政治、軍事、気候、宗教、特産品、文化、人物、都市伝説等…
何でも良いんでカルタゴについて語りましょう
スペインの地名カルタヘナ(Cartagena)、バルセロナ(Barcelona)は、それぞれカルタゴ・ノヴァとバルカ家から取ったらしい
また宮城県石巻市の桃生地区はアラブの春以前からチュニジア(旧カルタゴ)と友好関係にあり、現在もチュニジア通りという道路が存在する(但し、チュニジアっぽさは全くないただの道路である)
生贄については子供の集団墓地があるとかそういう話しがあるみたいだけど、確定ではないみたい
ユリウスケはカルタゴ扱いしないの?
ユリウス・カルタゴ植民市の事?
良いんじゃない?
>>5
あ、そういえば
カルタゴの主審はハモンさんでしたか
羊とニホン角だったかな
バアル・ハモンは色んな神様と融合させられてる気がするね
二本角の主はじめ、色んな異名があるし
それに山羊は今でこそキリスト教において邪なものの象徴だけど、本来は清いものに含まれていた
>>37
ヤギでしたか、すみません
>>8
そういえば塩田は有名でしたが
塩はあんまり輸出しなかったのかな?
まぁ、塩田はカルタゴっていうか
フェニキアの特徴のような気はしますが
使役していたらしい
それらの奴隷は人さらいの犠牲者だけでなく、カルタゴがサルデーニャや
シチリアやアフリカ本土での戦いで獲得した戦争捕虜も多く含んでいた
市民優遇は素晴らしいけど、維持する為にはやはり誰かしらの犠牲が必要になるんかな
貝紫はロイヤルパープルとか言われて凄く重宝がられたんだってね
日本でも貝紫の染物やってる所があるけど、作るのにもの凄く手間が掛かるらしい
>>9
小麦もあった
>>8
エジプト製の護符、スカラベ、軟膏瓶、ギリシア製の陶器、テラコッタ製の小像類、
フェニキア製の象牙細工、ガラス製品、貴金属細工なども
サンクス
ガラス製品まであったとは驚きだね
ワインを醸造していたらしいから陶器はあったんだろうけど、流石商業大国
変装も得意?だったみたいだし落ち延びて別の人生歩んでても、あの人の場合ありそうと思ってしまう
詳細を語ってほしい
ザマなんか目じゃないくらいの大敗喫してるな
300000対55000でボロ負けするってどうなんだ
ポエニ戦争の方ばかり注目されるけど、この戦いもカルタゴを語る上では欠かせない
>>12
ザマの戦いは完全に消化試合だけど
ヒメラの戦いはカルタゴの未来を左右した
世紀の一戦ですからね
もしかしたらギリシャの命運すら変えた可能性すらあります
フェニキア人、カルタゴ人だけでなくリビア人、イベリア人、リグリア人、
サルデーニャ人、コルシカ人等からなる、いわばカルタゴ帝国の全土から
集められた大連合軍だった
軍船だけで200隻を上回り、さらに3000隻を超える輸送船を伴っての大遠征だった
不幸にも航海中に大半を失ってしまったようだけど
当時のカルタゴは確か王制だったけど、この大敗のせいで共和制になっていったと聞く
カルタゴ軍が油断していたとはいわないが、敵地で兵を募る以上は間者の潜入は警戒すべきだった
不運が重なったけど、この軍勢がBC3世紀まで健在であれば、地中海の歴史も大きく変わっていただろうに
東ではティルスがぬっころされて
カルタゴとしてもほぼおしまいdeath
カルタゴと言えば歴史文学作品ではあるが
フローベールの「サランボー」は外せませんね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%B5%E3%A9%E3%B3%E3%9C%E3%BC
『サランボー』(Salammbo)は、1862年に発表されたギュスターヴ・フロベールの歴史小説。
『ボヴァリー夫人』(1857年)に続く2作目の長編小説で、第一次ポエニ戦争後の古代カルタゴを舞台にしている。
「サランボー」はカルタゴの将軍ハミルカル・バルカ(ハンニバルの父親)の娘という
設定の女性の名で、この人物はフロベールの創作である。
巫女であった彼女は、戦争後に起こった傭兵の反乱において、
女神タニット(英語版)を祀る神殿から奪われた聖布を取り返すよう命じられ、
ひとり反乱軍の指導者マトーの天幕を訪れる。
彼女は聖布を取り返すが、彼女に恋焦がれるマトーと一夜をともにしたことによって彼女自身もマトーを愛するようになり、
反乱の鎮圧後捕えられて儀式の生贄となったマトーの姿を見て煩悶のうちにタヒぬ、という筋で、
ロマン的な主題ながら写実的な表現技法がとられている。
西洋古典学辞典にも、ハンニバルの末の姉さんの名前がサランボーと書かれていたけど創作だったんですね
この小説は読んだことがないのですが、カルタゴ関連は歴史から抹消されたが故に後世の人々を惹きつけるものがあるのかもしれません
実に興味深いので、機会があれば読んでみたいです
>>24
サランボーを検索してたら偶々見つけました
「大秦とセレスの時代 S.P.Q.R/ エーラーン・シャフル /大漢 (ローマとパルティア・ササンと漢晋)」クリック
→「映画小説音楽」の「地中海世界」クリック
→「古代ローマの歴史映画・歴史テレビ番組」
http://zae06141.client.jp/romafiction.html
古代ローマの歴史映画・歴史テレビ番組
現代の小説
http://zae06141.client.jp/othersfiction.html
古代地中海世界
カルタゴが絡んだ映像作品、小説でそれぞれ数作品あるようですね
元のサイト主さんがローマ物だけでなく中国、イラン、インドの映像や小説も挙げてるので
今後観たり読んだりする参考になるかと思います
映像作品・小説が古かったり絶版してるようなものは
海外サイトや図書館&古書店頼みになりますね
>>54
補足
映像作品、特にサイレントや50~60年代の史劇ものは
傑作もありますが概して大味なのが多いし
小説もサランボーみたいにそれこそ100数十年前の作品なら
必ずしも読みやすいとも限らないので、その辺は考慮が必要だと思います
1960年代はハンニバルブームかローマ周辺国ブームでもあったんですかね
随分作品が多いように感じます
強者であるローマが綴った歴史書だけではなく、周辺国の情報を得ることで、よりカルタゴの本来の姿やポエニ戦争の真実が見えてきそうですね
小説や映画であってもベースとなる史実は調べているでしょうから、興味深いです
>>56
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%BD%E3%BC%E3%89%E3%B5%E3%B3%E3%80%E3%AB
>ソード&サンダル映画(剣とサンダル、Sword and sandal / Pepla, 複数形:peplum, ペプラム)は、
>聖書や古典古代(Classical antiquity)の時代を舞台とし、
>神話や歴史の物語に基づくがおおまかで、不自然な筋を持つ冒険映画またはファンタジー映画のこと。
>古代ギリシア・ローマ、あるいは同時代の周辺の文化(古代エジプト、アッシリア、エトルリア、ミノア文明)の歴史・神話に基づいた
>ほとんどの映画は「ソード&サンダル」の叙事詩的映画(Epic film)である。
>このジャンルの映画が多く製作されたのは1958年から1964年の期間だが、2000年以降になってまた作られはじめた。
作品自体はB級的な作品ばかりだとは思いますが
時代考証とか美術とかは参考になるでしょうね
2000年代からこの手がまた増えたのはやはりグラディエーターのおかげなんですね(;^ω^)
https://en.wikipedia.org/wiki/Sword-and-sandal
英語版の方が映像作品リストは充実してますね
ソフト化してないのは動画サイトとかで(当然英語や他の外国語でしょうが)観るしかないでしょうね
絵とか残ってるのかな?
>>26
そういえば、アッシリアの壁画に
船と船員のレリーフが残ってた気がするが
これもよく考えたらフェニキアですね
本国とは風俗とかけっこう違ってるのかな?
>>39
フェニキア文字とポエニ文字が少し違うように、恐らくはフェニキア人の文化にギリシャや周辺国の物が混ざっていき、独自の物を作り上げていったのではないでしょうか
先日カルタゴの美術品図録を落札したので、到着したら写真を何枚か載せますね
>>40
ハンニバル・バルカの関係者だけでも
ハンニバル→爺様、部下、本人
ハミルカル→父様、息子?
ハシュドゥルバル→義兄、弟
マゴ→弟、親友
ローマでも大スキピオは父様と同名だそうで、バリエーション豊かではなかったようです
>>42
あら、高尚な趣味をお持ちで
このスレで出てないのは
貝殻の彫刻とか
お面みたいなのですかね
フェニキアとポエニって
同じ言葉で違うものを指すようになってしまったような気がするのですが
そもそもフェニキアって在ったのだろうか?
かつては海戦で地中海の支配者となったんだから軍事に関してもそれなりに研究はしてたんだろうけど、陸に関してはやはり強い兵隊によるファランクスが主流の戦略だったんだろうか
カルタゴでは負けた将軍は生かしておかないって言うけど、負け戦を反省出来ないのは痛いね
あと噂では大スフィンクスの下にこれまでの歴史を記した記録の間があるんだとか
これらが発見されてカルタゴの真の姿が分かる日が来るかも知れないと思うとワクワクが止まらない
ローマ人が160cmくらいだったそうだけど、フェニキア人の男性全体がこの身長だったのか、彼だけ特別デカかったのかチビだったのかは不明
よく日本とカルタゴの戦前戦後が似てるとか言われるけど、もしそうなら根本的な考え方が似ててそうなってるんだろう
戦前は玉砕とか、自己犠牲とか、美徳みたいになってたからな
トフェとかいうカルタゴの遺跡から炭化した子供の遺骨が大量に発見された
またローマの方ではカルタゴは生贄を捧げる、といった話しが伝わっているからそういう風習があったのではないかと言われている
ただし、子供の為の集団墓地の可能性、ローマが自身の正当化の為にカルタゴを(我が子すら手に掛ける蛮族と)悪く言っていた可能性はある
因みに生贄自体はローマをはじめ地中海界隈では公にせずともわりとやってたようだ
カルタゴの生贄は長子(長男なら尚よし)とされたという
一般にはハンニバル・バルカは長男という扱いになっているが、西洋古典学辞典では上に姉が3人、次女と三女の間にパルサーリア(ヌミディア貴族二人と婚姻関係)という人物が書かれている
犠牲を美化し、長子(若しくは長男)を生贄と捧げる事を誉れとする風習があったのなら、記録に残らなかったハンニバルの姉か兄が存在したのかも知れない
カルタゴ人って名前のバリエーション少なかったんかな
いるそうだがカルタゴについてはどう思ってんのかね
第三次ポエニ戦争で多くの市民が犠牲になったけど、ハシュドゥルバルはじめ生き残った市民は奴隷として売られたそうだよ
ローマの支配下なら解放奴隷になる事もできたし、セプティミウス他ローマ皇帝の中にもカルタゴの子孫ぽい人がいる
自由の身になったカルタゴ人達がチュニジアやレバノンで暮らしていたとしても不思議ではないよね
いや寧ろカルタゴから風呂の文化がローマに伝わったんじゃないだろうか
造船技術に関しては、とくに新味を付け加えることはなかった
オールの列を増やすことによって、船の積量と軍船の攻撃力を増大させたのは、
ギリシア人の功績である
ローマに負けたのなら更に工夫してその上を…
って負けた将軍はタヒななきゃいけないんだっけ
それじゃあ成長出来ないよね
ポエニ戦争敗戦後のカルタゴの復興は目覚ましかった
なんと敗戦から10年後には、50年賦で課せられていた莫大な戦争賠償金を、
前払いで一括返済したいとローマに申し出るほどになっていた
地中海での商業活動は再び活発になり、街には巨大な建物がそびえ、
そのうえ軍港も着々と整備されていった
第二次世界大戦の敗北後、目覚ましい経済復興を遂げた日本みたいだな
よくカルタゴは日本と似てるって話しを聞くよね
商業や農業で敗戦後も経済大国に戻っているけど、平和的な国であれば(軍事に力をいれていない)他国から攻められることはないと思っていたのだろうか
西洋古典学辞典に見えるサランボーの名
右側のハンニバルというのはハンニバル・バルカの事
salammboは小説の中の架空の人物とされるが、どうもそういう地名はあるみたい
カルタゴ港の直ぐ南にあるみたい
http://imepic.jp/20201013/397790
カルタゴ美術品図録が届きましたよ
とは言え、殆どはローマ時代のものです
その中で見つけたカルタゴ時代の人物像をアップしますね
http://imepic.jp/20201013/790720
http://imepic.jp/20201013/790721
http://imepic.jp/20201013/790722
服はローマとの差がわからんですね
ヒゲぐらいか
長いチュニックの様な物を着て、カルタゴ式の拝礼である右手を挙げた姿です
左手を胸に置いているのはこの人物が故人である事を表しているそうです
女性達は頭から布をかぶっている様ですが、ベールとヒマティオン(ギリシャの袈裟懸けに着るドレス。トーガの元となった)だそうです
因みに全身像の女性が持っている丸い物はタンバリンです
ほほぅ、タンバリンですか
楽器なんかは地域色でやすそうなんだけどなぁ
とはいえ限られた資源で作った服ともなると、地中海辺りは皆同じ様なものかもしれません
服装まで合っているかは分かりませんが、カルタゴで発見されたフェニキア人の遺骨から再現された男性の姿を載せますね
http://imepic.jp/20201013/805710
http://imepic.jp/20201013/805720
身長はおよそ175cm、20前後の若者です
カルタゴの彫像はマヤ文明のデザインみたいな物を想像していたから、女性の頭部を模した像の精巧さに驚いた
ふむぅ、そもそもタンバリンが
アフリカの楽器だったりする可能性もあるのか
伝統の品かと勝手に想像してたのだが
叩いてリズムを取れる打楽器は世界のあちこちで自然に生まれていたんだろうね
カルタゴではどんなリズム、メロディーが奏でられていたのか、とても興味がある
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1601702440/
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