世界中の海洋国家と海軍の歴史について語りあわないか
インド洋に面していて、海岸線も長いから、もっとたくさんの海洋国家が
出現していてもよさそうなもんだが
オランダやイギリスの進出に期待を寄せた
何でも自国でやらずに、異民族を利用すればいいという考え方だったのかな?
漁民も船員も下位カーストの世界なので
交易で儲けるとい発想が生まれない
カースト横断の産業構造が発達できない
ムガル軍の主力は華麗な騎兵隊にあり、ムガル帝国は海軍という名に値するような
海軍力はもっていなかった
筆頭とするインド商人が活躍していた
ポルトガル艦隊を撃破したこともあった(1508年のチャウル海戦)。
インド洋貿易で栄えかなりの海軍力を持っていたのだ。
戦いを挑むこともあった
東南アジアではアユタヤやパガン朝が率先してポルトガル水軍を傭兵として使った
ところが双方ともポルトガル人だったから彼らは真面目に戦おうとしなかった
痺れを切らしたアユタヤはポルトガルを捨てて日本人の傭兵を使うようになった
その名残でアユタヤではポルトガル人街と日本人街が隣り合ってる
https://i.imgur.com/I4FApkT.jpg
https://i.imgur.com/V0TpBdO.jpg
アユタヤ朝のナレースワン王はまず、現在のベトナム南部に居住していた
海洋民族チャム人を移住させて海軍を創設。
海軍を率いてビルマに奪われていたマレー半島西岸の港市テナセリムとタヴォイの
2都市を奪還し、インド洋と南シナ海を結ぶ中継港としての機能を回復した。
日本人町と日本人、当時の東南アジアでは嫌われてたらしい
日本人町そのものがいざとなったら武装集団と化すうえ、やたらと戦争慣れしていて、態度がでかく乱暴、クーデターの片棒担いで王宮を占拠したこともある
東南アジアではってえらい大きく出たけどそれアユタヤだけちゃうんか
アユタヤでさえ実在したかどうかも分からん山田長政ぐらいしかそんな話無いし
地中海方面ばかり向いていたわけではない
シュリーヴィジャヤ王国も海洋国家だな
この王国の成立は東南アジア群島部の歴史にとって画期的なことだった
シュリーヴィジャヤはインド洋方面から貿易船が来航し、東南アジア群島部の
各地との間を往復する貿易船との間で貿易を行う中継貿易の基地だった
シュリーヴィジャヤ王国の成立とともに、同地を中心とする東南アジア貿易圏が
成立したといえる
あ、これ調査中のやつだったかな
気になりますね
年代記の類にもほとんど記録を残していない
影響を受けたのは、カリカットの王のようにインド西海岸で海上貿易に
力を入れていた小支配者に限られた
これは、1600年のインドの人口約1億人に対して、ポルトガルの人口
わずかに150万人、という数字を考えても、納得のいくところであろう
要するに、インド史の展開においては、ポルトガルの「帝国」も、
「黄金のゴア」とポルトガル人が呼んだゴアの繁栄も、周辺的な意味しか
持たなかったのである
清朝もアヘン戦争で負けて香港分取られてもまだ辺境の話として深刻に受け止めてなかった
その後のアロー戦争で北京天津に攻め込まれて初めて危機感を覚えたらしい
ハンガリー海軍省とソ連文化省
ボリビア海軍とか
ボリビアはチリとの争いに敗れて太平洋沿岸の国土を失ったが、
その後も海軍は維持され続けている
陸上輸送は海上輸送よりコストがかかるので、中国で経済発展している
地域は沿岸部に集中している
行動圏を海洋には限定していない
英語圏では船団を意味するNaves,
スペイン語圏では武装集団を意味するArmata(英語圏でのArmyと同源),
それ以外の地域では海洋を意味するMarineを使ってるな
今は民営化されて湖で観光客の案内をやっている
オスマン帝国の海軍は、ギリシャ人をはじめとするキリスト教徒が担当していた
もともとモンゴル人やトルコ人などの遊牧民は、すべてを自分たちでやるのではなく、
不得手な部分は支配下の民族を取り立ててやらせるという習慣がある
海賊バルバロス・ハイレッディンはレスボス島の生まれだが、スレイマン大帝の
招きに応じ、配下のガレー船を従えてイスタンブルを訪れ、そのまま
オスマン帝国に帰順し、カプダン・パシャ(大提督)に任命された
で海軍の規模が小さく軍内部での政治力が弱い国も多いような
水上艦同士で大海戦やってるイメージないな
だったわ(大汗)
圧倒的に多くて稀に空軍出身者もいるけど,海軍出身者は蚊帳の外
みたいなケースもあったりして
その頭目ドレイクは傭兵隊長やね
そもそも近世のヨーロッパではまだ掠奪が悪いことだという観念が存在しないからな
だから私掠船というものがあった
海賊行為で苦しめられていたスペイン人からは、悪魔の化身であるドラゴンを指す
「ドラコ」の呼び名で知られた
日本人の海外雄飛の象徴、とでも考えていたのだろう
で、中国人は日本人のそういう価値観に触れて違和感を覚えたとか
近代的な組織づくりや国際法などの開明的な知識、マナーなどソフトウェアに至るまで、
徹底的に吸収したエリート集団だった
現在の新興国や発展途上国ではどうなんだろうか?
後者がやり玉にあがった?
オスマン帝国海軍は、最初はフランスから軍事顧問を招いたが、
マフムト2世の時代にはアメリカ人が招かれてオスマン海軍に近代的な
造船技術を伝えた
やがてタンズィマート期に入り、オスマン帝国とイギリスとの間が
かつてないほど親密なものになると、海軍のお雇い外国人の主役の座も
イギリス人によって占められるようになる
海軍出身者がA級戦犯としてタヒ刑に処されたんだろうな・・・
陸軍と海軍の地位が逆になるってことは海軍が先に他国に戦争ふっかけるのか。
ああいう現地部隊の独断専行による開戦と戦線拡大は海軍では起こりにくいから無理じゃないかね。
陸軍反省会
1571年のレパントの海戦の敗北は、オスマン側にとって、西欧側が想像したほど
深刻なものではなかった
主力艦隊の喪失に動揺する海軍長官クルチ・アリ・パシャに対して、
大宰相ソコルル・メフメト・パシャは、
「そなたはこの国の底力を知らぬとみえる。そなたが望むならば、すべての軍艦の
錨を銀で、ロープを絹糸で、帆を綸子でつくることもできるのだ」
と豪語し、わずか5か月で艦隊を再建したという
ムガル帝国の歴史もそうだが、西欧側からの視点だけだと偏る
マラッカ海峡に形成された港市国家群では、
マレー語でオラン・ラウトと総称された
海上民が海軍力の中核を占めていた
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1599819568/
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