【モンゴル帝国】広大な草原を駆け抜けた英雄たちを語りたい
大草原を駆け抜けたモンゴル帝国の英雄たちについて語る。
2: 2007/10/13(土) 15:31:27 ID:Tpv7vz7J0
一番の英雄は誰になるだろう?
モンゴル帝国の版図があそこまで広がったのもこいつのおかげ。
鎮圧されることなく30年ぐらい粘っているし。
フビライのひ孫のハイシャンかなぁ。好きだ。母親に虐げられて育った、悲劇の人でもある
ハイシャンの『大返し』の話は、高校時代に読んでわくわくした
おくり名は『武宗』ね
>>7
ハイドゥ、自分も頑張ったほうだと思うけど
この時代(フビライタヒぬ前の)カラコルム駐屯のバヤンも、なかなか!
射雕英雄伝での描かれ方はかっこよすぎるよな。
主人公に弓矢を教えるおいしい役柄だし。
「蒼き狼」読むと、これをジュチ視点で書いても面白いだろうなぁと思う。
海のものとも山のものとも知れぬ小勢力の頃のチンギスに仕えて
サマルカンド総督にまで上り詰めた文武両道の人。
若い勢力の勃興によって飲み込まれる老大国、って感じが好き。
>>15
子供の頃は、祖父マルクズが敗タヒしたせいでメルキト部族に捕われ納屋で曵き臼をぐるぐる曵かされる
ような悲惨な目に逢い、父親クルチャクスに助けられた後ケレイトの王位を継いでからは、兄弟や
叔父たちを粛正したせいで反感を買って王位を追われてチンギスの父イェスゲイの許に逃れている。
そこで再起してイェスゲイの助けもあって再び王位を獲得するけど、また粛正をやらかして生き残った
叔父兄弟たちがナイマンなど周辺勢力の援助を受けて彼を追放し、トオリルは西夏やウイグル、トルキスタン
など諸国を放浪する羽目に陥り、ほうほうの体でやっとイェスゲイの子供テムジンのところへ逃げ延び、
そこでテムジンの全面的バックアップを受けて三度再起をはかって王位に復帰した。>ケレイトのトオリル・ハン
そこらへんの事情は『集史』『元史』『元朝秘史』『聖武親征録』その他でちょっとづつだが記述があるが、
ナイマンやメルキト、ケレイト、タタルなどの有力な部族勢力が相互に絡み合って抗争をくり返す様を
遼の支配が生きていた12世紀はじめあたりからトオリルとかケレイト視点で小説化してみても面白そうだ。
こういった抗争うづまくモンゴル高原の勢力図を縫うように東方から徐々にカブル・ハンやイェスゲイなど
キヤト氏族のモンゴル勢力が高原中央へ進出してきて、高原の抗争に介入して・・・みたいな。
チンギスハーンが一番恐れたのは彼女かも知れないな・・・
ボルテ以外の側室が産んだ子は後継者候補から外されたのは言うまでもなく、
名前すら記録に残っていないからな……
元軍の武将2人は実はかなりの名将で
それぞれ三別抄鎮圧やアリクブカの乱の平定で功績あげてる。
彼らの後世の評価が低いのは偏に日本の武士達に大敗したから
>>22
元軍の武将2人は実はかなりの名将で
それぞれ三別抄鎮圧やアリクブカの乱の平定で功績あげてる。
彼らの後世の評価が低いのは偏に日本の武士達に大敗したから
それから名前忘れたがベトナムで戦タヒした元の武将も
それまでは不敗神話を持つ名将だったようだ
ウリアンハダイはベトナム遠征で大活躍だったよ。
僅か3000人の兵力で攻め込んだのに、ベトナム国王の軍を撃破し、首都を占領破壊。
翌年、ベトナムはモンゴルに降伏して属国化。
譜代、外様みたいな意識はかなりあったのかな?
>>26
バルジュナ湖の誓いに加わった者とそうでない者との間には、やっぱり壁があったんじゃないかな。
これに参加した者は、後々まで優遇されたようだし。
苦しい時を共に乗り切った者こそ一番信頼できる。
バルジュナ湖の誓いっていかにもドラマ的だよな。
毛並みも良くて実力もある。おじいちゃんに孫の代はお前が統括しろと言われていたみたい。
無能なのにプライドだけは高い二人の叔父を本国に送還してしまったりかなり格好いいな。
金帳汗国 青帳汗国 白帳汗国
子孫が、メインの元朝に加えて、四大ウルスの一つを創業したからね。
呂文煥は高く評価されるべきだけど、
モンゴルの英雄として評価されちゃうと、本人的には不本意かもねえ。
> 元軍の武将2人
文永の役の時の劉復亨と洪茶丘のこと? それとも弘安の役の時の
阿塔海や文永の役の直前に耽羅島遠征を指揮した忻都あたり?
モンゴル国の国際関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A2%E3%B3%E3%B4%E3%AB%E5%9B%BD%E3%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%A2%E4%BF%82
南に隣接する中国とは、伝統的に関係が悪い。「娘が中国人と結婚したら一家の恥」との通念が今でも通用しているし、国政選挙でも中国との関係改善の是非が争点になる。
モンゴルが漢字文化を一切受容しなかったのも、モンゴル人が中国人を嫌ったためである。
モンゴル人にとって「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなる。
日本人を含めた東洋系外国人が、街頭で「中国人か?」と聞かれることはまずない。中国人は蔑称であり、喧嘩を売っていることになるからである。
通常であれば、「中国生まれのモンゴル人(または韓国人)か?」と聞かれる場合が多い。ただし、日本とはまだ縁遠いため、日本人かと聞かれることは少ない。
モンゴル人と中国人との衝突事件、あるいは中華料理店に対する襲撃事件は、ニュースにもならないほど日常的に起きている。
学校教育で、中国人に敵意を煽る教育は行なわれていないが、家庭教育で敵意を植え付けている場合が多い。
モンゴル人の子どもが語る「学校の怪談」でも、中国人による○人事件が頻繁に登場する。
現在、中国人が嫌いなモンゴル人は9割、好きなモンゴル人は1割と言われる。
衣料品や、家庭電化製品は、中国製がほとんどであるが、モンゴル人は、「中国の商品は構わないが、中国人の思想が気に食わない」と語る。
モンゴルの王様が金から姫をお嫁さんにもらってなかったっけ
中国人ではないからセーフ?
モンゴルは親日らしい。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/MONGOLIA/kankei.html
>2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、
>「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。
モンゴルは中国を嫌っているらしい。
モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0721&f=politics_0721_005.shtml
>歴史的に何度も中国からの侵攻を受けたモンゴル国は、中国に対する激しい敵対心を抱いており、
>中国人がモンゴルで襲われるほどである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E4%B8%AD
>歴史的に中国との関係は悪く、今でも一部の民衆には反中感情がある。
>例えば日本人観光客が中国人に間違えられるとトラブルに巻き込まれ、
>中国関連の施設に「看板等に使用している漢字を3日以内にモンゴル語に変えなければ、強制的に撤去するかペンキで塗り潰す」
>という過激な内容警告文を出され、さらに独立記念日に活動家に襲撃される事もあるくらいである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A2%E3%B3%E3%B4%E3%AB%E5%9B%BD
東京江戸博物館のモンゴル展にいってきた。
正直、看板に偽りあり。
中国の共産は得ているけれどモンゴルの協賛は受けていない。
その上モンゴル展というより騎馬民族展(女真とか突厥、匈奴)になっていてこちらの期待とはずれがあった。
ジュチの遺品とかフビライの親書とかそう言う展示かと思ったのに……。
あと説明書きで用語の統一がされていない。ジョチなのかジュチなのか校正しなさい。
まあでもそれなりには面白かった。1300円はボリすぎだけどな。
郭侃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%E4%BE%83
スケール大きすぎだ。
この人が東帰しなかったら、モンゴルはエジプトやトルコも征服していただろう。
野蛮の限りを尽くした帝国の行く末
http://s1.shard.jp/rabbit1/0202/3/121_2.html
モンゴル帝国もしかり、ヴァンダル族も跡かたもなく消え去った。
モンゴルはなくなってないじゃん。
http://www.youtube.com/watch?v=5RP5Et8RerY
文永の役におけるモンゴル軍の犠牲者1万3500余人
キルレシオは1:69
鎌倉幕府(というか当時の日本)はもっと評価されていいと思う。
まあガチ○コ勝負したらモンゴル軍には勝てないだろうが南宋軍には勝てそうだ。
モンゴル帝国はもともとトルコ人の連邦国
ワールシュタットなんかほとんどはトルコ系が持ち込んだ伝染病で
ヨーロピアンがバタバタとタヒんだのだが
それをトルコ系による大虐○ということにして
更なる十字軍を正当化したに過ぎない
東アジアのモンゴル帝国はいわゆるモンゴロイドだったが
その頃は金人や南宋人が餓タヒしまくりだったのであっさり同化してしまった
完膚なきまでに叩きのめしたモンゴル帝国軍最強!!
完膚なきまでに叩きのめしたモンゴル帝国軍を元寇の戦いで
完膚なきまでに叩きのめした鎌倉武士団最強!!
哲別軍団最強
>>71
成吉思汗は尻に敷かれてるから冷遇、隊長クラスで記録が無いかと
後に皇太后陛下に粛清されたかと
各国強さ格付け(16世紀後半)
S スペイン、オスマン帝国、明、日本
A イングランド、フランス、ポーランド、サファヴィー朝、ムガール帝国
B スウェーデン、モスクワ大公国
C モンゴル
D イタリアの都市国家、李氏朝鮮
横光版でチンギスがカサルに
言う台詞が
「おまえはいつも言ってただはないか。草原のごとく広がれ。海のごとく布陣せよと……」
これってモンゴル軍の基本戦術なんだな。
どうやら弓騎兵に特化していたわけじゃないって最近分かってきたが、こんなところに真実があったんだな。
彼らは海をみたことがあったんかな。
それはそうと最近思うけどチンギスの代わりにジャムカ
ティムールの代わりにトクタミシュみたいな存在がいたけど
トクタミシュはともかくジャムカがチンギスに代わってたら
その後の征服はできたんかねえ。チンギスだからできたのか
あるいは環境決定論的な事が起きたのか
チンギスの役割を果たすことも全然考えられると思うけど。
大元の頃は少なくとも漢人の皇后はいなかったはず
正妻じゃなければたくさんいただろうけど
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1192256868/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません