2000年前のベスビオ火山噴火で壊滅したイタリアの古代都市ポンペイの遺跡でこのほど、特定の日付を意味するとみられる壁の落書きが新たに発見された。古代史を代表する大規模災害として知られる火山噴火をめぐっては発生を8月とする説と10月とする説があり、今回の発見が後者を裏付けるものとして注目を集めている。
木炭で書かれたこの落書きは、「レッジョV」と呼ばれる発掘現場にある家屋の壁で見つかった。書かれているのは「XVI K Nov」という文字で、「11月の16日前」を意味する。現在の日付で10月17日に当たるという。
噴火が起きた時期、当該の家屋では改修作業が行われていた。落書きの書かれた壁には、この後漆喰(しっくい)が塗られる予定だったとみられる。木炭で書かれた文字が長期にわたって消えずに残るのは考えにくいため、落書きは噴火と同じ紀元79年に書かれた可能性が高い。
発掘に携わる考古学者のチームは声明を出し、「落書きは紀元79年10月のものである公算が極めて大きい。より正確には、10月24日とされる火山噴火の1週間前の日付になる」と述べた。
従来、ベスビオ火山噴火の日付は8月24日が定説とされてきた。これは帝政ローマ時代の文人、小プリニウスによる噴火から25年後の記述に基づく。噴火当時、17歳の小プリニウスはナポリ湾の対岸から火山の様子を観測したという。
しかし考古学者らが遺跡で見つかった食物や衣服を分析したところ、実際の噴火の日付が繰り下がる可能性が浮上していた。
■火山噴火の1週間前に書かれたとみられる落書き
一都市が壊滅した事件の日付の文献が
小プリニウスのものしかなかったのがむしろ驚き
製作者の署名とか最近の若いものは・・・
みたいなインチキ捏造って可能性はどーなん?
>木炭で書かれた文字が長期にわたって消えずに残るのは考えにくいため、落書きは噴火と同じ紀元79年に書かれた可能性が高い。
これおかしくね?
>>5
>>10
>>13
いや、噴火は西暦79年8月24日に起こったとされていたのだけれど、
出土物の状況から、10月っぽいなぁと思われてきていた。
ところが、今回、10月17日という日付の落書きが出てきた。この落書きが
火山灰で埋もれたから2000年も残ったわけだけど、
もしこの落書きが、書かれたのが、西暦77年とか、西暦78年の10月17日
だったら、空気中にさらされていて風化して文字が読めなくなるはずだということ。
しかも施工中の壁であって、普通はその上に漆喰を塗るはずだから。もし
落書きが、一、二年前のものであったとしたら漆喰で塗られていたか、木炭の文字が
風化して消えているはずだということからの推論。
こっちの写真で見れば、文字が書かれた直後に埋もれたと考えるのは理に適う。
https://ichef.bbci.co.uk/news/800/cpsprodpb/11CE0/production/_103882927_hi049991721.jpg
すげーわかりやすい
馬○な私に理解できたわ
年代が書いてあるわけでもないしな
BC.75 とか書いてあるんだろう。
ポンペオはイタリア系アメリカ人だったな
> 木炭で書かれた文字が長期にわたって消えずに残るのは考えにくいため、
> 落書きは噴火と同じ紀元79年に書かれた可能性が高い。
意味わからん。
多分それ間違いだわ
炭素は一番安定してるから分解せず残るはず
考え過ぎ。現場の状況から木炭で書かれた落書きが残る可能性が低いって話
本文を一読する癖をつけないと低学歴扱いされちゃうぞ?
洒落が効いてる。
空気中に晒されていれば風化して消える
風雨やらで表面から落ちるって話かなんかじゃね
このごろ都に流行るもの
とかな
昔は1年の始まりは3月だったので、10月31日(ハロウィーン)は、所謂年末の大晦日にあたる
そして、11月1日から新しい年が始まるってわけだw
暴君ネロより後の時代
イタリア半島で大規模な火山の噴火があって記録がのこらねーわけねーだろ
仮に住民全員がタヒんだとして交易や旅行者が翌日には気付くわ
日本の戦国時代の話だとそんなの捏造だって意見で満ち溢れるのに
それより500年前の話は日付まで正確に残らないのが謎だって認識する人もいるんだな
ローマ建国が紀元前400年だぞ
更にその前からイタリア半島には有力な自治体が存在していて言語も文字も使われていたことを知らんのか
日本なんぞ極東の島国の事情を持ち出すことの愚かさを理解した方がいい
まじかよ
ブルガリア人最低だな
落書きじゃなくて、作業工程のメモ書きじゃね?
上から漆喰を塗るなら、どうせ隠れるんだし。
>>36
画像を見ると
XVI K NOV
のアルファベットが確認できるでしょ。
XVI は、16を表す。
K は、カレンダエの略で、月の最初の日を示す。
Novは、11月を表す。
だから、11月1日(11月のカレンダエ)の16日前(その日を含めて数えるので現代式にいうと15日前)と
いう意味で、当時の日付のごく普通の書き方。 これで、ユリウス暦の西暦79年10月17日となる。
そのあとに続いて書かれている文字は、
in ulsit pro masumis esurit. と読めるが、脱字と省略があるので、
indulsit pro masumis esuritioni. と解釈できて、 英訳すると、he over-indulged in food.となる。
つまり、「10月17日 あいつは飽きるほど飲み食いしやがった」 となる。
だから、前日あたりに開かれた宴会に関する落書きだろうということ。
現代の誰かが書いたんじゃない?
昔の人なら誰でもいいの?
>>38
この場合は、だれでも良いのです。
出土した衣服やワインなどから、8月ではなくて、10月だったのではないかと研究されていた。
とくに重要なのは、出土した銀貨の発行日
発行されたのが、西暦79年の9月末だったので、8月24日の噴火では不合理。
http://mitikusa.lekumo.biz/blog/2018/07/post-bb76.html
落書きの日付は10月17日だけど、噴火は10月24日。
全く別の日に、10月17日と書いた可能性を疑えば、それはそうかもしれないけど、
施工中の下地壁に日付が書かれていれば、 それは施工中の日々の間の日付である確率が
高いわけ。
つまり、この年の八月に最後の日を迎えたのなら、工事中の壁に10月の書き込みは
あり得ないわけだから、噴火は10月中に起こったという確度の高い証拠だと言える。
それで、8月24日説と10月24日説のどちらが正しいのかを考えれば、当然後者だというわけ
「祝・童貞卒業」
とか書いてあったら哀しいな
ポンペイからは売春宿の跡も見つかっているから探したらマジでありそう…
ユリウス暦の西暦79年11月1日は、グレゴリオ暦に換算すると西暦79年10月30日で、
和暦に換算すると、景行天皇九年九月十九日だから、寝待月。
満月から掛け始めてるけどまだ、4分の3ぐらいの大きさがあるので明るいお月様。
落書きの日付は、ユリウス暦の西暦79年10月17日という意味になるから、
グレゴリオ暦に換算すると、79年10月15日
太陰太陽暦では、日本では、景行天皇9年9月4日
中国では、後漢の建初4年9月4日
建初4年に起こったこととしては、 白虎観に学者を集めて五経の異同を討論して、
『白虎通徳論』を編纂した。
建初年間とは、西暦76年から 84年で、この期間に、班固が、『漢書』を完成した。
>>64
https://en.wikipedia.org/wiki/Eruption_of_Mount_Vesuvius_in_79#Date_of_the_eruption
8月24日説の根拠になっているのは噴火の二十数年後に小プリニウスがタキトゥスと交わした書簡に書かれてる日付が元になっていることだった
ただこの書簡集の一番古いバージョンは1508年に印刷されたものでそれより古い物が残っていない
そして最近の発掘では見つかった犠牲者の遺体に厚着をした痕跡が残っていたり、ザクロの実や大量のワイン壺が見つかった
そこから噴火が起きたのはザクロが成熟し、ワインの醸造が終わったばかりの肌寒い時期ということで10月ではないかという説が出てきた
さらに夏の時期の風向きではポンペイに火山灰が降らないということも8月ではないという傍証になっている
全くの妄想だけど、まだまだ神様などなどとの距離が現代よりも近い為に、神の怒りをくらった様な災害は隠蔽したのかもね。
そりゃ、話題にはなって皆語り継いだろうけども、文章とか絵とかには残さなかったみたいな。それでも、少しは誰かが書いたみたいな。
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1539840188/
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