【歴史書】司馬遷が残した史記について語るスレ
一般でいわれてるのは逆に司馬遷を凌駕する男っていう意味だと聞いたってどこかで書いてたな
筑摩のも評判いいみたいだけど、
どこの訳本が読みやすいんだろう?
陳平ってすげえと感心した。
人物や王朝に付いてはそれぞれのスレがあるし。史記という書物そのものに付いて語るとなると相当な知識が必要になる。
史記の正式なタイトルは大史公書ですが、いつから史記と呼ばれるようになったのでしょうか?
また、正史となったのはいつ頃からでしょうか?
『太史公書』を『史記』としたのは、『三國志』魏書王粛伝に始まる。
正史に組み入れられたのは『隋書』経籍志から
>>17
ありがとうございました。
『史記』と呼ばれるようになった時代はだいたい予想通りでしたが、正史となった時代は思ったより遅かったです。
正史の概念が出来たのは唐代なのか?ちょっと気になりますんで、調べてみようかと思います。
左伝とか国語とか呂氏春秋とかは普通に見たと思うし
例えば韓非列伝書くのに韓非子読まないわけにはイカンかっただろうね
秦末漢初の話なら新語とか楚漢春秋とかあるし
あとは親父さんが書き溜めたモノや自分の取材旅行の記録か
史記の記述と符合したという。
おそらく青銅器や石や木材に刻まれた文字なんかで伝えられ続けていたんじゃないの?
だから、古代の伝説は同じ話でも内容が一定じゃない
そういう口伝を文字に残したのが史記のエライところ
四公子のなかでも魏の信陵君の凄さかっこよさはびっくりしますね!
史記の中で一番感動したのが貨殖列伝。俺は変かな。
そーだよ、工業も商業も立派な仕事だし、正当に頑張ってもうけて
何が悪い、と一人頷いてた。
もうけられるのは奇策により、そのもうけを維持するのは地道な正業による、
という言葉は現代でも示唆的だと思う。
>>33
平凡社版の史記の全訳がうちにあるんだが、
部分的な拾い読みばかりで、ほとんど読んでない。
人名や官職、地名に知らない単語が多いと
どうしても「読みづらいな」と思ってしまう。
きっと良い本、優れた内容の本であることは分かってるんだけど。
貨殖列伝、ためしに読んでみる。
外国のを訳した本は、その本のもともとの面白さより訳者の日本語力が面白さに影響すると思うけれども、
この史記は野口定男という人の文体がよいので、とても面白い。
ちくまの三国志を訳したやつは、はじめのほうの魏の帝を記したやつが面白くなくて、最後の方の呉に関するやつが面白いと感じるのは、
訳者が最初の方はまだ慣れてなくて文章が下手だったのが、終わりのほうになって書き方がわかって来てノッてきたからだろなと思った
つまり平凡社の史記は最高に面白いよ!
38さん、情報提供ありがとうございます。
最近、「文は人なり」と強く感じているので、
平凡社版について少し興味が沸いてきました。
3~5週間待ちだったのに「在庫あり」になってやがった。
毎度ながら迷ったけど、これも運命だってことで購入。
あぁ、これからいつでも完訳本が読めるとは、ちょっと興奮です。
そんなこと考え出すとキリないんだけどさ
たとえ魏の宰相となったにしろ、当時の魏は依然として日の出の勢いといって
いい時代で、恵王も浮かれやすく傲慢な性質
そんなところで公孫鞅が王道や覇道を述べたところで、恵王が献策を容れる
可能性なんて皆無に等しいだろう
物事が上手く運んでる時ってのは、人も組織もわざわざやり方を変えようとは
なおのこと思わないというか嫌がるものでもあるし
あれは秦の孝公という名君だからこそ上手くいった部分が大きいよ
他の出版社の物は日本語訳文のみと聞いたのですが。
年代順に並べ直し&抄訳だけど、徳間文庫版が安上がりだし試してみようかな。
四書五経と当時物の諸子百家(老子、荘子、墨子、韓非子、孫子、呉子、荀子、列子。
他にも諸子百家の名を関する書物は多いが、すべて後世の偽託書)を全文読破してから
平凡社版史記を読んでるが、読みやすいったらありゃしない。
司馬遷自身が「五帝本紀」でも指摘していた通り、諸子百家は悪文が多すぎて読みにくい。
史記の読みやすさに慣れてからだと、読み苦しくて耐えられない可能性があるので、
どっちも読むんなら先に諸子百家のほうを読むことをお勧めする。
司馬遷も多分、大方読み尽くしてから史記を書いたはずだから。
墨子が読みにくいのだけは同意するが、孫子と老子はもの凄く
読みやすいと思うけど。高校漢文に毛が生えたレベルでも読めそう。
現在でも名文と言っていいと思う。
諸子百家が読み苦しいなんていうんだったら書経なんか目にした瞬間に
発狂しません?あれこそ悪文。
基本、四書五経が悪文には同意するけど、やっぱり百家は名文が多く
残されてると思う。
諸子百家が悪文というよりは、史記が名文過ぎるだけの話だがw
「書経」は始皇帝の焚書坑儒で焼き捨てられた史書の残存の寄せ集めなんで、読みやすいわけがない。
虞夏殷周の歴代王君やその臣下の言行録だからかろうじて遺失を逃れたわけで、
市井に頒布もされずに、各国の書庫に秘蔵されていた候公将相の記録などは
焚書坑儒によって完全に遺失してしまい、その穴埋めとして前漢の歴史記録官(太史公)だった
司馬遷とその父が編纂したのが「史記(太史公書)」だったわけだが(「史記」表・六国表序参照)。
各国の「書経」に当たるはずの文書が本当はあったのに、始皇帝が李斯の妄言を真に受けて
占術書と医学書と農業書以外の全ての文書を本当に焼き捨てさせたもんだから、
秦代以前の史書や思想書の残存数は大幅に削減された。ほんと、馬○で阿房な奴らだ。
書経や詩経は、一連の流れを持つ「本」としてではなく、
切れ切れの金言の寄せ集めであることをわきまえた上で読み解くと、その素晴らしさが分かる。
こんなことをわざわざ指摘するまでもなく、易経などは故意に文言を切れ切れにしているが。
四書五経・・・多人数の文言の寄せ集めなため読みにくいが、個々の金言の価値は計り知れない。
諸子百家・・・個々の思想家の文言の寄せ集めのため、まだ四書五経よりは話に流れがある。
史記ほか正史・・・個人による編集が行き届いているため読みやすいが、読者は編者を超えられない。
四書五経は史記などよりも読み辛い反面、編者の意図をも超えた高度な勉学をも補佐してくれる。
諸子百家も編者の意図を超えるぐらいのことはできるが、そもそも題名の「○子」となっている
思想家自身がそんなに偉大な聖賢とも限らないため、勉学によって得られるところの品質保証はない。
「史記」は完成された著書としての最高峰だが、四書五経のような「書物以上」の付加価値は伴っていない。
一方で、諸子百家のような色眼鏡が介在していないぶん、聖賢や英雄の純粋無垢な理解には助かる。
だから、中国の伝統的な書物分類である「経史子集」において、史記を含む正史の当てはまる「史」が、
諸子百家の当てはまる「子」よりも上に位置されている一方、四書五経の当てはまる「経」よりは下に置かれる。
史記の読解によって得られるものは、老子や荘子や墨子や韓非子ら以上であることは保証されるものの、
孔子や孟子を含む四書五経以上であることは保証されない。なぜかといって、史記は古代中国史の
忠実な再現であり、古代中国全体を忠実に再現した結果、当時において「下」であったものや、
「上下みそくそ」であったものを超える品質は確保できたものの、「上」や「上々」であったものを
超えるただけの意味は始めから付与されていない。司馬遷自身、孔子の言を多数引用するなど、
先哲への譲渡は欠かしていない。史記を読むことによって「司馬遷程度」にまでなることはできるが、
「司馬遷以上」になるためには、四書五経にまでも頼らねばならない。もちろん史記やその著者である
司馬遷にだって、諸子百家レベルの思想家や、単なる創作文芸家以上の品質ぐらいは期待できる。
つーか儒学厨って今でも居るんだな
完成された文芸書しか主眼にない今の本読みには、
雑多な文集が基本の儒書はとっつき難かろうな。
関羽だって、「春秋左氏伝」を丸暗記するほど熟読していたというのに。
http://www.ldbj.com/shiji/shiji_benji_9.htmより引用
という人豚の話ってやっぱり作り話なの?○すことは○したがそこまで残虐なことはしてないとか
大袈裟に書いてるだけ?
実際問題手足を切り落として、でもタヒなない様にやるのは難しいと思う。
岩波文庫、平凡社ライブラリー、徳間文庫、ちくま学芸文庫があるってことだな。
どれか買ってみよう。
俺は岩波を推す。本紀が無いのが難だが。
ちくまは三家注無視してたりするのでお勧めできない。
有名なのは壁タヒ
同じく岩波はいい。
古いけど個人的に最初に読んだのは現代教養文庫の史記だった。
あまりにもなんでもありすぎるだろw
中国の後世の歴史書は「現政権の事には触れない」という伝統ができたのかな?
東観漢記……
司馬遷の編集中の歴史書の内容には、現政権の悪口も入っているのが有名だったから
心証悪くて、某将軍の弁護で、ご休憩になった
それで辱めに耐えかねて自○しようかと思ったけど、親父の宿願だった歴史書を仕上げないまま
タヒぬ訳にはいかんと、耐え難きを耐えて書き上げたあげくに、武帝本紀は内容がヤバいから
無かった事にされたのにか?それでも記述内容を理由に罪を問われてはいないぞ。
どんな史料があったかはしらないけど
どこの訳がお勧め??
やっぱりちくまあたりがいいのかな
宮崎さんの「史記」とか一海さんの「史記」とか。
時系列で読みたいなら、徳間の8巻ある「史記」とか。
がっつり読みたいなら、全訳のちくま学芸文庫の史記とか。
読みにくさでは岩波の「史記」とか。
世襲やコネの壁に阻まれたりして
結局何千年たっても世の中って同じようなもんなんだろうね
人質時代に仲間だと思って親しくした相手が、即位したらメッチャ冷たくあしらいやがった。畜生、復讐だ!
を地で行ったのが燕太子丹
奇跡的に復讐の対象が秦の始皇帝だったから後世に伝わっただけで
対象が別だったらくそみそに叩かれてたレベル
陳勝にも同じ様な話あるな
陳勝の貧乏時代言いふらすから○されてたなw
荊軻が「信頼できる人を待ってる」ってのをちゃんと待ってりゃ違う結果になったかもしれないのにw
まあ、荊軻がなかなか動こうとしないから「実はこいつ詐欺師なんじゃね」って疑ったんだろうけど
孫の秦舞陽どうしてこうなった?!
その時代じゃ両者とも若すぎる
始皇帝正夫人の実力次第と言ったところか
宣太后のようなピンチヒッターがいればな…
マジで始皇后(太后)はどうなってたんかね?
趙高も李斯も群臣を率いるには力不足すぎた
扶蘇とか根絶やしにされるかもな
秦国内でも始皇帝に反感持ってる貴族や武将はたくさんいるし
うーんどうだろう?
もしその噂が本気にされてたら、それを理由にとっくに無視できないレベルの反乱が起こってた可能性あったと思う。
けっきょく根も葉もないうわさと捉えられてたんじゃないかな。司馬遷は漢朝の人間なので、始皇帝をつい貶めてしまった可能性がおおいにあるし。
二世皇帝の政治(内政)は始皇帝リスペクトだし特別でたらめでもないような
扶蘇に関しては母親の出自が気になる
>>153
一次資料から引っ張って来たと思しき無味乾燥な記述や数字以外の
読み物として面白い部分は作家司馬遷の手腕で印象操作されまくってるからねw
2世皇帝と違って民衆にも人気あったらしいし
つーか趙高&2世皇帝のでたらめ政治じゃなきゃ陳勝呉広も項一族も劉邦も反乱起こさずに歴史は変わってたなw
起こさずか、起こせずか、大したことなくか分からんけども、今の時代の俺達が名前を覚える事はなかったのは確か
昔の漢人の姓名二文字が多いですけど
清朝末期にはほとんど三文字になってるのはなぜですか?
同時期の満州民族や蒙古人の中国名は二文字ばかりなのに
日清戦争頃の歴史関係の本を見ていたら
漢族が三文字で満州族とか北方系の民族の中国名が二文字ばかりなんでなぜかなとふと思ったので
ググってみたものの全くわからないのでここで聞けばわかるかなと
ちなみに史記が担当する先秦期はわりと二字姓が多い
司馬遷は史記を、娘だかに託してタヒんだらしいね。
発見されたという話がある。
映画敦煌みたいだなw
日本「四季がある(-_-)」
史聖は司馬遷だけらしい。
最初だけ買い足さないといけない・・・
こっちは表以外完訳で200円・・・おいしいです
徳間が無駄になったくさいけどこっちは本文載ってるし時系列なんでこっちメインで
書いてないところは平凡社で補完すれば無駄にならないかな
春秋や戦国は、色々な民族が入り乱れてて、楚はミャオ族系で秦は羌と同族かも知れないんだっけ?
もしそれが本当なら秦は恐らく同族であろう周を滅ぼしたことになるね。
北方異民族は割と定期的に何かしてきてなんなら漢族化してるけど、南方の異民族は北方以上にバ○にされてる気がする。
項羽に対する南方蔑視的な感情も強かったのだろうか
昭襄王に権力集中させるために母親や親類を関中から追い出したことで
丞相の座もゲットして遠交近攻方針で周辺国を滅ぼしたのは見事だけど
やはり白起の邪魔をして自決に追い込んだことで自分の命運も尽きちゃったのかな
史記等を見る限り
逸話が比較的豊富な戦国期の名臣の多くが王侯にゴマすって権力闘争するのが得意な趙高型である件
戦略を転換した結果周辺国を滅ぼしたのであれば范雎の功績は商鞅に勝るとも劣らないだろうよ
…商鞅変法や遠交近攻が本当に抜本的な変革であればの話だけどね
というのは
王稽がタヒんだ同年に張禄が引退して范雎に戻った説
無理があり過ぎるなw
張禄イコール范雎とは限らんぞ、無関係の他人だったりしてね。
かつては喰い付きが殆どなかった張禄タヒネタがwikiに書かれた途端にわかに盛り上がるとは・・さすがはウィキペディア先生。
「奇貨」か「戦国名臣列伝」(没年は記載あり)でこの件触れてたらわりと周知の事実になってたはず
范雎がタヒんだから、後ろ盾を亡くした王稽が謀反した。
宮城谷さんの後書きだったか?エッセイだったか?
范雎ってひどい暴行受けてたから、あちこちに後遺症とか残って、
長生きは出来なさそう。当時の医学じゃw
ほう、宮城谷さんはそういう設定も書いておられるのね?
范雎主役の青雲では普通に王稽失脚→范雎致仕
しかしながらこうなると便所から立身の方も真相はどうだか…
范雎は戦国のレジェンドたる蘇秦張儀と比較しても遜色ないほど充実したエピソード群を誇る稀有な人物
この点では政敵?白起を圧倒し、蘇秦張儀や孟嘗信陵と競うレベル(個人の感想です)
史記范雎伝の人物一代記としての完成度は他の戦国列伝を凌ぎ、司馬遷の評価も高い
これほど上等なモノですら信憑性はご覧の有様
ということは范雎関係逸話はもちろん他の戦国故事も推して知るべし
今更だが、基本的に当事者同士しか知り得ない話
特に何故か事細かな会話文が記録されているエピは眉唾やね
とりあえず范雎蔡沢、范雎昭襄王、范雎白起……
あと范雎を説得し趙進攻を一時停止させた蘇代も
この時代って、名前が否定文になってる人がちょいちょいいるけど
曹無傷とか申不害とかはまあわかるんだけど、
魏無知ってどういう意図の名前なんだろ?
老子に「知恵出でて大偽あり」って一説があるんで、無知=偽りがないって意味じゃなかろうか
その一方で兄貴は陳平が出世すると見込んで
自分は農作業して陳平には勉強させていて
兄嫁が働かないタダ飯食らいの陳平を疎んじてたって話も書いてたり
色々矛盾するんだよな
結構怪しいのあるくらいだもんなぁ
日本でもたった400年前の戦国時代の話ですらよくわからんしね
最近じゃ関ヶ原で大規模な全面衝突なんかなかったって話だし
先秦を語る民に言わせれば
日本の戦国時代なんてイロイロ分かりすぎて困るレベルじゃないかい?
著名な戦国大名一人の情報量だけで史記列伝全体を超えそう
楚漢戦争から史記って100年ちょいでしょ まあ日露戦争くらいか
司馬遷が若い頃なら、秦代生まれの人も探せばいただろうし
高漸離は始皇帝暗○しようとして失敗したけど
名前だけ残って楚の人間で信頼できる友人としか伝わっていない
荊軻のために始皇帝暗○しようとしたわけでもない
荊軻に「始皇帝暗○することになっっちまったんだが手伝ってくれないか?」と言われて
無視したんじゃないかと思ってる
実際あと1年待っても薄索は来なかったと思う
判らないので”名前も何も一切不明”が正しい。それよりも生まれついての人○し秦舞陽でさえブルッた
始皇帝を平然と暗○しようとした高漸離を一緒に連れて行くべきだったとは思う。
よくよく考えればそうだなw
近くに信頼できる友人がいたのに来るかもわからない遠くの友人を待っていたと
太子が疑ったように荊軻は最初から行く気なかったのかもしれんw
ジャンプなら時の権力者に根絶やしにされて偽造される
司馬遷は孔子に(儒教に)対して、どんな思いを持ってたんだろうか
孔子が小と評した管仲、孔子の仕官を妨げた晏嬰を列伝二に、
儒と対立する老子・韓非を列伝三にしたのが、何か意図を感じる
でも、孔子を世家に入れる特別扱いもしてるのが解せない
孔子は宦官を忌み嫌っていた
ジャンヌ・ダルクが売春婦を忌み嫌っていたように
美化なしで孔子が現代に蘇ったら司馬線を評価するかどうか
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1184748086/
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