ロシアで見つかった人骨は「ナポレオン直属の将軍」と研究者が判明、DNAが一致したことが決め手
https://www.cnn.co.jp/fringe/35145122.html
ロシアで見つかった人骨、「ナポレオン直属の将軍」と研究者 DNAが一致
2019.11.08 Fri posted at 12:30 JST
(CNN) 考古学者のチームがロシアで発掘した人骨について、ナポレオンの部下だった将軍のものだとの見方が浮上している。フランスの歴史家らが分析の結果として発表し、ロシアのプーチン大統領も関心を示しているという。
木製のひつぎに入った状態で見つかったこの人骨は今年7月、フランスとロシアの考古学者のチームがモスクワから西へ約400キロに位置するスモレンスクでの発掘作業中に発見した。脚の骨が片方しかなく、年代は200年前のものとみられる。
チームはこの人骨がナポレオンのロシア遠征に加わった部下の1人、シャルルエチエンヌ・ギュダン将軍の遺骨である可能性があるとし、大腿(だいたい)骨と歯の一部をフランスへ持ち帰って調べることにした。発掘を指揮したピエール・マリコフスキ氏がCNNに語ったところによると、マルセイユの研究者がこれらのサンプルとギュダン将軍の母、兄弟、息子のDNAの比較分析を行った結果、100パーセント一致することが分かったという。
(リンク先に続きあり)
フランスに埋葬された訳じゃなかったのか
懐かしいねぇ、700年ぶりだねぇ
それより200年前の本人のDNAがなくて親兄弟息子が残ってる方が驚きだわ
>>1
スモレンスクから後退していったロシア軍は、東に約20kmのヴァルティナ=ゴラで小川と高地を利用
して防衛線を築いた。フランス軍は西から攻めたが強い抵抗に遭った。フランス軍の左翼からはギュダン
将軍の師団が攻撃を行ったが、そのとき将軍が砲弾で負傷したらしい。
ヴァルティナ=ゴラの戦い作戦図、青=フランス軍、赤=ロシア軍
フランス軍の前線は一番上(やや後方)からギュダン(「ogeH)、ネイ(Heu)、モラン(Mopamb)
となっている。
ttp://napoleon-monuments.eu/Napoleon1er/images/120908_212ValoutinaGora.jpg
>>1
ナポレオンの遠征
十字軍の遠征
遠征とか言っても中身は只の侵略
他国を非難するくせに、自分たちの悪行には目を瞑る邪悪な西欧人を皆○しにして来ます。
イタコは既に絶滅寸前
長谷川ナポレオンのいいネタになるな
もうロシア遠征終わったけど
そういえば
歴史上、モスクワ攻めをしたのは
ナポレオン(フランス)
ヒトラー(ドイツ)
だけだよな
そもそもとしてモスクワに用事がありそうな国がそのくらいしかないだろう
>>10
ジンギスカンの舎弟
勢いのままにポーランドも破壊した
ヒトラーも立ち回りがうまければナポレオンのように英雄扱いされたんだろうけどな
二人ともやった事は同じなのに扱いの差が酷すぎる
ファッキンユダヤがある以上駄目だろw
>>18
あの時代のファッキンユダは世界の総意みたいなもんよ
だから他の国も助けようとしなかった
それだけ恨まれていたんだから
まあいくら嫌われ者相手でも限度ってもんはある
17世紀のロシア・ポーランド戦争で偽ドミトリーを手中に収めたポーランド・リトアニア共和国軍がモスクワを占領している。
内戦と言う見方もあるが、ほぼ征服戦争として見るべき。
モスクワは責められてないのかな?
キプチャクハン国
クリミアハン国
ナポレオン
ナチスドイツ
あれはみっともなかったね
あれ以降フランスはダメだね
砲弾に両脚を持っていかれて三日後にタヒ亡。
因みに亡くなったのは8月なのでギュダン将軍のタヒに冬将軍は関係ない。
当時の砲弾は破裂というより大きな鉄砲玉みたいなもんだから、当たると正に持っていかれるだね
>>27
>砲弾に両脚を持っていかれて三日後にタヒ亡。
実際には失われたのは片脚だけだったんだね。
どっちかっていうと傷口が腐敗してしまったんだろうから夏将軍のせいでだろうな
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6d/Charles_%C3%89tienne_Gudin.jpg/250px-Charles_%C3%89tienne_Gudin.jpg
髭濃かったんやなあ
なんで当時の肖像画ってこんな厨二病みたいなポーズとってんの?
文化史に詳しい人教えて!
「俺じゃなくて、隣の人の肖像を描いて」っていうポーズなんじゃね
今で言うブロマイド写真の代わりみたいなもんだからな。
カッコつけるのは他人にイメージ伝えるためだからしゃーない。
ロシアに攻め込んだナポレオンとヒトラーの話から、ロシアには冬将軍がいるから大丈夫と最近まで
愚かにも信じていたが、ようやくモンゴルのロシア侵攻について知る機会があり、思い込みが崩壊した。
モンゴルがモスクワなどに攻め込んだのは真冬だった。河が凍っているからそれがむしろ進軍路になった。
モスクワの冬はふつう―10度くらいだが、モンゴルは―30度で、上には上がいた。
息子
Charles Gabriel César Gudin(1798~1874)
少将、第2帝政で上院議員
https://p1.storage.canalblog.com/12/83/1077446/84160623_o.jpg
弟
Pierre César Gudin des Bardelières(1775~1855)
師団長、王政復古後も軍に残留
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/40/Pierre_C%C3%A9sar_Gudin_des_Bardeli%C3%A8res.jpg
どうりで石油埋蔵量が多いわけだ
Charles Napoléon César Gudin
軍団長、普仏戦争で捕虜
父親(ギュダン将軍の息子)の代でオルレアン家と親戚になってる。伯爵
https://p3.storage.canalblog.com/37/32/1077446/84160764_o.jpg
とか言いそう
いやいや、脚の大腿骨が切断されてて、いかにもって感じだわ(動画)。
ttp://www.rfi.fr/europe/20190810-guerres-napoleon-campagne-russie-gudin-smolensk-adn-test
切断したり濃硫酸に漬けたり
唯一マウント取れるとすれば内乱というロシア知り尽くした身内の造反
湖にドボンの悲劇生まれたのも内紛から
日本も、ノモンハンとかで負けてるけど、、、、大本営がががが
日露戦争も勝ったことになってるけど、本当かい?
タヒ者数は日本のほうが圧倒的に多い
満州からロシア勢力を追っ払ったということで勝ち
あと一週間戦争が伸びてたら日本が逆に満州から追い払われてた
ナポレオンもロシアには負けてないぞ
行きも帰りもロシア軍を突破してるし
それ言っちゃうと関が原で島津が一人勝ちになるだろ・・・
700年ぶりの里帰りか
見るものすべて浦島太郎状態だろうな
>>56
フランス革命が230年前
それから現在まで、
恐怖政治
ナポレオン
王政復古
ナポレオン三世
普仏戦争
第一次世界大戦
第二次世界大戦
と激動の歴史
アウエルシュタットで倍兵力を破った。
大激戦の場所だったんだよな。
この辺りの住人は運が悪いなw
1年ほど前のTV番組がスモレンスクを取り上げてて、
住人が「自分らの先祖は幾度も重要な戦いで祖国を救った、防人(さきもり)としての矜持がある。」みたいなこと言ってたわ。
無名の私の200年前のご先祖の事調べようとしたって身内のDNAなんか探せないわ
全員本人の変装だったのか?
この場合の「100%一致」は血縁者の確率が100%って意味だと思う。
日本語wikiだとフランスに埋葬されたって書いてあるけど実際には心臓だけ持ち帰って故郷の墓地に埋葬したみたいだな
後に統一ドイツ帝国が誕生してその後フランスに牙を剥くようになった
自らが皇帝になるという野望のために後世のフランスに多大な損害を与えることになるナポレオンを有り難がるフランス人はア○
上で言ってる人がいたけど心臓だけ持ち帰って一族の墓所に葬ったのかもな
昔だと遺体と心臓を別々に埋葬するのは王侯貴族やら騎士だとよくあったから
特にこの人は遠隔地で亡くなってるからな
引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1573254154/
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