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【三国志】董卓についてどう思いますか?

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1: 2019/01/22(火) 13:25:37.49

・外人なんで日本語の不自然さはご了承してください

Youtubeで董卓改革者説を見たんですけど
その動画では史書が史官によって捏造されたといい、その根拠として移都したときの民たちが自発的に連れて行ったこと(強制的に行かれたのは話になりません)、長安ではやった’千里草 何青青 十日卜 不得生’の歌、蔡邕のタヒ刑などがありました。

個人的にはド田舎から政権をとるような人望と腕を持った人が洛陽でなも理由なき乱暴したのが理解できません。

それで董卓改革者説がどれぐらい信頼できるかを聞きたいんです。

8: 2019/01/27(日) 13:28:53.38

>>1
政治的な部分を無視して戦略面だけなら、『長安遷都』は間違っていないと言えると思う。
結局、反董卓連合軍は長安まで追いかけては来なかったワケだし、董卓は彼らに破れて敗タヒしたワケでは無い。
『洛陽焦土作戦』も政治的・治世的には暴挙だが、戦略的には間違いではないだろう。
敵の追撃を困難にする為に焦土作戦が有効なのは、後のナポレオンの侵攻を止める為にロシアがとった事で証明されている。
三国時代を統一した晋の時代の八王の乱でも長安遷都は真似られたが、コチラは洛陽を焼かなかった為か、長安まで追撃されて敗北している。
戦略的には長安遷都と洛陽焦土は間違いではなかった。
但し、洛陽の民衆が付いてきたのは単純に洛陽を焼いたからだと思う。

董卓が悪名を獲て暗サツされるに至った直接の原因は、やはり『相国』の位を望んだ事だろう。
現代の、しかも日本人の俺が言うのも何だが、当時の後漢王朝時代の人々にとって『相国』という身分は『王莽』を思い起こされる言葉であり、
それを望む人物には無条件で嫌悪感を抱いたのではないだろうか。
そもそも古代中国の人達の思想には五行陰陽が染み付いていて、その中には
『一度政権を手放した王朝(血統)は二度と天下を取り戻す事が出来ない』
という考えが常識として信じられてきた。
その常識を覆して再び天下を取り戻す奇跡を起こしたのが後漢王朝であり、
劉氏漢王朝はこれまでの他の王朝とは違う特別な存在であるという意識が強かったのではないだろうか。
ぶっちゃけ曹操が天下取れなかったのも、劉備が蜀で独立国を作れたのも、全てこの『劉氏漢王朝は特別』という意識のせいだと思う。
曹操は赤壁で破れる前、ほぼ天下を手に入れたも同然の状態でも、彼の足元で暮らす民衆や官僚達の中には
「どーせコイツ(曹操)も王莽のように失敗するに違いない」という意識があったんじゃないか?
まして董卓が相国とか。
相国は名誉職、現代日本に例えれば総理大臣の上に特別に関白太政大臣の職を復活させるようなモノ。
漢王朝において相国の位に就いたのは、初代皇帝・劉邦と共に漢を築いた蕭何と曹参の二人。
初代皇后・呂后の弟の呂ナントカ。コイツは呂后のタヒ後粛清され一族マルっと消された。
そして先ほども出た王莽、コイツに簒奪されて漢王朝は一度天下を失ったワケだ。
コレら四人の功績と較べて董卓の功績はどうだろう?王莽どころか呂氏にも及ばない、
せいぜい皇帝から「ありがとう、よくやった」って声かけて貰える程度の功績だろう。
なぜ董卓はあの程度の功績で相国を望んだのだろうか?
回りの人々が「王莽のように王朝を簒奪するつもりだ」と思うのは当然だろう。
董卓亡き後、董卓軍残党のリーダー格になった李カクは怪しい宗教に傾倒し、常に巫女に占わせ、その結果で物事を決めていたという。
そんな程度の奴がNo.2的なポジションにいる時点で董卓軍の実情はタカが知れると言えるが、
ひょっとしてそもそも董卓も占いに傾倒して物事を決め、小帝を廃し献帝を即位させ、長安に遷都し、相国の位を望んだのではないか?

確かに董卓には改革者としての一面があったとは言えるかも知れないが、王莽のような民衆に対する情報操作も、曹操のような圧倒的実績も無く、
あまりにも性急で行き当たりばったりな行動に思える。
政治家としては無能だった項羽が有能な執政者に見えるレベルだ。

5: 2019/01/24(木) 01:56:54.06
むしろ保守派だったんじゃないかな董卓って
6: 2019/01/25(金) 08:05:30.90
乱世の英雄
7: 2019/01/25(金) 14:00:40.35
現代にいたらあおり運転してそう
9: 2019/01/27(日) 14:02:11.81
項羽が無能までヨンダ
10: 2019/01/27(日) 21:57:53.67
>>9
気が長いな、董大師は短期だからお気を付けよ
11: 2019/01/28(月) 01:01:53.20
普通に董卓が三国志で最強だと思うよ
個人の武なら呂布とかになるけど
董卓が率いた軍隊は常に北方異民族と戦争をしていたから強い
中央の漢の武将は100年以上の平和で戦争を忘れて萎えていた
こういう戦争を知らない弱兵が董卓の軍に勝てるわけないのね
12: 2019/01/28(月) 09:06:58.11
強欲で好色だったのは事実だと思う
13: 2019/01/28(月) 09:10:49.68
ただ後世、董卓の後輩達の隴西軍閥が中原を支配いていくのが歴史
14: 2019/01/29(火) 20:58:46.37
>そんな程度の奴がNo.2的なポジションにいる時点で董卓軍の実情はタカが知れると言えるが、
董卓存命中は李傕はそこまでのポジションじゃなかったんでは
16: 2019/02/20(水) 12:04:47.48
袁世凱は董卓の生まれ変わり
17: 2019/11/14(木) 21:48:12.55
戦国時代でいうと三好長慶
18: 2019/11/16(土) 12:30:15.57

董卓に天下転回の策謀があったとも思われない
董皇后(=竇皇后)勢力の復権ひいては反何氏勢力の一転だけだったとおもう

事実竇武とともに没落した段氏が協力してる

19: 2019/11/16(土) 12:30:47.68
>>18
何氏勢力の一掃、ね
20: 2019/11/16(土) 12:32:37.32
蔡邕は処刑してないだろ
21: 2019/11/16(土) 16:41:20.09

家財収攬は好意的にみれば銅臭政治の根本を破壊したと見れないか

董卓政権のNo.2は蔡邕かな
王匡討伐戦の別働隊として蔡邕は活躍してる

26: 2019/11/27(水) 15:40:44.84
董卓は子飼いの部将には高くて中郎将しか与えてないぞ
対関東の総帥だって朝臣の鄭泰に任せようとしてたし
癇癪秩序の破壊という点では李傕政権が端緒
28: 2019/11/27(水) 18:44:06.87
董卓は清流派を重用して身内贔屓はそんなにしてないし
人事だとか見る限り思ったよりまともなんだよな
31: 2019/12/19(木) 22:31:54.81
蒼天航路では董卓が割とかっこよく描かれていた
32: 2020/01/23(木) 22:30:25.35
陳勝と同じように名前を欲しがったんだろうな
官職が何でも最高権力者で曹操する相国にはなっていない
33: 2020/07/27(月) 00:19:48.78
実はまったく同時期に西洋(ローマ)でもコンモドゥスって暴君がいたんだよな
しかも没年まで同じ
この時代、洋の東西で乱れていたってことだよな

引用元: https://mao.5ch.net/test/read.cgi/warhis/1548131137/

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