栄華を極めたオスマン帝国の末期って、領土奪われまくって悲惨だよな
どんどん領土を広げて隣国にやりたい放題したその過去に起因する
必然的な結末であると申し上げられましょう。
でも唯一幸運だったことは、日本の徳川家のようにはいかなかったけど、オスマン家の最後のスルタンが新政府から国外への亡命を黙認してもらえたことだよな
だから、明朝の最後の皇帝やロマノフ朝の最後の皇帝ほどの悲惨な末路は辿らずに済んだ
売国奴呼ばわりされたにしてはまだ良かったな
現在のトルコ領域はケマル・アタチュルクのお陰
ほんとそれ
ムスタファ・ケマル・アタテュルクがいなかったら今のトルコの国土はほとんどなかったよ
てか国が滅んでいたかもしれない
セーブル焼きで有名なセーブルの町
アラブもギリシア人もいなくなったからな
あれ・・・・クルド人が
純トルコ民族主義を徹底すれば
今の国土だって東半分はクルド独立国かクルド自治領
中世には東ローマとアルメニアの国境線
第一次大戦前はトルコ人とアルメニア人の境界線
第一次大戦後はトルコ人とクルド人の境界線
言語や血統よりも「宗教」が判別の基準となった
トルコ語しか話せなくてもキリスト教徒なら「ギリシャ人」、
ギリシャ語が母語でもムスリムなら「トルコ人」扱いだった
マケドニアに征服されるとギリシャ化したり
自らの言語や文化に愛着が弱い人々だったようだ
アルメニア人やクルド人はギリシャ化もトルコ化もしなかった
東トルキスタンはどうなってるん?
「トルコで私が住んでいたアルメニア人の村の人たちは
都合でよくキリスト教徒になったりイスラム教徒になったりしたものです」
と語っていた
すなわち一刻も早く西欧の技術を習得し、日本人が海軍軍人として、また技術者として
自立することを目指していた
一方、オスマン海軍では、たしかに士官学校に何人かの外国人教官を招きはしたものの、
彼らにとっての西欧技術の導入とは、そのまま外国製の軍艦や大砲を購入することであった
自国に技術的な裏付けがない以上、これらの操作にあたっては、外国人の技師や機関士に
頼らざるをえなかった
その結果、いつまでも一人立ちできなかったのである
民族的モザイク国家であるオスマン帝国は、職業ごとに得意な民族が担当していた
何百年もそうしてきたものを急に変えようとしても、うまくいかなくて当然なのだ
理屈で分かっていても、発想がついてこられない
人々が住んでいると思うかもしれんが、実際は歴史の荒波にもまれ、
西欧人に見下され、過去の栄光(ない国もある)と現状とのギャップから
いろいろ面倒なことになっている
つつましやかな人なんかほとんどいない
差別主義で正当化が好きで
領土の喪失、軍事費の増大、宮廷の奢侈、官僚制の腐敗、徴税請負制などによる
税収の減少など、その要因をあげればきりがなく、これを立て直すことは
もはや不可能と思われた
そして1854年、クリミア戦争の戦費をまかなう目的ではじめて外債に手を染めると、
あとはなしくずし的に外国からの借款を繰り返した
東欧人に幻想持ったらダメ
想像を絶するような差別主義者が多くて、アレは本物の野蛮人と言って良い
日本人ならほぼ全員が彼らの現実を知ったら、心性卑しく嫌な奴らと感じるはず
良心的な人からすると、ひどい偏見を書いていると思うかもしれない
でも少しでも滞在した事がある人なら納得してくれると思う
かつて、ギリシア独立戦争に参加した西欧人は、現実のギリシア人に接触して
幻滅したとか
戦場を生きのびてヨーロッパに帰還した人々は、ほとんど例外なく、ギリシア人に
深い嫌悪感を抱き、かつ憎んだ。そして騙され続けてきた自らの愚かさを呪った
古代ギリシャの継承者はどこにいる?
ゲルマン人の大移動に呑まれて同化してしまったの?
古代ローマの方は、何とか東ローマ帝国として、大航海時代の初期まで生き残ってたが、オスマン帝国に滅ぼされた。
民族としてのギリシャ人はずっと続いてるぞ
「東ローマ帝国」は歴史学上の名称で、
ビザンチン帝国の中心的な民族だったギリシャ人は
国という意味では自らを「ローマ人」と呼んでいたものの
もともとローマ帝国はラテン語とギリシャ語を併用していたので
ギリシャ人のラテン語化は起こらなかった
「セルビア人は気性が激しく、命知らずで誇り高く、ナショナリズムに燃え、
何を仕でかすか分らない民族と知られていた」
と書いてあるんだが、セルビア人に限らずバルカンの諸民族は
みんなそうじゃないのかなあ
国民国家ブームのようなものが起こっていて
民族自立、独立がトレンドだった
カタキ役は多民族の大帝国で、
ドイツ、ロシア、オーストリア・ハンガリー帝国、そしてオスマン帝国
対する不満が高まり、「黒手組」という反オーストリアの秘密結社が組織されていた
イタリア南部といえばマフィアが有名だが、あれは元々は過酷な政治の目を掻い潜って生きなければならない農民たちによる講のようなものだった
それが近代に入ってマフィアという形に進化していったわけだ
東欧とりわけバルカンはローカルマフィアが無数にある
オスマン帝国の太守の目を掻い潜り生きていかねばならない農民がたくさんいた
イタリア南部とまるで同じ
アルバニアや旧ユーゴやルーマニアやブルガリアなどは、政治家や官僚がマフィアと結託してして、国内は惨いことになっている
でも市民のレベルもそれ相応で、この連中なら国がこうなるのも仕方ないと感じるような人たちばかりだ
トルコ人に支配された方がまとも社会になるのでは?と思ったね
アルバニアの場合、長い間氏族社会が続いていて、「血讐」として知られる
ジャクマリャとよばれる復讐の法も存在した。
ヨーロッパよりも、どちらかというとチェチェンやアフガニスタンやパキスタンの
連邦部族直轄地域を連想させる
バルカンの諸民族は「白い土人」と呼んだほうがふさわしいのでは…
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1597378727/
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全盛期に侵略・略奪・人攫いの限りを尽くしたんだから、インガオホーというやつだ