アカル参謀総長は、トルコ陸軍設立2226周年を祝福するメッセージを発表し、
「トルコ陸軍は、地域と世界の平和、安定、平穏、安全の最も重要な
後ろ盾のひとつであり続ける」と述べた。
アカル参謀総長は、トルコ陸軍は、トルコ軍の礎のひとつであり、
大きな自己献身で活動を続けていると述べた。
https://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2017/06/27/zhu-torukolu-jun-she-li-2226zhou-nian-akarucan-mou-zong-chang-karanozhu-fu-metusezi-760162#:~:text=%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E9%99%B8%E8%BB%8D%E3%81%AF%E3%80%81%E8%A8%AD%E7%AB%8B2226,%E3%81%82%E3%82%8A%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%A8%E8%BF%B0%E3%81%B9%E3%81%9F%E3%80%82
突厥の前からトルコは存在した
トルコは突厥だよ
そもそもモンゴルはトルコから派生した集団だよ。
両者を明確に分類することは無意味だし不可能。
じゃあ俺ら日本人もトルコなのか?
日本人とトルコ(チュルク)人は、一方から他方が派生した、という関係にはない。
常染色体どころかハプログループも全然違って完全に別人種
言語以外はトルコ人とサハ人の違いは日本人と韓国人の違いよりもはるかに大きい
トルコ人は肉体的にはただのギリシャ人とペルシャ人のハーフでしかない
ロシア人とモンゴル人の差とどっちが大きい?
>>10
Yハプロ(TU:トルコ、MO:モンゴル、RU:ロシア)
https://i0.wp.com/nekhbet.com/yhaplo.png
ミトコンドリア
どっちも同じぐらい全然違う
むしろトルコ人とロシア人の間の方が近い
これみると
ギリシャとペルシャハーフっていうか
もっといろんな民族がいるな
匈奴の首脳部がオスマン家の先祖につながる部族だったかどうかわからない
アッバース朝の時代から多くのテュルク・モンゴル系の人々がマムルーク(奴隷軍人)として活躍していたのだから。
モンゴルに、トルコ博物館
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20160715_132204.html
2016年07月14日付 Hurriyet紙
トルコは、トルコ人の歴史を語る遺産を保護し、後代の子孫に残すためモンゴルに博物館を開く予定だ。
TİKA(トルコ協力開発機構)によってモンゴルの首都ウランバートルのナライハ市にある
ビルゲ・トニュクク碑文の周囲で考古発掘が行われ、ここで出土された品々のため、博物館が設立される予定だ。
突厥時代に関する歴史的な出来事を物語る碑文には統一の言葉が記されており、
国の指導者らが優秀な側近を持ち、その側近らと一致して働くことで大事業が成ると強調されている。
碑文が記された日付ははっきりとは分かっていないが、研究者たちは724年から725年のものであると発表している。
■当時はキュッリエだった。
アフメト・タシャール教授は発掘が行われた地域がトクズ・オグズ族の地域であると述べ、以下の情報を伝えた。
「ここは昔のトルコ部族の最東の境界である。これ以降にはモンゴル人が居住する。TİKAはここに博物館を開くことを計画している。
今やトルコが遺産の保護にあたっているのだ。碑文は現在、元の場所にある。その左右には像が立っていたに違いない。
ここは当時、人々や後代の子孫に教訓を得さしめよと、目的を書かせ、儀式の場が作られた一つのキュッリエ(複合施設)であった。
アタテュルク廟のようにシンボリックな壁があった。
第二次突厥国がどのように作られ、敵とどう戦い、内外の敵に如何にして団結し、これらを防いだかというものである。
国家をどう運営するかについても記述がある。」
プロジェクトの最終段階では、碑文のオリジナルの保護のため、博物館に改装される建物に運ばれ、
元の場所にはレプリカが置かれることになっている。
キュッリエ地域は環境整備が行われ、観光用に開放される。
トルコの歴史の中で最古の文書であるビルゲ・トニュクク碑文へのアクセスを容易にするため、
レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の指示でTİKAによって約500万リラに相当する11キロのアスファルト舗装道路が敷かれた。
あれはモンゴルっぽい
おめぇ田舎モンだろ?本物のトルコ人見たことあるか?
いや絶壁多いよ
アジア人よりやばい
お前やっぱカッぺだな
トルコ人のオッサンて大体つるっぱげやけどみんな卵みたいな形の頭やぞ
(岡田英弘「チンギス・ハーンとその子孫」から引用)
テムジンという名前の意味であるが、モンゴル語でもトルコ語でも「鉄」をテムルというから、これに関連のある名前であろう。
「鍛冶屋」だという説があるが、「鍛冶屋」はテムルチであって、テムジンではないから、正しくない。
イェスゲイ・バートルとホエルン・ウジンの間には、テムジン(チンギス・ハーン)を頭として、四人の息子と一人の娘が生まれた。
次男はジョチ・ハサルといった。三男はハチウン、四男はテムゲ・オッチギンといい、娘はテムルンといった。
ハサルは「猟犬」の意味である。オッチギンというのは「末子」の意味で、もともとはトルコ語である。
トルコ語で「火」をオト、「君主」をティギンといい、これをいっしょにしたオッチギンは、文字どおりには「火の君」を意味する。
と沸き立っていたようだが当の中国人は??????だったようだ
というのも中国人にとっては匈奴と言うのは日本史で言う蝦夷や隼人の位置づけでかつて異民族だった
自分たちのルーツの一つと言う認識
独孤、呼延、赫連、宇文といった匈奴の主要部族は現在では漢族として生き残っており彼らの方が
現代トルコ人よりよほど由緒正しい匈奴の子孫である
復元、南スペイン7500年前の女性の顔 はるか東のトルコのDNAが9割の理由(NIKKEI STYLE) – Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/c961d403004019c8748f32cf1bdf5140839b2735
10/3(土) 10:20配信
地中海に浮かぶサルデーニャ島の人々の遺伝子から、アナトリアの遺伝子が高い割合で見つかっている。
このことも、アナトリア人が陸路ではなく、地中海を渡って西に移動したという説を補強している。
匈奴は現在のモンゴル人の祖先でモンゴロイド
集史だと故地に残った純血のトルコ人は見た目はモンゴル人によく似ていると
あるからトルコ人も本来はモンゴロイド
ウイグル人は遺伝子的にはトカラやソグディアナ人の末裔
大元はモンゴロイドってわけだな
いいよ。教科書どおり。
サウジアラビアもアルメニアもノルウェーもコーカソイド一括りみたいなもんだ。
一緒な訳ないんだよなあ
トルコ人はギリシャ人とペルシャ人の混血で
ウイグル人はトハラ人と支那人の混血
使用している言葉が近い
アングロサクソン系白人とアメリカ黒人と同じぐらい人種的に近い
預言者ムハンマド(S)(570頃-632)の言行録ハディースにテュルク・モンゴルに関する記述がある。
彼(S)が生きていた時代のトルコ人は現在のモンゴル人に近い東洋人の風貌をしていた、と推察できる。
東洋人の風貌をあらかじめ知っていなければ、以下のような具体的な言葉は残せないだろう。
サヒーフ・ムスリム フィタン及び最後の時の書
墓にとどまることを願う男について
http://www.muslim.or.jp/hadith/vol3-747-2.html
アブー・フライラは伝えている
預言者は言われた。
「“最後の時”が迫る頃には、あなたたちは、毛で作った靴をはいた人々と戦うであろう。
また“最後の時”が迫る頃には、あなたたちは、目が小さく獅子鼻をした人々と戦うであろう」
アブー・フライラは伝えている
アッラーのみ使いは言われた。
「“最後の時”が間近になる頃には、ムスリムはトルコ人たちと戦うであろう。
彼らは、打ち金付きの楯のような顔をし、毛織りの衣服を着、毛で作った靴をはいて歩く人(注)たちである」
(注)チンギスハーンやチムールの侵攻を指すとも言われる
アブー・フライラは伝えている
アッラーのみ使いは言われた。
「“最後の時”が目前に迫る頃、あなたたちは、毛製の靴をはき、打ち金の楯のような顔付きの飲酒のため顔を赤くした目の小さい人々と戦うであろう」
ウイグル族と回族は同じものだと思ってた
>>57
辛亥革命直後の中華民国では主要民族を「漢滿回蒙藏苗瑤」って言ってて、この時点での「回」は確かにウイグル族を指してたよ
いつ変わったのかは分からんけど少なくとも中華人民共和国が1950年代に行った民族識別工作で出てくる「回族」はウイグル族(維吾爾族)とは違う民族を指す
中共版の「回族」は代々イスラム教を信仰してきた人たちを一纏めにした区分やから出自は様々で、
福建省なんかの回族はインドペルシャアラブ商人の末裔って言われてるし、雲南省には普通の漢族だった人たちが色目人による統治の結果回化した人が多くいる
福建回族系の友達がおるけど明らかに周りよりガタイがでかいし顔も堀が深いな
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1601586150/
コメント