【謎】中国だけじゃなく古代ローマにも宦官がいたの?
古代ローマに宦官がいたの?
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
1 名前: えせうどん 投稿日: 2000/11/27(月) 02:17
辻邦夫の「背教徒ユリアノス」を読んでたら宦官が出てきたのですが、 古代ローマに宦官っていたんですか?
なんかローマのイメージに合わない
教え請う
2 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2000/11/29(水) 10:54
キリスト教普及以前のことでしょう。
キリスト教はチン切りを認めません。
3 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2000/12/04(月) 03:38
チンなの? タマじゃないか?
どーでもいいが、宦官の写真見たがクシャおじさんみたいだった。
ホルモンの関係かな?
4 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2000/12/04(月) 12:29
>>2
実際にはビザンツ帝国(ギリシア正教)には宦官がいた。
古代ローマはわからないが、中期以降の皇帝はシリアとかアラブ系がいるから、彼らが宮廷に持ち込んでいても不思議ではない。
2: 2010/09/11(土) 22:15:07 0
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
5 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2000/12/04(月) 17:56
源氏物語の写本が膨大な数に上り、国学の最高峰である本居宣長も絶賛したように、 性に大らかな日本とは違って、性を厳しく管理する地域は枚挙に暇がない。
近代以前のヨーロッパでは、女性が性に淫らになるのを抑制するためと称して、 貞操帯を付けたり、クリトリスを除去したりと、色々やっている。
6 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2000/12/04(月) 21:02
アフリカでは、未だにクリトリス切除や大唇陰縫合やってますね。
東部ソマリア近辺だったと思う。
7 名前: 名も無き冒険者 [sage] 投稿日: 2000/12/05(火) 23:42
ニューハーフ皇帝のヘリオガバルス(エラガバルス)ってどんなもんだったんでしょか?
8 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2000/12/06(水) 17:02
ジーモンカモォ~~~ン♪
9 名前: ZZZ 投稿日: 2000/12/06(水) 17:44
オスマントルコにもいたそうな。
ってことはおもに中近東から東アジアにかけてそういう風習があったわけだからやっぱりこれも遊牧民由来か?
でも人口の少なさに悩んでたのが彼らの歴史だしな。
ドナタカジョウホウモトム。
10 名前: 名無しさん@いろいろあるね。 投稿日: 2000/12/10(日) 13:03
世界の中でも宦官がいたのって中国だけじゃなかったっけ?
あ、もちろん去勢っていう処罰がないってわけじゃないけど。
去勢された男を宮中の役人として使っていたのは中国だけって聞いた事あるけど。
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
11 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2000/12/10(日) 13:51
>>10
そうでもないぞ。中央アジアの遊牧民には意外と宦官が多かった。
タマは馬上戦闘の際非常に邪魔になるため、戦闘員としては重宝されたとか(笑)。
宦官から王になったのもいる。
後宮がある中央集権体制のところならかなり宦官は多いだろう。
12 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2000/12/10(日) 15:47
去勢手術って遊牧民なら誰でもできるハズ。
家畜の去勢をするからね。
>宦官から王になったのもいる。
アフシャール朝イランのアーガー・モハンメドとか?
13 名前: パシャパシャ 投稿日: 2000/12/11(月) 00:04
中世ヨーロッパには、カストラートがいますねこれは子供のときの声を維持するために、睾丸を取ってしまうんですよね。
(今は、とらないでそれに近い音域を男の人が出していますよね(カウンターテナー)米良さん)
それで成功すればよかったが売れないカストラートは、悲惨だったようです、ところでカストラートてなんでなくなったんだっけ?
14 名前: ネブラスカ 投稿日: 2000/12/17(日) 02:22
キュベレー信者は信仰の最終段階で自ら生殖器をささげた、 というのをどっかで読んだような気がする。
当然キリスト教国教化以前だろう。
15 名前: 10 投稿日: 2000/12/21(木) 10:56
>>11
そうだったんだ。
教えてくれてありがとう。
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
16 名前: うはうは 投稿日: 2001/01/27(土) 14:35
聖書にも割礼って載ってるじゃん。
17 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/27(土) 15:47
コンスタンティウス2世(ユリアヌスの前の皇帝、コンスタンティウス1世の子供)の時代に宦官を多く用いたと聞いたことがあります。
アルカディウス帝時代のエウトロピウスとか、ユスティニアヌス時代のナルセスは政治的権力も持っていました。
ただ、秦の趙高に代表される、宦官というシステムの弊害があったというような話はないようです。
アケメネス朝ペルシアとか古代エジプトに宦官がいたのは間違いないはずです。
中国の宦官が有名なのは、あまりにも大きな弊害があるにも関わらず、巨大な後宮を維持する為には廃止できなかったからです。
18 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/27(土) 18:30
ユティニアヌス帝の時の将軍のナルセスは宦官だったと記憶しているけど。
19 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/27(土) 22:53
宦官は世界中であった。
中国、朝鮮、ベトナム、インド、アラビア、トルコ、エジプト、中部アフリカ、そしてローマ。
キューベレーだけじゃなくてキリスト教でも去勢する派があった。
アレキサンドリアのオリゲネスが有名だけど、カトリックの中にもあった(ルターの文章の中に去勢した友人の修道士に触れた部分がある)し、異端ならばロシア正教のスコプチ派が有名だ。
あと、宦官にするためじゃないが、性犯罪者の去勢の刑罰なら20世紀になってからもアメリカのデラウエア、ユタ、モンタナなどの一部の州で行われていた。
20 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/27(土) 22:58
スコプチの写真はこちら↓
http://perso.wanadoo.fr/enfant.org/p3.html
ここから解説文に行けるけど英語だよ
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
21 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/27(土) 23:30
>>18
割礼は、棒切りや玉抜きじゃなくて、皮むき。割礼では宦官に
ならんよ。
22 名前: 21 投稿日: 2001/01/27(土) 23:32
>>16
へのレスでした。スマソ。
23 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/28(日) 15:14
>>21
このチン訳の由来は宦官と無関係でないらしい。
聖書の「割礼」を最初に日本語訳したとき、何のことかわからず、中国の宦官を連想して羅切(陰茎を切る去勢)のことだと勘違いして割礼と訳したそうだ。
漢字の「割」には去勢の意味があって宮刑にすることを割勢といってたらしい。
24 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/29(月) 01:39
>>13
①女性歌手の技量が上がった。
②エラスムスなど人文主義の影響で、カストラートが非人道的である、と考えられるようになった。
③ローマ教会がカストラートを禁止した(アレッサンドロ・モレスキが最後)
以上3点が主な原因だった、と記憶しています。
25 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/29(月) 19:46
>>24
建前はそうですが、
>①=というより女性歌手が舞台に立つのが許されるようになった。
>②=というより生活水準の向上でカストラートなんかにしなくても食えるようになった。
>③=元々建前禁止で実態黙認だったが、聖歌隊への女性参加許可で表裏を使い分ける必要が無くなった。
こっちの方が本音かなと思いますが・・・
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
26 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/31(水) 23:54
>25
②=生活向上というより食えなくなったイタリア人は新大陸に移民するようになった.
確かに玉抜くよりそっちの方がいいだろうな.
27 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/01(木) 20:24
>>17
ローマが宦官を導入するきっかけはエジプトを見習ったからだと聞いた
クレオパトラみたいに訪問したとき従者の召使にけっこう宦官がいたらしい
28 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/04(日) 10:24
>>27
なんかの本にローマの貴族がアレクサンドリアの奴隷市場から宦官を買ってきた話が出ていた。
その宦官は玉も棒も取られていたけど、なんでも少年奴隷を買って、買主が宦官奴隷にしたいというと、その場でちょん切ってくれるとか。
29 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/05(月) 21:38
>>28
ウアー、奴隷もつらいね。
30 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/06(火) 21:25
>>28
その場でちょんぎったら傷が治るまでローマに連れていけないような気がする。
最初からちょんぎった奴隷を売っていたのではないか。
31 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/06(火) 22:46
ちょんぎる時ってもちろん麻酔なんか使わないんだよね?(当時は麻酔なんて無かっただろうし)
痛みとかでショックタヒしたりしなかったのかなぁ?
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
32 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/07(水) 21:45
>>31
ある探検家がスーダンのハルツームの奴隷市場のことを書いている
それによるとその市場では少年奴隷が剃刀で無造作に去勢されるが、ショックや出血でタヒんだ場合はタヒ体を荷馬車に乗せて川に捨てるとか。
33 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/07(水) 21:59
>>32
図書館とかで読める?
34 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/10(土) 19:55
>>33
原典は英語
作者は何とかエドワーズだったと思う
普通の図書館では無理でしょう
35 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/11(日) 22:19
オスマントルコの宮殿には黒人宦官と白人宦官がいて、黒人宦官の方が信用おけるということで、位が上だったそうだ。
36 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/12(月) 11:48
エジブトで宦官のミイラは結構発見されている
ミイラにされるぐらい位が高い宦官もいたのだ
37 名前: 世界@名無史さん [sage ] 投稿日: 2001/02/15(木) 01:04
>>36
エジプトの宦官って不義密通で切られちゃった人たちだとおもってたんですけど、登用の途もあったんですねー
————-落ちたスレの冒頭あたり—————–
38 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/15(木) 20:22
>>37
戦争捕虜か奴隷の場合がほとんどだ
捕まって宦官にされたあと元敵国で活躍して出世も十分ありえたようだ
39 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/16(金) 06:13
>>7
>名前:名も無き冒険者投稿日:2000/12/05(火) 23:42
>ニューハーフ皇帝のヘリオガバルス(エラガバルス)ってどんなもんだったんでしょか?
あれは去勢(性器切除)していたという説と、性転換手術(女性器形成)までしたという説と、フリだけで何もしてないという説がある。
40 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/17(土) 03:51
>>ニューハーフ皇帝のヘリオガバルス(エラガバルス)ってどんなもんだったんでしょか?
>あれは去勢(性器切除)していたという説と、性転換手術(女性器形成)までしたという説と、フリだけで何もしてないという説がある。
昔アングラ系で有名だった「FGM」の掲示板でヘリオガバルスの話でてたよ。
十代の少年皇帝だけどむちゃくちゃアナーキーで痛快なガキだったとか。
そこの掲示板で、やつが去勢していたかどうかについていろいろな考察の末、実際に性転換手術が当時可能であったこととやつが性転換手術を受けていたことを論証していたように記憶している。
41 名前: 名無的発言者 投稿日: 2001/02/17(土) 22:27
ヘリオガバルスを語る場合にキューベレー教(去勢教)の影響を否定できない。
彼自身、キューベレーに帰依して周囲に去勢した祭司をはべらせ、信徒が衆人環視の中で自ら去勢するキューベレー祭にも参加していたと見られる。
祭司以外の宦官も多数召抱え、無宿人を居候させて去勢して宦官にしていたという話もある。
だから、確率は低いけど本人も去勢まではしていたかもしれない。
でも、性転換はこの流れからいっておかしい。
————-冒頭あたりはここまで—————–
そんなことはない。性転換手術で難しいのは造膣術であって
女性外陰部の形成はそれに比べると困難ではない。
逆にいうと造膣術の技術があれば外陰部の形成手術は可能。
ところがヘレニズム時代の医術は進んでて
男性(男性器を保持したままの男性の場合と宦官の場合がともにある)が
股間に人工的に代用膣としての孔をあける手術を受けていた者がいたことが
記録にある
>>8のヘリオガバルスについての論争の中でいろいろ出てきてたような気が。
俺はほとんど忘れたが
それでも当時の外科医学では無理だと思う
無理って具体的にどの部分が無理だってのよ?
技術的なことを理系の視点から云々したいのか、
ヘリオガバルスは穴あけてたらしいけどそれがただの噂にすぎないって意味なのか、
あるいはまた他のことなにか、何を言いたいのか具体的にいってくれ
ギリシャの医術が割りと発達していたのは確かだが
ローマ人はギリシャ人医師を人○しと毛嫌いする傾向が強かったと思うが
日本が中国文明から唯一取り入れなかったのが科挙と宦官の制度。
学生時代に教授から教わった理由として、
科挙は日本古来の血筋を重んじる文化があったため却下。(平民は出世NG)
宦官は日本古来の男色を重んじる文化があったため却下。(側近はネコ・タチ両用)
科挙はともかく男色は本当にそうか?
宦官の制度は被征服民を去勢して奴隷として使役するのが起源で、
日本ではそこまで苛烈な民族的対立がなかったから宦官の制度が行われなかったんじゃないの
三田村泰助『宦官』にそんなことが書いてあったと思う
スレ違いだが書いておく
『宦官』を読み直したら、やっぱり日本に激しい民族的対立が無かったことが書いてあった
あとは宮刑が廃止された唐の法律を輸入したことも理由として挙げてる
男色と宦官との関係については、男色が盛んだった福建はまた宦官の名産地でもあったとしてる
そもそも男色が盛んなら宦官は要らないというのであれば、中国には男色がなかったことになるが
漢の武帝とか前秦の苻堅とか、男を寵愛した皇帝の記録はそれなりに残ってる
その教授が東洋史専攻でなくても、人文科学をやってる人だとしたら
教わったことが正しいかどうか全部検証したほうがいいんじゃないか
三田村泰助の書物はあまりあてにならない
隋の時代に宮刑が廃止されたのが日本に宦官が無かった理由というのが全然おかしい
隋の宮刑廃止で逆に唐の時代は自宮宦官の全盛期となり宦官が政府で一定の地位にあった
日本が唐に学んだのは刑罰だけじゃなくて政治制度全般だから
三田村論法なら宮刑は移入されなかったが自宮宦官は移入されなければ変だ
ここでは宮刑と自宮とを峻別する意味もなくなる
ローマの話と言っているのに何故かみな日本と中国の話ばかり……
漢帝国あたりは皇帝が軒並み両刀、哀帝は完全ガチホ○だから、男色趣味が宦官輸入を防ぎはしないだろうな。
『漢書』の男の柔肌云々の迷言を引用せずとも。
光武帝にいたっては実は名前が明らかになってる妻より名前が明らかになってる寵愛した男の方が多い。
家畜の去勢技術が発達しなかった稲作民族の日本じゃ宦官は根付かないよ。
ヨーロッパで定着しなかった理由のが不思議。
キリスト教で一夫一妻が原則でハレム作れなかったからか。
後ゲルマンでは女性の権利認めてたからかな。
ローマ以降はカストラートぐらいしか思い浮かばん。
東ローマではどうだったんだ?
宦官が必要な環境は、圧倒的父系制社会で、
一夫一婦が制度化・イデオロギー化されていなくて、
人口が密集した都市を中心とした強大な王権が組織されていて、
王権が神聖なものとしてその継承が倫理的に必要不可欠とされていて、
なおかつ奴隷制度を支える異民族との交戦や通商があること。
これでやっと後宮と宦官がセットで生れる。
女王・女帝が認められたり絶対神を崇めてたり
地理的に孤立してて他民族との接触がなかったりすると
他の条件が満たされても宦官は生れない。ということだろう。
宦官がある社会が特殊なんだよ。
じゃあ一夫一婦制度の古代ローマに何で宦官がいて
キリスト教国の中世欧州はいなかったの?ってなる
王政ローマは三権分立で、下手すりゃ王より元老院や平民のほうが偉いw
まぁ中世欧州は単純にバチカン・カソリックが禁止したからだろうがね
それに古代では中国に中東から地中海沿岸にかけて歴史上様々な国家が採用しているよね?
どこが特殊?
そんな難しいもんでもないよ
まず宦官制度の発想や他国からの伝来の有無があって
その上で宦官制度のメリットとデメリットを考慮して
採用に値するメリットがあれば実行するって具合でしょ
採用しなかった国家は採用しない何らかの理由(無知を含む)でしなかっただけ
特殊云々よりも、地域文化道徳習慣面から積極的に採用した国もあれば
消極的な国もあり、そして受け容れられない・知らない国もあったってことだけの話
仮に宦官制度が積極的な地域と時代にあって
たとえば戦なんかで有能だけど囚われの身になった戦敗国の高級官僚
戦勝国としては有能なので是非とも取り入れたいが、そのままだと謀反の可能性もある
そこで刑タヒか去勢して国に尽くすかを選択させるといった手もある
去勢されて一般世間に放り出されりゃ男性でも女性でもない片輪者としてまず誰からも相手にされないし
その国家をも裏切れば元の国から勘定して2度目の裏切り、他国からは裏切り常習として有能でもまず信用はされない
必然としてその国家に忠誠を尽くさざるを得なくなる
こんなのも結構多いんじゃないかな?
なにより奴隷制度があったのも大きな要因じゃない?
日常の技術を転用するものであって家畜の去勢技術自体が浸透していない日本では土台無理だった。
だから女人禁制で女達自身で管理運営される大奥になる。
何でチ○ポ切り取るのかって主君の女の身の回りの世話させて手を出させないためだから。
ハーレムが許されないキリスト教下の中世ヨーロッパでも無理。
王の愛人はいくらでもいるがハーレムは許されなかった。
奴隷がはべってたローマとは違う。
既婚の王の周りに未婚の乙女置いとくわけにもいかないから、
人妻と姦通するか、誰かと名目上結婚させてから愛人にするめんどくささ。
後宮のあった中国からトルコの王朝とは違う。
家畜の去勢をやってないことが絶対的な理由にはならないよ
中国の宦官手術はペ○スもタマも一気に両方とも切っちゃう方法だったけど
こんなやり方は家畜にはやらないから人間で練習積んで確立した技術だろ
昔は疾病や出産時のタヒ亡率が高かったから
毎年ある程度の収穫が保証される肥沃な土地柄でないと
安定した人口増加も見込めず、男子を去勢するなんて
まず考え付かなかったろうな。
なんで去勢だけそんなに特殊なメガネで見るのかわからんよ
日本はそもそも家畜の飼育はあまりしてこなかった国だし。
イタリアだけでは?
分裂する前から普通に宮刑と宦官は存在してたけど、広範に
男を捕まえてワザワザ、チン○切りタヒぬまで放置刑にしたとか。
男が去勢される瞬間見に来て興奮したと読んだことある。
ローマて恐ろしいな。
基本いくさ負ければ男は宦官だろ 痛いよなw
カルタゴvsローマの時代はカルタゴは負ければが将はタヒ
英雄かタヒかのリスクのデカい二者択一
約束事に厳格なものの、将は常に背水の陣でタガは緩まないが寝返り裏切りの危険もある
ローマはタヒじゃなくて、内容次第
挽回の機会を与えるか、それとも一線から遠ざけられるか
上手く機能している時はいいが、このやり方だと何れタガが緩む時が来る
宮刑ならプライドが高ければ高い者ほど生き恥として執行前に自タヒに傾くだろう
実質タヒ刑宣告に近いかも?
それともまだ内政や学究方面で汚名挽回のチャンスがあると見る人もいるかも知れない
どちらにしてもカルタゴ/ローマ時代の中間の制裁処置だね
ネロの真意はどうあれ、将のタガを緩めず・タヒじゃないから謀反率も下げるための
よりよい手法とも取れる
最初だからなw
ローマ時代ってこんなに残酷エ○グロ ドロドロなのかーて思ったもんだ
やられるやつは屈辱の極限だな
アフリカやアジアの諸地域・諸都市・諸民族の歴史が、
『西洋古典学事典』に詳しく記されていたぞ。
宦官や男色の記事が随所にたくさん載ってて、読んで非常に面白く、とても参考になった!
買わない人は一生の損失だろうね
聖書に出てくる
欧州はどっちかというとカストラートの関係から近世のほうが頭に浮かぶんだよなあ。
スポールスは有名どころと言えるかどうか。
欧州の産地だとイタリア。最盛期には毎年4000人がエントリー。
19世紀後半まで生産していたからね。
最後のカストラートであるモレスキ(1858年~1922年)はシスティナ礼拝堂聖歌隊員。
もちろんカストラートとしての「同僚」も何人かいた。
スポールスは宦官というよりは性転換かなあ・・・。
後宮で働く宦官やカストラートがあくまでも「男性」なのに対し、
スポールスは「女性」として生活していたわけだから。
そういう意味ではガルスも「女性」なんだよなあ。
スポルスは宦官説もあるな
ネロやクラウディウスの周囲に宦官が多かった事や
重用されたら主君とのホ○ゴシップ流され易かった事などから
スポルスは今でいう宦官そのものだと思うけど
当時の医術で性転換までできたとは思えない
イタリア人以外のカストラートっていたの?
少なくとも後世に名前を残しているのは皆イタリア人だけど。
ハイドンだよ。
ミスなのか故意なのかわからないけど、
wikipediaのカストラートの項目あたりから、おかしな話が広がってる。
そのほか宗教上のものだとキュベレー崇拝とか。
>>126
ガルスな
神話で去勢したアッティスにあやかる儀式で
他の宦官と違い殉教上等なので医療が最小限でタヒ亡率高かった
神話齧ってたからΖΖガンダムの「キュベレイ」と「ガルスJ」でワロタ
ガンダムは分かって名を付けたんだろうか?
中世ヨーロッパなら無理。ヘレニズム時代なら可。
必要や欲求に迫られると無茶を実行するみたい
随分危険で負担は大きかったようだけどな
と思いつきの仮説をあげてみるテスト
中国では古来から男色が盛ん
手術の技術ぐらいはすぐに伝わったんじゃないかな
クレオパトラが宦官の従者を連れてローマに来てから広まったらしいからそのあたりと一致するかも
そのころはローマ人はまだ宦官を知らなかったらしい
宦官の話を読むと、清の時代には手術の失敗は殆ど無かったらしい。
一方で医学史の勉強をすると、リスターが石炭酸を活用するまで創傷管理は惨憺たるものだったとも。
どういう創傷管理していたんだろう。
後宮ある所に宦官あり
日本の内裏の後宮には女官、江戸幕府の大奥には女中しか仕えていなかったのは世界史的には異例
結果的に中国王朝のように、宦官に政治を操られる弊害は免れた
宦官がいても必ずしも政治力を持つとは限らない
むしろ奴隷みたいな身分の場合も多い
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1284210795/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません