【戦国時代】「直江状」「愛の兜」で有名な直江兼続について知っていること
直江の前立てには他に普賢菩薩の前立てもあるし。
2ちゃんの煽りレスといい勝負だなw
直江直筆のものはないけど、直江の書状みて
激怒したというからまぁ似たような内容だったのかな
手紙の書き方を習う時に過去出された手紙を写して練習するんだが
この手紙のお手本の中に直江状も含まれていて、それで直江状は有名なんだそうだ。
このお手本に選ばれたのは直江のタヒ後50年後ごろ。
ただし快文として名高い直江状だが、当然他のお手本書状に比べても
圧倒的に長いので、内容はともかく写しのお手本としてはあまり人気なかったらしい。
確かに学校の宿題でどれか一つ写してこいといわれて
平均4ページ程度の課題の中、20ページほどもある課題を選ぶ奴は少ないわな。
徳川に挑戦する内容の文書が教養文として流通してたのなw
江戸時代って意外に自由だね
>>23
上杉が関ヶ原の際滅ぼされていたりしたらそうはならなかったと思うが
江戸時代もしっかり上杉家は存続しているから。
関ヶ原は徳川家康が豊臣家分断を図った戦いだったから
正直毛利も島津も上杉も東西から利用されただけ
だから大名家として存続したし、
余り徳川家から世間にめくじらを立てるほど敵意を露骨には示さないと思う。
毛利厨や織田厨や武田厨なんかはあんまり介入してないように思える。
伊達厨か、もしくは最近、美化増長ぶりが激しい最上厨あたりか。
アンチ呼び込んだ奴も馬○だが、あの荒れ様は凄まじい。
おかげで他上杉スレが荒れないから隔離スレとして活用。
マジくだらねぇヤツだよ。
一時は上杉を貶すために葦名スレや日本史板や大河板にまで爆撃コピペしやがったし。
また彼自身が長じて後は誰と誰を稚児として寵愛したのでしょうか?
ついでに
直江兼続物語~米沢二十年の軌跡~遠藤英800円新潟日報事業社
の両著を買った。
前著は米沢市市政施行50周年記念として1938年に米沢市長の肝煎りで配布された米沢市公式直江伝記(非売品)の復刻版だという事らしい。
後著は米沢市出身の高校教諭のものらしい。
ヒマ潰しに丁度良い分量だった。
直江兼続の『四季農戒書』の一節
「年貢を納めなければ女房を質にとられ、中間や小者の慰みものにされ…」
(年貢を納めないものは女房を売り飛ばして、中間や小者の慰みものにするぞ)
他にも農民を牛馬の如くこき使う記述もある。
そのおかげで、農民の逃散が相次ぎ上杉領は荒廃した。それから、約100年後に上杉鷹山が登場し藩政改革を行うことで
ようやく上杉家は立ち直るきっかけをつかむのだった。
愛の義(偽?)将、直江兼続…
その愛染明王は愛欲や煩悩や友愛円満の神様だから
なにも違ってないよ
儒学的な仁愛とか愛宕神社の愛は聞いたことがあるが、愛染明王は聞いたことないなぁ。
『義』とかなんとか云っても当時のただの宣伝用のキャッチフレーズなのにね
アメリカ軍が『民主主義』とか『自由』を掲げて戦争やっているのと同じ感覚
アメリカ軍のスポークスマンの言うことを鵜呑みにして、アメリカ軍は民主主義や自由のために戦っているんだって
思っている人がいたら正真正銘のア○でしょ
要するに直江兼続を義の将とか本気で思っている人は、ただのア○だな
風林火山の山本勘助もそうだ
それに大石内蔵助もそうだから赤穂浪士関係はみんなそう。
それに最後を除けば豊臣秀吉も西郷隆盛も大久保利通もそうだ。
別に珍しくも何ともないなw
で、兼続って軍略や統帥の面での評価はどうなん?
経歴をざっと見た感じだと、あんまパッとしない感じなんだが
印象としては正史の孔明みたいな感じがしたな
宰相としての内政面での功績が目立つところとか、軍事面での成功が少ないところとか
兼続はあくまでも景勝の腹心。
軍事能力は合格点ぐらいで、歴戦の名将には勝てない。
行政能力は優等生だが、トップではないので、やれる事に限界を感じる。
直江兼続で評価すべきは、やはり教養・人望・忠誠心の高さにあろう。
どれか一つでも欠落していたら上杉も早々に滅びていたんじゃなかろうか。
すげ~濃くて面白ぇ~~~!!!
他の大河関連Bookがあほらしくて読めなくなった。
>>93
今度、機会があったら読んでみたい
秀吉が兼続を30万石で引き抜こうとしたが、それを断った。
天正20年(1592年)豊臣秀吉の命で朝鮮出兵(文禄の役)した際、
直江兼続が肥前名護屋で済世救方300巻を書写し、後に幕府に献上され
副本を藩校興譲館が所蔵していたが、明治4年に副本も文部省に徴収された
とした1908年の伊佐早謙氏「稿本清覧録」の記載は誤りである。
済世救方なる書は、中国、朝鮮、日本何れの国にも刊行の記録が無く
発見もない。興譲館にも文部省にも所蔵の記録がない。300巻にも及ぶ
大書が歴史上これほど記録がないということはまずあり得ない話である。
つまり済世救方は存在しない本である。
聖 済 総 録
元文5年(1739年)藩士 山田近房の「米沢雑事記」は、直江兼続が
「聖済総録200巻」を書写したと記載している。聖済総録は中国の北宋で
刊行され日本にも伝わった記録がある。藩校興譲館の歴代の図書目録には
明治4年まで所蔵し、その後文部省に徴収されたと記録がある他、
文部省側の東京書籍館(現在の国会図書館)にも公文書として記録が
残っている。献上の話であるが江戸幕府の保科正之に米沢藩から漢籍を
差し出した記録は確かにあるが、その中に聖済総録の文字は見当たらず、
献上の話も誤りである。
兼続の蔵書には貴重本も多かった。
『宋版史記ソウハンシキ』(90冊)『宋版漢書カンジョ』『宋版後漢書ゴカンジョ』に至っては、後年、国宝に指定されている。
言うまでもなく、いずれも中国の歴史書で、11世紀末頃、中国の宋時代に刊行された事から「宋版」のただし書きがつけられている。
これからの史書は、京の禅僧・南化玄興ナンカゲンコウから兼続に贈られたものだ。
儒学や漢文に造詣ゾウケイが深く、織田信長や豊臣秀吉からも尊崇ソンスウを集めたという南化和尚であった。
※現在『宋版史記』(90冊)は、国立歴史民族博物館に所蔵されている。
偉い人だったと分かりました
今は不遇の時代となりましたが、今も慕う人達や、ものの分かる人達が守ってくれると思います
残忍酷薄な兼続の真の魅力がふんだんに盛り込まれている。
ドラマのように夫婦愛、民衆愛のような領主ばかりなら
民主主義じゃなくても良かったってなるもんね。
力が全ての修羅場でいかに決断したかが問われる。
謙信暗○説や景虎正統後継者説を世に先駆けて
発表してきたらしい作者によるこの本は
俺にはドンピシャと来た。
『古文真宝後集抄』は国内にあったものだし
筆写した『済世救方』は実在しないっていうし…
『宋版漢書』も『宋版史記』も違う。あれ、持ち帰ってきた話自体嘘?おしえて、えろいひと
当時の明治政府は、各藩にある良書を集めようとしてたから、その政策から兼続の蔵書を守る為に、朝鮮の役で集めたものと虚言して、米沢藩は南化和尚から贈られたりして集めた兼続蔵の貴重本を守った、という事。
大坂の陣で直江は将軍から感状を拝領して表彰されてるのに、「義」だの三成との友情()だの笑わせてくれる
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1226330959/
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