

127: 2008/02/12(火) 22:51:46 ID:tUx7go2PO
元の時代はモンゴル帝国といえるか微妙な感じだけどな

 

129: 2008/02/24(日) 12:00:08 ID:8vrXC9SS0
騎射が凄いと特筆されてるのはこの時代では董卓だなあ
呂布はそれに比べると漢人に近い気がする。
まず、董卓に見込まれたのは丁原を暗○できる武勇に目を付けられてのことだし、
張燕攻撃でも、数十騎を引き連れて一日3,4度も陣営に突撃し、皆首を斬って戻ってきた
とあるし。

 

211: 2008/05/08(木) 22:24:23 ID:Zwducl2BO

三國志の時代は馬に乗って弓を射るのは最大級の自慢になると聞いたな
それだけってか騎射ってそこまで多かったのだろうか?

三國志時代は現代にある馬の背中に乗せる道具がなかったと言われてるしな
本当に騎射ってすんなりできるの?

 

213: 2008/05/08(木) 23:08:35 ID:5lhTY7R80
>>211
すんなりできないから最大級の自慢になると思うんだ

 

227: 2008/08/22(金) 02:51:49 ID:NZbac0C/0
>>211
後漢の時代の騎射は今で言うと
F15Jにハコ乗りしながらバズーカを撃つくらいの価値があったんだよ

 

229: 2008/09/16(火) 04:49:29 ID:WlzjgqSUO

>>227
普通に「戦闘機乗りの資格」くらいでよかろうに、
なぜわざわざ物理的に不可能な戦闘機のハコ乗りなる形容を選んだのかがさっぱりだ。

戦闘機乗りの資格自体、騎射の出来る人物の割合より少なそうだが。
てか軍事ネタならレンジャー資格と空挺資格あわせ持ってる人くらいでいいんじゃなかろうか。

 

212: 2008/05/08(木) 22:45:07 ID:G1XjYgXW0

馬上用の短弓も必要だしなぁ。

董卓は馬に乗って左右両方に弓を撃てたってことが特筆されているし、
馬上で思うように弓を撃つってのは難しかっただろうね

 

214: 2008/05/08(木) 23:09:24 ID:6P08yzCa0
後漢末から三国時代の騎兵は弓矢を常備していたというな
鞍も普及はしていたが、鐙の確かな普及は四世紀になってからというし
そのおかげで全体的に騎兵の構成比率がさほど高くなく、騎兵は訓練を施された
兵士や異民族が主にならざるえをえないというし

 

215: 2008/05/14(水) 10:18:24 ID:u64Tg7540
呂布って、レキ食其や宮本 武蔵に似てるね。

 

216: 2008/05/26(月) 19:59:44 ID:DaFrKAm/0

いろいろ本読んだけど、
やはり、呂布の強さや性格を考える上で、朝青龍、白鵬の強さや性格は参考になるとのこと。

傲慢で野心家で物欲にとみ、我慢というものをしらない。縦横無尽に草原を駆け抜ける
それはまるでジンギスカーンのよう。

人類史上最大の帝国を築き上げた血が当然呂布、朝青龍、白鵬にも入っていよう。
そりゃ強いわ。

 

 

217: 2008/06/08(日) 07:13:33 ID:oeHdqz1c0
血筋で強くなったり弱くなったりするわけないだろ。
そもそも何で呂布がチンギスや朝青龍と同族みたいなことになってんだよ。
と普通にレスしてみる。

 

221: 2008/08/14(木) 09:14:20 ID:O9Z6Kk61O
横山三国志しか知らないけど各メディアの呂布=最強で無敵ってのに違和感がある
武芸最強かも知れないけど張飛よりちょっと強い程度で
各国の名将を圧倒出来る程強く無いんじゃないの?

 

230: 2008/11/16(日) 23:12:12 ID:RyktEBfn0
>>221
今のメディアの呂布=最強・無敵ってのは面白さ追求で誇大表現だけど、
張飛よりちょっと強いとか、その程度ではないと思います…よ?
伊達に前漢・李広の飛将の異名取ってませんしね。
まぁその李広さんが…あんま知名度高くないんですが(–;)
しかし「飛将軍」の異名は当時、武勇に優れた武将にだけ付けられる異名でしたし。
他に三国時代で飛将の名を持った人いませんし。
そーゆー点で、やっぱ現代で「最強」って言われるだけの武将だったと思いますよ。

 

231: 2008/11/19(水) 20:23:20 ID:zy38rtK70

>>230
正史張飛が正史呂布に劣るとは思えないが・・・。
ってか、当時の大陸では知名度も武勇認知度も関羽、張飛>呂布なんじゃないか?
漢より後に勇者を称するには、必ず関羽・張飛を引き合いに出す。
晋の劉遐は賊を討つたびに堅陣を陥し、鋭鋒をくじいたので、関羽・張飛にたとえられた。
苻堅が閻負・梁殊を張玄靚のもとに使者として派遣したとき、本国の誇る将帥として王飛・鄧羌を挙げて、「関・張の流、万人の敵」と称した。
禿髪ジョク檀が人材の推薦を宋敞に求めたとき、宋敞は「梁崧・趙昌は、武が飛・羽に匹敵する」といった。
李庠は膂力にすぐれていたので、趙廞がかれを評して「李玄序はいっときの関・張である」といった。
南朝宋の薛彤・高進之はともに勇気と力をそなえていたので、ときの人は関羽・張飛にたとえた。
魯爽がそむいたとき、沈慶之は薛安都にこれを攻めさせ、薛安都は魯爽を見つけるやいなや馬を躍らせて呼ばわり、あっという間に刺し○したので、ときの人は「関羽が顔良を斬ったのもこれほどではあるまい」といった。
南朝斉の垣歴生は拳勇突出していたので、ときの人は関羽・張飛にたとえた。
北魏の楊大眼について、世間の人々は関・張もかれを超えることはないと評していた。
崔延伯が莫折念生を討って勝利すると、蕭宝寅は「崔公はいにしえの関・張である」といった。
南朝陳の呉明徹が北斉を討ったとき、尉破胡ら十万の兵にはばまれた。呉明徹は「もしあの胡人を倒せば、敵軍の士気を奪えるだろう。君は関・張の勇名をもっている。顔良を斬ってこい!」そこで蕭摩訶が出陣すると、尉破胡を打ち○した。

と後の世まで武勇を語り継がれているが、呂布は全く聞かないなぁ・・・。

 

233: 2008/11/20(木) 09:08:03 ID:dw8naFDL0
>>231
それは「当時」じゃないよ。

 

222: 2008/08/14(木) 09:24:59 ID:V6NTyvh50
三国志というある物語の中としては、「最強」のキャラ立てに
しやすい存在で、それが昂じているのが今の状況。
どんなものでも、実像とその後の虚像との乖離があるもの。
実像は実像として把握し、虚像を楽しむのがいいと思う。
例えば、三国無双の呂布などは、ああでないと面白くない、とか。

 

223: 2008/08/14(木) 13:52:48 ID:KFxlJ94f0
最強とか言い出したのって誰だ?

 

224: 2008/08/14(木) 14:11:43 ID:NzGkMWY70
演義か何か知らないけど
劉備+関羽+張飛の3人まとめて相手したとか
描写があるからじゃないの

 

225: 2008/08/15(金) 05:23:18 ID:ad45tys20
呂布は演義ができる前から物語の主人公になったりしてるようだから、
その名残で主人公ボーナスが残ってるんだな。

 

234: 2008/11/20(木) 12:28:52 ID:bRqo0mb70
呂布の方は評判の悪さもあったから
強さを例えるのに「おまえ呂布な」とか言われたら
「こいつはいつか裏切るんじゃねーの?」
とか思われてると誤解されそうな気が

 

235: 2008/11/20(木) 18:35:39 ID:1AUImlU40
>>234
もし、そうなら
敵兵を生き埋めにし、義帝を○した項羽がたびたび引き合いに出されているのはおかしい。
例、隋末の楊玄感の叛乱時の奮戦ぶりについて「論者方之項羽(人は項羽に匹敵すると言った)」(隋書楊玄感伝)
吐谷渾の2代目、吐延は羌族から「号曰項羽」と、その偉丈夫ぶりを称された。(晋書吐谷渾伝)
旧唐書の李密(隋末の群雄)の評、「或以項羽擬之、文武器度即有余、壮勇断果則不及
(項羽になぞらえる者もいるが、文武の才は項羽以上だけど、威厳やカリスマや決断力などは劣るだろう)」などなど。

 

237: 2008/11/20(木) 19:13:25 ID:CEUgHbBW0
>>235
呂布と項羽じゃ最期がえらく違うから、後世の人の評価が違うんじゃないかなぁ…。
個人的な意見だけど、別に項羽から悪いイメージ浮かばないし。

 

236: 2008/11/20(木) 19:12:54 ID:aoCL1IOe0
項羽は仮にも覇者だったし、そもそも敵兵をどう遇しようが勝者の自由だろ。まあ残忍として引き合いに出されるけどな
呂布の場合は主と仰いだ連中を保身のためにポンポン裏切ってるし、結局一群雄のままタヒんじゃったからね

 

238: 2008/11/24(月) 02:44:42 ID:DRVi1C3CO

そもそも項羽が裏切ったのは自分のとこの傀儡で、勢力を築いたのは自身の功績。
呂布が裏切ったのは勢力母体で、それを築いた功績は彼にはない。

ここら辺倫理的にも、また体制側からの認識もまるで違う気が。

 

239: 2008/11/24(月) 10:00:55 ID:LJW+Wg5V0
>>238
呂布はヘイ州系の勢力を束ねて董卓勢力に寄与してただろ
何言ってるんだ?

 

242: 2008/11/27(木) 05:13:51 ID:atQFxV4a0
>>239
疑問なんですけど呂布はどうやって主君を○してその下にいる軍勢を掌握したんでしょう?
普通は言う事なんて聞かないのでは

 

244: 2008/11/27(木) 23:11:28 ID:PyF4W4dXO
>>242
掌握してた?
丁原の時はそのまま董卓が吸収した形だし、董卓の時はポロポロ寝返られていたようだが。

 

245: 2008/11/28(金) 21:42:52 ID:gQgMQlvA0

>>242
董卓の掌握してる軍は大きく三つ
・後漢の正規軍
・呂布に従う并州人
・董卓子飼いの涼州人

董卓暗○時点で長安にいた董卓軍の内訳は前二者が大半を占めている
子飼いの部下は中原の反乱討伐に向かっており并州人、朝臣を除くと実は長安、軍事的には完全な空白地帯
そこで王允ら朝臣が正規軍を抑え、呂布を抱き込んでのクーデターを企図して成功させた
ちゃんと派閥に分けて動きを見ると簡単に理解できるようになってるよ

 

240: 2008/11/24(月) 10:30:14 ID:AHjkv/0e0
呂布はただの一勢力
項羽は曲がりなりにも一王じゃない

 

241: 2008/11/27(木) 04:03:06 ID:nW3lEuZt0
項羽でいうなら項梁を裏切ったようなもんだろ。それはやっちゃいけねえよ。

 

243: 2008/11/27(木) 07:18:21 ID:6WhjlnhR0
主君が同等以上に人望がなかったってこともありうる。

 

246: 2008/12/02(火) 21:26:41 ID:Yga8Sn0f0

呂布は、主君を二人も裏切り、○した奴
日本で言えば、光秀、蝮の道三

奴に例えられたくないのは後世の人間にとっては至極当然

 

 

248: 2008/12/02(火) 21:51:02 ID:yD7R12c60
>>246
その不義理なところを例えられたのは、唐末の李罕之だな。
例えたのは李克用だが…
なんだかなぁw

 

247: 2008/12/02(火) 21:47:36 ID:9czw3wFi0
ああ、だから呂布を取り上げた京劇もあれば
宝塚で光秀が主役になるのね

 

249: 2008/12/03(水) 21:13:40 ID:nnDdbkwG0
丁原はどういう状況で○したんだろ

 

253: 2009/06/12(金) 09:42:30 ID:2w0obVdIO
三国志ファンで呂布が嫌いという人はあまりいないよね。
裏切り者ではあるけど、俺は何故か呂布が憎めないんだよな。
欲望に忠実で思慮が足りないところも人間臭くて好きだよ。
俺は三国志で呂布、馬超、孫策、曹丕、甘寧という癖のある人物が好きだな。

 

254: 2009/06/16(火) 22:23:18 ID:uVQanNXZ0
正史演義の呂布は好きだが最初に無双で呂布を知った時は嫌いだった

 

255: 2009/06/17(水) 00:19:37 ID:cKpWl2Om0
最初は呂布が一番強くて好きだった
しかし中国史を色々と読んだら項羽のほうが無双っぷりが凄まじく思い(もはやチート)項羽のほうが好きになった
漢楚無双でもでたら項羽の方が好きになる奴は多いと思う

 

256: 2010/01/26(火) 07:57:46 ID:ZBbmoY4N0
むしろゲームのせいで嫌いになる奴が増えそうだ

 

257: 2010/02/08(月) 13:52:21 ID:YOzUzcaD0

HPゲージ赤くなってる時に背後から迫り来る触覚はトラウマだよな
自キャラとして使うときに簡単に俺TUEEEEEEEEEできるってのも、マニア
には嫌われがちだしゲームキャラになったら項羽も好き嫌い分かれそうだ。

正史演技の呂布や項羽は人間臭くて好きだが、個人的に付き合うとしたら
惚れ込むか蛇蝎のように嫌うことになるかのどちらかになりそうな気がする。
なんにしろクセの強い人物だよな。

 

258: 2010/02/09(火) 16:53:02 ID:qc3O+tN/Q
高貴な美青年で20代で世界史に不滅の名を遺した項羽と
呂布みたいな荒れくれの筋肉馬○を一緒にしないでよ

 

259: 2010/02/12(金) 15:02:09 ID:wiswB/30O
>>258
項羽を美化しすぎ。

 

262: 2010/02/20(土) 17:31:21 ID:yvurb+2HO
>>258
項羽を絶賛するのは同意だが、呂布を体育会系筋肉馬○呼ばわりはやめれ。
そんな単純な男じゃないから。
>>261
呂布は真っ黒に日焼けしてガッチリして男らしいイメージしかない。
美少年タイプ、カワイイ系は子竜や呉の美周郎、孔明。

 

260: 2010/02/12(金) 15:20:17 ID:nVBErCNs0
覇王の異名を持ち世界史に不滅の名を遺した高貴なる美青年

 

261: 2010/02/17(水) 23:59:22 ID:sFuTjLYE0
京劇に出てくる呂布のイメージは結構ハンサムだと思うが
細身で背が高くて色白でがっしりしてる
今で言うとスポーツマン体型だよな

 

263: 2010/02/20(土) 22:40:58 ID:MLqK8pWo0
なんでその三人が美少年タイプだよwww

 

264: 2010/02/28(日) 21:35:59 ID:pbFEjU8D0
子竜は二重顎のマッチョだし、孔明も周ユも普通に髭面のオッサンだよ

 

265: 2010/03/05(金) 16:24:51 ID:OzIZA2bm0

呂布が筋肉馬○って事には別に否定しないが、項羽も筋肉馬○と言う点では変わらんと思うが
政治的な行動を見てるとね
項羽もキレて兵や捕虜を感情的に虐○しようとしたり、窘められるとすぐ機嫌を直したり、単純な所がある
婦人の仁という所も似ているような気がするな。彼ら二人とも直情的だが悪人では無いような気がする
ただ呂布が終始自分の身の振り方にあくせくしている等身大的な人物であるのに対して、項羽は「天が我を滅ぼす」と言ってみたり、如何にも大望と気宇がある

項羽がチートじみてたのは楚漢戦争だったからだろう
後漢末期は楚漢より遥かに面倒臭い状況で、政治力が必須。物資も無いし

 

269: 2010/03/30(火) 21:05:24 ID:D2XyQnLT0
昔コミック三国志マガジンに
呂布が主人公の作品があったような

 

270: 2010/04/01(木) 01:28:54 ID:kOuFTaQP0

>>269
『呂布が起つ!』ね
単行本になってないんだよな~

『雲漢遥かに』という趙雲が主役の漫画では
趙雲が呂布の軍に身を投じているので
それなりに活躍してるよ

 

271: 2010/04/01(木) 03:16:25 ID:CmvzFppv0
正史系の漫画だと「爆風三国志」とか。
呂布がひたすらいかつく描かれてる。

 

272: 2010/05/25(火) 04:54:25 ID:xvxjFKg10
いま出てるオースーパージャンプ(スーパージャンプの増刊?)
呂布が主人公のギャグ漫画載ってたw

 

277: 2011/12/12(月) 22:08:49.70 ID:ulwEX4fU0
世界史板の人が作った「世界史レベルでの呂布評価」が
ずっと前に三戦板で載ってたが、10点満点中「戦術」だけが5で
あとはほぼオール1と評価されてたなw
董卓のがずっとマシだった

 

278: 2011/12/13(火) 07:08:17.82 ID:O9eURIK2O
世界レベルならまあ仕方ないかもな

 

281: 2011/12/14(水) 18:15:20.70 ID:lHkMPOH7O
世界史レベルだったら三国志の英雄たちもだいぶ低くなるのは仕方ない
中華レベルでも呂布は項羽とかに比べたら格下になってしまうし

 

282: 2011/12/18(日) 23:20:11.35 ID:y5XqIWsx0
項羽どころか、下手したら陶謙あたりより・・・

 

283: 2011/12/28(水) 19:35:25.80 ID:UqK9zIRe0
長い眼で見たら「中原をチョロチョロ這いずり回っただけの戦闘屋」に過ぎないからな。
英雄どころか群雄としても微妙な評価

 

284: 2012/05/30(水) 14:41:16.85 ID:z0xVGJ/t0
河内兵や丹楊兵をまとめあげた政治力はほめても良いと思うんだがな~…。

 

285: 2012/11/18(日) 15:21:27.28 ID:Ot+NpxLK0
ていうか、袁紹(呂布)に敗れた後張燕の軍勢が離散していったって書かれてるんだが、
これもしかしたらやばいんじゃね?もしあの時点で張燕がまだ百万の軍を持ってたら、
呂布が数十騎で百万を離散させたって事になるぞ

 

287: 2012/11/19(月) 08:52:50.59 ID:A4Gw7KR80
あぁ、>>285のは張燕伝に離散したって書かれてたって話しな

 

286: 2012/11/18(日) 23:32:27.19 ID:83VN2E/t0

袁術(紀霊)と劉備の戦いの仲裁の時に、
超人的な弓術を見せてるから、
少なくても弓が凄いのは確定。

演義でも再現されている。

 

291: 2014/03/18(火) 20:49:25.95 ID:gZD0NeoZ0
>>286
作り話をしんじてんの?

 

289: 2014/03/18(火) 10:27:36.09 ID:ggxrw9gO0
呂布が曹操の配下になってれば、どうなったんだろうな興味あるな

 

290: 2014/03/18(火) 14:14:37.88 ID:q22dV0FM0
個人武勇でいうなら強かったんだろう。

 

296: 2020/02/29(土) 09:36:57.72 ID:ad4rPyUx0
呂布っていうと某ゲームのパロ漫画の「台所の覇者・呂布」ってネタ思いだし笑ってしまふ。
呂布の兜(?)の飾りの触覚みたいなのが女性を恐怖させる台所の覇者Gに似てるってネタだったが
おかげで横山先生の漫画三国史読んでも呂布の姿に笑うようになってもうた

 

297: 2020/03/07(土) 08:56:38.13 ID:EkO0ig6W0
呂布はモンゴル出身でしょ?
モンゴル人の強さは今でも証明されてるやん
朝青龍や白鵬とか見たらかなり強いとわかる
呂布が低い評価なのは早々に姿を消したからだけど
190~200年は群雄割拠が最も激しかった時だし
徐州城から許昌のあたりは猛者が多く激戦区だったから
三国志の事実上の決勝戦だったと思う

 

 

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175339923/

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