【三国志】張飛ってsというイメージが先走っているけど実際は違ったってマジ???
張飛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%A3%9B
史実では剛勇の英傑、
演義ではそれに加えて粗暴だが愛すべき人物に描かれているが、
意外に分からないことも多い、
この男について語れ。
3: 2007/03/22(木) 18:01:22 ID:O2zcgcbS0
酒を飲まなくても部下に暴力をふるった
とくゆうを殴ったのは張飛ではなく劉備
ぐらいは皆知ってることか
主人公劉備を聖人君子にするために、
馬○キャラにされている面がある。
関羽も張飛も実際どっこいどっこいの能力だっただろ
確か張飛の方が最終的な官位が上だから、関羽より優秀だった可能性がある。
また、演義では中国の民衆から好かれる典型的な役所で、かなりオイシい。
やっぱり山賊まがいにさらってきたのかな。
ちょうど劉備や関羽と離れ離れになって、
山賊まがいのことやっていた頃なんだよねw
娘たちが美人揃いだったのだと
演義に出て来る呂布のイメージこそ張飛の実像に近いのでは、という意見も載っていた
>>16
かなりの遅レスだけど、張飛がイケメンなのはガチだと思う
実際、張飛の娘2人が劉禅に嫁いだ訳だし、娘は男親に似ると考えれば、合致すると、俺は思っている
もし益徳がイケメンだったら会ってくれたんじゃないか?
>>17
>どっかの名士に面会を断られた話
多分、劉巴のことかな?。
張飛が劉巴の家に泊まったとき、一言も口をきかなかったらしい、
諸葛亮が、「いくら何でもそれはどうでしょうか?」と言ったら、
劉巴が「軍人なんぞ話し合う気はないね」
とか言ったらしい。
当然、張飛と劉備はカンカンでした。
【写真】三国志の英雄、張飛廟保護へ護岸堤防建設
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0411&f=national_0411_003.shtml
重慶市雲陽県にある国宝「張飛廟」の護岸堤防が7日、完成した。
張飛廟は以前から河川の侵食を受けていたが、護岸堤防と船着場を建設することで、建築物の保護効果
と同時に観光客による観光に利便性を与えることになった。
この工事に重慶市では1200万元の予算を投下、長さ1.2キロメートル、幅25-45メートルの護岸堤防
を完成させた。
張飛廟なんてのもあるんだな。
中国では登場人物で一番人気だそうです。
演義での張飛も合わせて、
ああいうタイプの豪傑が好まれるのだろうかね。
演義での張飛が、史実よりかなりがさつで乱暴者に描かれているのが、
聖人君子としての劉備像を強調すると同時に、
物語的にもそういうキャラが欲しかったという事情があったのかな?
歴史上の人物だからというのでなく名筆だったからだとか。
これだと張飛、文武両道の人物になっちまうな。
読み書き以上の教養はあったんだろう。
劉表の世話になってた時に関羽は歴史、
張飛は詩の勉強をしたんじゃない?
最終的には車騎将軍になってるしそれなりの礼儀作法はありそうだ
>>30
んにゃ、せんだみつお位だよ。
>>31
うん。
どこまで本当かは知らないけどね。
ただ、しばしばタヒ刑を適用したというのは事実らしい。
まあそれぐらいの厳しい姿勢でないとら乱世は戦えないだろうけどね。
名門みたいな扱いだったのかな、子孫たちは?
族滅されてなければ現代でも居るかもしらんね。
族滅された筈の関羽の末裔が
洛陽や解州に住んでいた位だから。
唐の時代に自称子孫がでてくるけど
張飛は張昭が劉禅に洛陽まで随行してるいぐらいだから家は残ったかも
でも蜀漢の成り上がりにすぎない張氏は晋から冷遇されて没落したのかも
まだ個人の才覚という事で用いられたかもしらんけど。
多分その頃の張氏には偶々そこまでの人材は払底してたのかも。
恐らくは劉禅とその一族のお付き程度に止まったかと。
後はいよいよ判らない。
自称関羽の末裔は清代に官職を賜るけど、張飛は演義での個人の人気はともかく
神としてはそこまで祭り上げてもらってないから、子孫の顕彰はしてもらってないんで清代での動静すら判らんのよな。
どっか居ないかなぁ、張飛の子孫。
確かに秦檜は出るに出られないwもしかしたら、実は末裔だけど
その事実を過去に完全に封印して本人達自体が忘れ去ってるかもしらんね。
半島の日韓併合に関わった政治家達が戦後墓を潰された挙句
その末裔達も全く世間に隠れて出てこなくなったというし。
それはともかく、よく考えたら劉備と曹操の末裔も聞かないぞ。
曹操は近代まで人気ズダボロだから仕方ないけど、劉備はやはり位負けすると考えられたからだろうか?
曹植の一族が移り住んだ曹家村ってのが長江だかの近くにあってな。
そう考えると表に出にくいのかも。
ワロタ
本当かどうかは別にして劉備の末裔の村も曹操の末裔の村も孫権の末裔の村も諸葛八卦村もあるぞ
抜粋
劉備の子孫は、永嘉年間の八王の乱により劉禅の子孫は根絶やしにされたが、劉永の孫である劉玄のみ生き残った。
彼はチベット系?族の一派である巴?の酋長の李雄が蜀で建国した成蜀に頼ったという。
現在、劉備の子孫が中国の漁山郷という村にいるとされている。
他にも曹操、孫権、諸葛亮の子孫が残った村が現在の中国各地に現存し、観光地となっている。
ちなみに孫権の子孫は今現在、中国杭州の富陽市南部の龍門古鎮という村に住んでいるとされ、この村では9割の人間の姓が「孫」である。
子孫は今現在、中国杭州の東図上村に住んでいるとされ、住民1,600人のうち1,500人の名字が「曹」である
ウィキペディアだからどこまで本当かわからないけどこれらの子孫の村は昔世界丸見えかなんかで見たことがある
重慶・張飛廟で「1841歳」のハッピー・バースデー
三国志演義に登場する豪傑・張飛を祭る張飛廟は8日、約5000人の参詣者でにぎわった。
この日は旧暦の8月28日に当たり、張飛生誕の日とされている。重慶市雲陽県にある同廟は、
10月1日から7日まで続いた大型連休以上の人出だったという。
参詣者は地元の人が多く、張飛の「1841歳」誕生日を祝い、来年の順調な天候と家内安全
や幸せを祈った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071009-00000008-scn-cn
日本で言う菅原道真みたいな感じ?
もう天神様は天神様で菅原道真という人物からは乖離した認識されてねえか。
まともな日本人なら誰でも知ってるような義経、信長、龍馬なんかを人気者って言うんだろ。
しかし日本の古典小説には演義みたいに今なお親しまれてるようなのってないから、
張飛に相当するような人物って思い当たらんね。
>>57
金太郎とか最近サラリーマンやってるみたいだし
仲間にした後はひたすら勉学にはげませて攻めてよし籠もってよしの最強武将にしたよ。
>>67
あの張飛はたしかにかっこいい
あと古いパチモン三国志だけど「天地を喰らう」の張飛が一番好き
最初に触れた張飛だからでもあるけどね
でも無双の張飛は泣けてくる…
戦に関してはかなりの名将だと判るはず
馬○な猪武将なんて、イメージ先行だね
成長するのは呂蒙に限ったことではない。初期の張飛は確かに統率力は無かったが、
厳顔や張コウと戦った時の張飛は、文句なく名将。
横光版はイケメンだ
蒼天のはただのおっさんだし
>>78
意外にかかあ天下かも知れんぞ。
中国ってやたらと恐妻家が多いから。
「張飛の再来」と喩えられた。
すくなくとも当時は、張飛といえば戦術を得意とする知将と認識されていたと思えるのだが、
いかが?
>>95
檀道済が「張飛の再来」と言われたことは無いよ。
部下の二人が関羽・張飛に喩えられていたと書かれてはいるけど。
その二人は薛彤(せつとう)と高進之(こうしんし)。
以下宋書の記述ね。
<原文>
「薛彤、進之並道済腹心,有勇力,時以比張飛、関羽。(宋書・檀道済伝)」
<超訳>
――薛彤と(高)進之はいずれも(檀)道済の腹心で、衆にすぐれた力が有り、
当時の人々はその豪勇を張飛・関羽に比定していた。
ときたまネット上で見かける、檀道済を張飛・関羽に喩えたという意見は、
多分田中芳樹氏の誤解から始まったのかな。
それはともかく、少なくとも知将の認識はなかったと思う。
華陽國志の「先主伝」とかにも無かったかと…。
余計な口出しでごめんなさい。
というセリフがここまでカッコ悪くなっちまうとはな。本場(笑)中国で一番人気ってのがまたDQN臭くてw
日本人は基本的に
「何をほめれば良識者ぶれるか、何をけなせば利口ぶれるか」
で自分の意見を決める自分の無い子なので、張飛は抜群に不人気なわけだが、
実際の張飛は「普通に名将」ぐらいだろ。
戦略はともかく戦術的には孔明より優れ、武勇では関羽より優れてたとしても不思議はない
実は武勇豪傑ではなく戦術家で、部下への罰が厳しかった所を見ると、頭は切れるが堅苦しいキャラだったのかもな
キャラ付けなんだろうがただの武力馬○みたいでむかつくわ
別働隊として攻撃しただけっぽいし。
勿論勇敢で忠誠心もあり、まさしく国家の爪牙というべきだとは思うが
知略があるとか名将って評価は違和感がある。
おれは劉備に使える勇敢な男ってイメージだけどみんなはどんなイメージ?
天下国家の規模とは違うが、戦場という枠内の戦略面なら優秀だったかと。
野戦のプロであり、色んな局面に対応出来るので重宝したと思うよ。
蜀の屋台骨の一人でもあるから、存在感も大きかったはず。
てか張飛って戦術とか戦略に対してなにか有効な進言したことあるっけ?
戦術すぐれてるだろ。
蜀取り援軍の諸葛亮・趙雲・張飛三軍の内にもっともきっつい道中を担当して
恐らく期日まできっちり到着してる。
趙雲は道は険しそうだが、南方だから軍地方豪族の私兵程度を「通過」するだけだろう。
孔明は中央をラクラクスイスイ。
だからこの二人は蜀乗っ取り戦の戦闘記述がまったくない。
ところが張飛は漢中に隣接してる巴を通ってる分、もっとも地方軍が備わってると思われる。
だから厳顔(地方軍)と張裔(中央軍)との戦闘が記録されている。
いい加減演義が作った張飛像を捨てるべき。
張飛が美男子で冷静な指揮官とはいわんが、すくなくとも部将、支軍指令としての戦闘能力は秀でている。
多分下弁は馬超を使った異民族煽り兼、補給路遮断の陽動でしょ。
曹操は陳倉ルートで補給してたし、下弁は馬超ゆかりの地だし。
作戦目的が記述されてないから断言できないけどさ・・・
下弁は強制移民で天水や長安に移動させられてほとんど無人だったようで、十分な兵糧がなかったはず。
居座るつもりなら張飛馬超隊に多大な輜重部隊をつけざるをえず、とてもじゃないけど本隊に余力はなかったと思う。
だから張飛は記述にあるとおり、城を出て山に布陣するという不可解な戦術を取らざるを得なかった。
城を囲まれるとどうしようもないから。
劉備の意図は
馬超の煽動が成功すればおk、補給を脅かしてもおk、出来なくても曹操の兵を裂かせればおk。
こんな皮算用だったのが、曹洪の軍が予想以上に多くて時間稼ぎも出来なかったと解釈している。
うむ。
漢中の強制移住は既に行われていたが、武都の強制移住は張馬vs曹洪戦ではまだだった。
武都の移住は曹操が漢中に到着後のこと。
>>127は間違い
「下弁は強制移民で天水や長安に移動させられてほとんど無人だったようで、十分な兵糧がなかったはず」
この部分は消去。
ただし、補給が不安だったのは地理的にみて間違いないだろうと思う。
劉備勢力圏の最北端である白水関から山地で相当な距離がある。
煽動目的なら現地で徴発するのはかなり矛盾するし、
なにより中原ではない土地で現地補給をメインにアテにするほど馬○じゃないはず。
よって補給に関してはそんなに変わらないかな。
武都より南の陰平郡にも曹操シンパ勢力がいるという事実で危険な突出した進軍だったことがわかる。
時間稼ぎに成功したというのはどうみても侯音だけど、
結果的に曹洪隊をずっと武都に駐留させ続けたのは、やはり別働隊の存在を気にしなくてよくなったという時間稼ぎになる。
あ、訂正
やっぱり時間稼ぎには成功してるみたい
ちょっと時系列を整理してみる
217年12月? 張飛・馬超隊武都侵入
217年12月 劉備本隊漢中侵入、夏侯淵隊と睨み合い
不明 曹洪・曹休・曹真隊武都に反攻
218年3月 張馬隊武都撤退 陰平郡に逃げた呉蘭が異民族に斬られる
*****張馬撤退後は曹洪隊が武都に居座る(曹真は長安へ?)*****
218年9月 曹操本隊長安に到着
218年10月 侯音の乱が発生
219年正月 侯音の乱を鎮圧
219年正月 定軍山の戦い、夏侯淵戦タヒ
219年正月 曹真隊漢中到着
219年3月 曹操本隊漢中到着、劉備本隊と睨み合い
219年5月 曹操軍漢中より総撤退
張既伝しらべて強制移住の時期を特定中
時系列を正すと侯音の乱がクサすぎる件についてw
まるで長安に曹操を釘付けにするためだけに反乱を起こしたようだ。
張飛が無能とはいわんがそこまですぐれているとはいいきれないでしょ
第一劉循たちの部隊は劉備にくぎずけだしそこまでの抵抗はうけてないでしょ
無論抵抗がないとはいわないし戦闘も行われた。
それと張飛らが攻勢にでて曹洪・曹休は防衛側でしょ孤立化させることに失敗してるから
作戦としては失敗なようだけど。(まあ張飛が無能だから失敗したってわけでもないけど)
第一曹洪らは孤立化を防ぐだめに駐屯しつずけたわけでしょ。
作戦立案が張飛では無い以上張飛に特別功績は無い(武都付近の攻防に限定すればの話ね)
張飛は、やくざの兄貴って感じ。
実際、劉備3兄弟は仁侠だったみたいし。
最近、如何にもやくざのあんちゃんみたいな人と知り合ったんだけど、
やっぱり、人柄はいいね。けど、いざとなったら、すごいんでしょうけど。
彼らは、自分とは全く世界が違うので、自分に無いものをもっているようで
何か、惹かれるものがある。
でも、こんな人らに天下とらせていいのかな・・・。
劉邦も仁侠だし、漢帝国は、やくざの造った国家。
庶民は、大変だったんじゃないかな。中国史上初の農民反乱も起こるし。
役所がやくざやさんに仕切られてたら、やじゃね?
張飛から、話それて、すいません。
富者が貧者を守ったり、恩には恩で返す相互扶助の心得。
豪族と儒家名士の融合が進んだ後漢代では侠を重んじる儒士も目立ってくる。
初期の劉備軍団を含む当時の豪傑・豪強と呼ばれた中小の軍閥集団は主にそうやって団結していた。
書が上手いとか、山賊やってた時に夏侯の娘と結婚するとか。
君子(身分の高い人)
小人(身分の低い人)
って解説は正しいのか?
素直に読めば、「徳に敬意を払うことは知っていたが、
弱いものの気持ちが分からず、愚かな人間を露骨に軽蔑するところがあった」
みたいな意味になりそうなものだが。
儒者のいう君子=有徳の士だと何かなぁ。
当時の士大夫層は儒教に基づいた人材登用制度をパスした連中だから
士大夫=有徳の士という強弁は可能
もちろん制度の実情は形骸化しまくりだけどw
最初は大好きだったが、正史読んでから大嫌いになった武将だな
上司に媚びへつらって部下の命を虫けらのように扱う男のどこに魅力があるんだ?
一般に知られる、酒豪馬○だが愛嬌があって義に篤い性格は全部後世の捏造だったんだな。
小説に躍らされてた自分が悔しいわ。
好く計を以って戦っているし、演技の蛮将のイメージは無い
張飛が身分の高い人にへつらい部下を苛めていたという具体的な逸話はあるの?
部下に○されたという事実からの連想だけじゃないの?
厳顔に対しては、相手の身分が急に上がったわけでもないのに態度を豹変させてるし、
正史じゃないけど劉巴に出自のことで差別されたときは激怒したと明記されている。
どうも「君子を敬う」という言葉は文字通りに受け取った方がしっくり来る気がする。
君の言う>>159とか達筆とかのエピソードから察するに
実際は(過度の)インテリ趣味な人間のような気はするねぇ
楊戯には(関羽とセットで)「礼儀を知らなかった」
なんて言われてるし、問題があったのは確かだけど、
権力に靡いて権力を傘に着る様な男なのか
人の愚かさに対して厳しすぎただけなのか
このどちらを取るかでイメージは天と地ほど違う。
どうして愛すべき忠義の士というキャラクターに改変されていったのかだよな。
曹操を逆恨みするあまり、このような無理な美化をせざるを得なかったのか?
劉備三兄弟が好きなんで、つい張のことも好意的に見てし
まう。
この三兄弟が聖人君子とは思わないが、>>163が言うよう
なクズ野郎とはとうてい思えないものでね。
これじゃ中傷だよ。まあそれが目的にも見えるけど。
小説では、劉備への忠義心のかけらもないうえ、
陰湿ないじめと○人を生きがいとする人格破綻者に描かれている。
実はたいした活躍してなかったのも見抜いているし。
あの小説は劉備軍団自体がたいした活躍してないからね。
諸葛亮も軍功はイマイチというスタンス(まぁこれは史書通りか)
いわれてるようだな。
真の三国志ファンにこいつを好きな奴はいないだろうw
まぁ、結局言うこと聞かなくて、あの結末になったしその考え方も有るとは思うが
張飛に対して好意的に見るなら、劉備がそれほど貴賎の差無く人材に接していた節があるので、
反してその部曲の気風が軍にまで影響せぬよう、軍紀を引き締める為に、バランスを取り、上下関係を徹底した可能性もある
「敬う」と「媚びへつらう」は全然意味合い違うと思うけど
劉備以外の指示に従わないというか
関羽も張飛も劉備以外に対してかなり尊大な態度取ってるイメージがある
関羽なんか自業自得な最後だし
劉巴みたいに劉備を徹底的に嫌ってた奴もいざ直接説得したら落としたし
若い頃から任侠の世界で人と付き合い慣れてて、手なづける呼吸を掴んでたのだろう
読書嫌いで遊んでばかりとあるからね
読書嫌いで音楽の勉強してたっていうから遊んでばかりでもない
当時の音楽は普通に儒教の学問な
「燕人張飛」ってのは単に「燕出身の人」って意味なんだね
俺は「燕人」ってなんかスーパーマン的な意味合いの言葉でもあるのかと思ってたよ
同じ様に部下や家臣に○されるパターンは多いが、政治的な絡み無しで、
実際に敵と戦ってもいないのに、雑兵に○された将軍って他にいたか?
その部下はまともだったのか? あの劉備が義兄弟になることを承知した男だぞ。
少しは記録者の文章以外のことに、想像を巡らせよ。
>>188
マジレスすると義兄弟ではない
劉備と義兄弟なのは公孫サン、糜兄弟、孫権だけ
>>189
> 劉備と義兄弟なのは公孫サン、糜兄弟、孫権だけ
孫権はわかるけど
公孫さんさんとは演義だけ?
糜兄弟はkwsk
詳しくも何も、糜夫人は劉備に嫁いでいるだろうが
>>193
正史
ちゃんと先主伝に「サン年長,先主以兄事之」とある
その上司○しした奴って、劉備が身近に置くなといった奴じゃないの。
それでも張が置き続けたというのはそれなりの理由があったと考えられる。
力で抑えつけなけりゃあまりに危険、という物騒な奴は今もいるよね。
関羽がタヒに、取り乱して隙をつくった張を狙った・・・と推理。
つか上司○しするような奴に対して、その行動を当然のように受け入れた
り、その人間性をまるで疑わないというのは賛同しかねる。
現実の上司に憎悪を燃やしていて、その上司と張をダブらせてないか。
彼が身分の低い者を軽視していたというのも信じられない。
張がそれまでの人生を捨て、劉備と行動をともにしたというのも、身分の
低い者の苦しみをなんとかしたいと願ったからだと信じているよ。
でなけりゃ、貧しい生活をして筵織りしていた劉備とは一緒にいられない
し、豪腕の関羽とただの山賊になって、弱い者を虐待し、強奪を繰り返す
最悪の生涯を終えてるだろうよ。
劉備に仕えるのに強制するものは何もない。
体を張って劉に仕えたのも、見込んだ男だからこそだと思うよ。
狭い了見で、自己の欲望を果たすために暴力を振るうばかりの、独善的で
幼児性の強い、ジャイアンタイプなら、そんなことはしない。
一緒に寝るくらいだから、相当信頼は厚かったのは確かだろう
しかも旗揚げからずっと指揮官やってきた叩き上げの
職業軍人なんだから有能に決まってる
長坂の戦い殿の張飛は最高
天下無双の名にふさわしい
まぁ蒼天張飛は演義系作品とは一線を画して
教養ある張飛だから魅力3倍増し
曹操「何せ六韜を知っているぐらいだからな」
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1174533169/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません