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【春秋戦国時代】燕の楽毅という諸葛孔明が尊敬した男について

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1: 2006/11/26(日) 00:40:07 ID:xy+GI1rU0
楽毅について語りましょう。

2: 2006/11/26(日) 01:05:14 ID:TRtUvO3j0
とりあえず田単を呪ってみましょう。

 

3: 2006/11/26(日) 02:10:57 ID:Ns4HZytS0
何故だね
田単のおかげで後世に残る手紙が生まれたのだ
亡命してからも生活には苦労しなかっただろうし、呪う必要がない

 

4: 2006/11/26(日) 03:34:33 ID:voN57IJsO
結局、楽毅って中山人なの?趙人なの?
小説では中山人だったけど、史記では趙人みたいだし、よくわからないよ!

 

5: 2006/11/26(日) 09:36:06 ID:cYDPAouF0
当時の世界に置いて国籍法なんてないから区分は難しいと思う。
趙で生まれたから趙人になると言うのは現在的感覚ですれば違うと思うし。

 

6: 2006/11/26(日) 12:22:35 ID:/i/eXUl5O
一般的には諸葛亮が尊敬した人物の一人として有名だね

 

8: 2006/11/26(日) 21:31:19 ID:ux17cUk40
>>6
いやいや、宮城谷の小説のタイトルにもなっている
ブックオフ行く人には、100円本の常連のタイトルとして有名

 

7: 2006/11/26(日) 19:57:18 ID:JCgXVKV7O
そうだね。
ただ諸葛亮は、兵法よりも恵王に宛てた手紙の文面の方に、より尊敬の念
を置いていたのかも。

 

9: 2006/11/27(月) 14:49:23 ID:xRShaxxAO
楽毅論って誰か読んだ人いる?

 

10: 2006/11/27(月) 17:24:47 ID:dlX+ugJ40
先祖に魏の文候に仕え中山を征服した名将楽羊
親戚に趙に仕え廉頗とともに長平の戦いで敗れた後に攻めてきた燕軍を破った
楽乗など楽毅の一族は優秀な人が多いな

 

11: 2006/11/27(月) 18:32:00 ID:/KEZbChs0

×:候
○:侯

ですので、いちおう。

 

12: 2006/11/27(月) 18:44:02 ID:1h5z2pGu0
楽毅の子の楽間もそれなりに頭はいいみたいだな
燕王は2代続けて同じヘマw

 

13: 2006/11/27(月) 21:27:23 ID:9lDE+jB3O
しかし平は、郭塊みたいな、いい臣に恵まれている。
斉の戦略も狡猾だったのでは?

 

14: 2006/11/27(月) 22:04:42 ID:1h5z2pGu0
いい臣に恵まれてるけど
いい臣を上手く使ったよな、と思う>平
楽毅と同じ頃に燕に行った面々の濃ゆいこと濃ゆいこと

 

15: 2006/11/27(月) 23:01:07 ID:xRShaxxAO
郭隗、楽毅、蘇代、スウエン、劇辛、秦開などこの時の燕は名臣ぞろいだな

 

16: 2006/11/27(月) 23:27:09 ID:9lDE+jB3O
その通りですよ。
騎キョウしか人はいなかったのでしょうか?

 

17: 2006/11/28(火) 22:19:10 ID:PRZ5XQwNO
中原の戦になれてなかったってのもあるかもね

 

18: 2006/11/29(水) 03:14:21 ID:aI8p1hphO
確かに。しかし、彼を指名したのは恵王だとか。
個人的には田単よりも、先ずは恵王を呪いたい。

 

19: 2006/11/29(水) 22:00:31 ID:LhRefOAH0
燕と斉、しかも城攻めで慣れ不慣れということもないような気がするが
やはり兵士の士気が最大の問題ではないのだろうか
田単はかなり粘っていたようだし、格が劣る騎キョウ(ごめんな、騎キョウファンの人)に指揮が変わって情勢がよくなるとは思えないからなぁ

 

20: 2006/11/29(水) 22:30:44 ID:W9Gq0aSJ0
名臣揃いと言えば、恵文王の趙もそうだ。
あんがい君主運はいいというか、さすが見る目はあるというか。

 

22: 2006/12/04(月) 19:38:09 ID:CXtHtkOb0

武霊王がやることなすこと派手すぎただけに、恵文王は見劣りして見えるけどな。
でも君主の質としては、天上天下唯我独尊で突っ走った武霊王よりも
良い臣下に恵まれ、上手く使いこなした恵文王の方が上。

楽毅は2度趙に仕えるんだよな。2回目はちょっと違うけど。

 

23: 2006/12/06(水) 22:11:39 ID:rZrj24N/O
最初に燕に来たときは国賓の申し出を断ったらしいから、趙に戻った
時には家臣というよりも大事なお客様的という感じだったのかもね。

 

28: 2006/12/09(土) 17:56:48 ID:E/30tr21O
楽毅といえば宮城谷氏の小説「楽毅」は名作だったな
ちょっとフィクション入れすぎな気もするけどww
あれを読んだら楽毅が中華最強の名将と錯覚してしまう

 

29: 2006/12/09(土) 19:42:39 ID:d3fedFqV0
この時代では最高級の名将じゃないの
指揮能力は斉の完全制圧が出来なかったから多少劣るとしても、
外交能力は歴史上でもそうそう並ぶものはいないんじゃないのか

 

30: 2006/12/09(土) 22:39:19 ID:ZYPAmlT50

>>29
ちょっと贔屓の引き倒しに感じる描写もあるよ

根回しと段取りが上手くいったから斉を滅亡寸前まで追い詰めたけど、
純粋に強い名将かと問われれば、白起や李牧よりは一段劣る

 

32: 2006/12/10(日) 10:49:14 ID:mf4tQQpg0

>>30
いやいや、誰も純粋に強いなどとは言ってないし

5国連合軍を統率したその名声と手腕が素晴らしいと言っているのさ
もちろんこれには斉王の横暴な振る舞いがあるのも事実だがね

 

31: 2006/12/10(日) 00:00:08 ID:E/30tr21O
戦国時代ベスト5には入ると思う

 

33: 2006/12/10(日) 23:38:52 ID:v1qdtGQGO
あんま君主には恵まれなかった人だったのかも…。

 

34: 2006/12/11(月) 19:07:42 ID:QUTjsURJ0
おいおい
燕の昭王なんて名君に拾われてそれはないだろw

 

35: 2006/12/12(火) 23:00:42 ID:KViIa30iO
いや二代目がさ…。
なんか劉禅下における諸葛亮より恵まれていない気がしてね。

 

36: 2006/12/15(金) 23:40:09 ID:3TnlxDLSO
楽毅は斉攻めと六ヶ国の連合くらいしか語ることないな…。
誰か話題をください。

 

37: 2006/12/16(土) 14:14:36 ID:sgYFYsJG0
あとは「これ読んで泣かなきゃ忠臣じゃねえ」といわれる恵王宛の書簡か

 

38: 2006/12/16(土) 21:11:21 ID:ANOflRf20

六ヶ国の連合という書き込みを見て思いついた。

信陵君と比較してどちらが名将だろう。

 

39: 2006/12/16(土) 23:27:07 ID:SEoxJ4KYO
失礼。五ヶ国連合と覚え違いをしていました。
しかし当時の斉と秦どちらが軍力があったのかにも拠るが楽毅がちょっと有利かな?
確か韓信と同じ上将軍として軍を指揮しその後追撃までして斉をあわやというところ
まで追い詰めていたと思う。対して信陵君は涵谷関も抜けなかったみたいたらね。

 

40: 2006/12/17(日) 02:26:04 ID:buPtjSGZ0

涵谷関を抜けなかったんじゃなくて、落とさなかっただけじゃないっけ?

楽毅のほうも連合として斉を追い詰めたわけじゃないんだから。
元の斉の領土に入っても攻め続けたのは燕一国でしょ?
斉の横暴をとめるという連合国としての大義名分が斉の領土に入った時点でなくなったわけだし。

信陵君は魏を救うのが目的であって、秦を滅ぼすのが目的ではないので、
涵谷関を落とすための犠牲を覚悟してまで秦に攻め入る必要がなかっただけじゃないのかな?
連合として他の国がついてきてくれるのも涵谷関までだったろうし。

 

41: 2006/12/28(木) 22:19:05 ID:6R8D7Ku70
蘇代って何した人なの?いまいちよくわからん。
斉のスパイ?
あと、郭隗って何した人なの?
いや、かいよりはじめよの故事しか知らないから。

 

42: 2006/12/29(金) 21:45:08 ID:EOWs0irC0
>>41
「かいよりはじめよ」をした。
以上。

 

43: 2006/12/30(土) 02:21:16 ID:qgIYbl1s0
それって役立たずってことじゃぁ…

 

44: 2006/12/30(土) 08:18:55 ID:qgH0eDDg0
結果として優秀な人を集めた。
んで、彼らが活躍した。

 

45: 2006/12/30(土) 12:52:03 ID:qgIYbl1s0
いや、かいよりはじめよっていうのは、
郭隗を優遇することによって、郭隗ごときが優遇されるなら俺ならもっといい待遇を受けれると思って
燕にくるってことでしょ。
ってことは、郭隗は当時の人にはそれほど評判が良くなかったってことだよね?
自分が読んだのは横山光輝の史記だけなので、実際史書ではどうかかれているか知りたい。

 

46: 2006/12/30(土) 23:22:50 ID:qgH0eDDg0
だから、自分の評判を落としてでも
主君の人材集めに協力したんだろ。

 

48: 2006/12/31(日) 00:59:01 ID:FSWYjzDb0
>>47
どうしてそういう解釈になるのか
>>46の言う事も変だけど、郭隗くらいの才能の人間は当時でも珍しくなく、
その郭隗ですら王から下にも置かない待遇をうけるのであれば、更に
有能であればそれ以上の待遇をうけるだろうと、才能ある人物が燕へ多く
集まるようにということが、「先ず隗より始めよ」ってことでしょ
べつに郭隗がわざわざ評判を落としたとか、そういったものではない

 

49: 2006/12/31(日) 05:16:29 ID:QyI4gXyF0
孔子だったか誰かに、優れた後継者を推薦した者がいちばん偉いなんて話があったっけ。
楽毅の身を寄せたことが、郭隗のおかげかどうかは知らないが

 

54: 2007/01/24(水) 18:09:48 ID:ddIUOum2O
まさに戦国時代の代表的名将だな

 

55: 2007/02/18(日) 02:10:56 ID:WoZtQ6gR0

やっぱり昭王がすごいよな。
20数年間耐え続けるなんて普通できないぜ。

日本だって20数年間国力の充実に努めれば
アメリカの大半を占領して、ワシントンを包囲できるかもなw

 

56: 2007/02/18(日) 20:44:16 ID:oeKESJZy0
>>55
米の20年の方が実りが大きい。

 

57: 2007/03/07(水) 16:14:39 ID:pmuyLG0K0
外交的能力の優秀さも名将の要素の一つである。

 

58: 2007/03/31(土) 23:41:39 ID:xGzfb26L0
田斉って、楽毅の攻撃がなかったとして、
あのまま国力を伸張させ続けることはできたんだろうか?

 

59: 2007/04/03(火) 12:02:19 ID:pYL4ZH8N0
ビン王が戦争ばっかやってるからそのうち5カ国連合軍とかすごい軍勢が迫ってくれば終わると思ふ

 

60: 2007/04/27(金) 06:13:28 ID:NaTJJYLoO

>>59
単純に、斉が西進しても、同様に東進してきた秦とガチでぶつかって潰されるから無問題。

楽毅は局地の戦闘では白起や韓信に劣るかもしれないけど、政治的なセンスや大局眼は勝ると思う。
白起・韓信のようなタイプはクラッシャーとしては優秀だけどいつまでたってもなんも平定できなさそう…
古代ローマで言うとこの軍団長レベルだと思う。

 

61: 2007/04/27(金) 06:45:19 ID:NaTJJYLoO
連投で追伸して申し訳ないが、楽毅最大の影響(功罪の判断は各人のお好きに)は、
唯一秦に対抗し得るポテンシャルのあった斉を叩く→燕の恵王から逃亡→斉、弱体化して復活
というコンボで秦1強を確立したことだと思う。
楽毅と恵王はある意味最強の連衡タッグ。特に恵王。こいつに秦は足向けて寝られないだろってくらい最強。

 

63: 2007/05/18(金) 09:20:38 ID:aLTo8uEb0
この時代の斉ってどうしてあそこまで国力を伸張させることができたんだろう。
秦や楚は、背後に広大な未開発地があるから分かるけど。

 

66: 2007/05/24(木) 10:37:55 ID:/g2c3qCr0
>>63
秦の軍事的脅威に直接さらされなかった事と、秦に次ぐ脅威となりうる存在で
国土を接している楚が猫の目外交で弱体化した事、いざ戦争となれば韓・魏を
抱き込んで合従できる素地が魏の衰退以降にできあがっていた事、の三つが
大きいかと。
小説ほどの影響力はないにせよ靖郭君や孟嘗君による巧みな外交戦略が
功を奏してもいたはず。

 

64: 2007/05/19(土) 04:29:56 ID:ybrKRqc1O
斉の都臨シが当時の中国で最も人口が多い都市であったことを考えると領土は秦や楚に劣るが一番人口が多い国だったんじゃないだろうか
余談になるけど斉は遼東のほうにも海を越えた領土をもってたらしい

 

68: 2007/06/18(月) 17:31:45 ID:ejtgAXGmO
ビン王になって孟嘗君を追放してから斉は外交に陰りを見せ始める
しかも燕のスパイである蘇代の言うことをホイホイと聞いてしまうという馬○の上塗り

 

69: 2007/06/18(月) 19:02:53 ID:tbVOZ6XX0

ビン王の失策は宋併合が原因かな?

確か宋滅亡で宋に隣接する諸国が大混乱を起こし
それが遠因で楽毅を上将軍とした五カ国連合が起きたとか起きないとか(うろ覚えで申し訳ない)

>>68
蘇代はしっかり縦横家やってるんだよなー
あの頃の合従家たちは、対斉・対秦を見込んだ合従論を説いていたんだよな

秦は函谷関以西に閉じ込めてたから大丈夫
あとは斉かって感じで、ビン王はある意味で袋叩きにあった可哀想な君主
もうちょっとうまく立ち回れなかったのかっていう批判はあるけどね

 

70: 2007/06/25(月) 05:59:09 ID:bEgFSduDO
まあビン王は諫臣たちを○し、自分に媚びる奴しか近づけないような典型的な暴君だから
いずれ破滅してたろうね

 

71: 2007/07/01(日) 04:37:59 ID:v7uOCaY30

楽毅が書いた有名な手紙の内容を簡単でいいので教えてくれませんか?
ぐぐっても内容がでてこなかったので、、

あと、胡服騎射の胡服と、当時の中国の服装の違いがはっきりわかるイメージとか
文章もあればお願いします!
クレクレですみません

 

73: 2007/08/08(水) 21:53:44 ID:MCt9Trgb0
燕って北の辺境って感じが強かったのかな

 

74: 2007/08/08(水) 22:06:41 ID:h8GLtJFX0
>>73
そうでもないと思う。
古来、中原区(おおよそ太行山脈西部、つまり晋陽から宛あたりの地域)と燕遼区(薊などを中心とする)
ほかには海岱区(山東半島を含む地域)なんていう文化領域があり、そこらを基軸に軍閥が割拠していたので、
中央ではないが(中央は当然中原区)、中央からみれば雄藩的な位置づけと言えるんじゃないかな。
四川や江南のほうがよっぽど辺境だったのじゃなかろうか?

 

76: 2007/08/14(火) 21:13:58 ID:wYwPer3T0
楽毅より名将と言える人って史記にいる?
個人的に無忌が同ランクのイメージ

 

77: 2007/08/15(水) 18:35:41 ID:H5UPkedK0
単純な戦果なら白起がダントツだろうけどなあ

 

78: 2007/08/16(木) 04:50:24 ID:r1Bhxi5Z0
いや単純な戦果なら冒頓単于だろう
史記という括りなら

 

80: 2007/09/28(金) 06:02:01 ID:Xn1IIbWH0
宮城谷氏作品の中では楽毅が最高。

 

81: 2007/09/28(金) 21:48:10 ID:4ehSWEsS0

単独戦術戦闘なら白起はすごそうだな。終った後の事はなんもやらんけど・・

王翦は人格的には評価できない~みたいな事が史記かなんかに書いてた気が
するけどどの部分がそうなの? 保身が行き過ぎたこととかかな・・
でも彼がタヒぬと子孫の名臣が世に出ないし保身くらいいいじゃん・・

 

 

91: 2007/12/23(日) 12:28:54 ID:oQ8JpEFGO
局地的戦闘・大局観・占領行政・他国の将軍との折衝の総合力なら楽毅はかなり上位クラスだとオモ

 

92: 2008/01/21(月) 06:18:57 ID:RCguKa3ZO
趙盾は身内の様に引き立ててもらった韓蕨(草冠いらないっけ?)にとってはかけがえの無い恩人、
外から眺めていた士会にとっては独断専行のきらいがあり、表面的な礼にとらわれる面のある宰相。
恐らくどちらも正しいのでしょう。
君主の葬儀のときに礼のためと言い他家の田土を削ろうとしたにも関わらず、別の機会に自家の
田土や廟に手を付けられそうなときは自らの都合で礼をまげようとした子大叔に肖ていると思う。
子大叔の持っていなかった大国の宰相であるという驕りがあるの分、趙盾の方が劣悪とも言える。
また、上辺の礼にうるさく、献言を許容できないという点では士会の孫の士カイにも肖ている。
三者とも身内に甘く外に厳しいから身内とその他で評価は正反対になる。
大国の相としてはお薦めできない人格と言えるでしょう。

 

93: 2008/03/07(金) 05:33:20 ID:7Wc7BH5gO
中国史で初めて大国を攻略し、
占領政策までやった将軍はもしかして楽毅が初めてなのか?

 

94: 2008/03/07(金) 08:22:44 ID:7NcoXzGC0
伍子胥は失敗?

 

95: 2008/03/07(金) 14:20:08 ID:7Wc7BH5gO
伍員は失敗したし、君主つきだったしね

 

96: 2008/03/07(金) 14:46:55 ID:UdNKYHAc0
楽毅も厳密には失敗だと思うが…

 

97: 2008/03/07(金) 16:03:06 ID:ixDtaE0d0
いや、楽毅はちゃんと成功してるぞ。
その成功を全部覆したのが恵王。

 

98: 2008/03/07(金) 16:32:47 ID:UdNKYHAc0
あれは敵である田単の離間でもあるし、一応2城残ってたし、
それに恵王の所為だとしても中途で失敗したことには違いない
まあ理解のない上司に代わるのは伍子胥にしても楽毅にしても不幸だって事ですかね。

 

116: 2008/12/09(火) 07:41:05 ID:HJtLMY1V0
このスレでこんなこと書いていいのかな~っ話なんだけど。
宮城谷氏の楽毅の文庫版、「がっき」ってふりがなふってあるけどおかしい。
「がっき」じゃなくて「がくき」だよな。
それじゃあ白起が「はっき」なっちゃう。

 

117: 2008/12/09(火) 18:08:15 ID:lmamF3Dd0
「楽器」があるからな…

 

118: 2008/12/11(木) 13:22:47 ID:sUaXinkAO

いくら言いやすいにしても、「がっき」はやりすぎだろ

どうまかり間違っても楽という姓を「がっ」とは読まない

 

119: 2008/12/11(木) 17:22:23 ID:iTxR9EjJ0
姓はむろん「がく」氏だろうし、祖先の楽羊も「がくよう」だ。
しかし、楽毅は「がくき」と発音するより「がっき」のほうが自然となる。
これはカ行が連なるため、日本人の発音のしかたによるものと思われるが、どうだろうか。
日本では、「がっき」と発音・表記しても、問題ないと思うんだがな。
もっとも、こんな発音するのは世界広しといえど、日本だけだが。

 

134: 2009/10/14(水) 22:17:17 ID:57/2UVqeO
白起と学毅と王センと孫武と韓信を同じ部屋に閉じこめたらどうなるの?

 

135: 2009/10/15(木) 10:56:43 ID:YzGQs9+D0

134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 22:17:17 ID:57/2UVqeO
白起と学毅と王センと孫武と韓信を同じ部屋に閉じこめたらどうなるの?

↑↑↑↑淳干コンのとりなしで皆仲良くなるでしょう↑↑↑↑

 

136: 2010/06/20(日) 04:39:03 ID:Rcc8Uqfy0

いきなりすみません。分かる方がいたら教えてください。

「へんしつようき」の単語の漢字がどうしても思い出せません。
偏質庸器 はちょっと違う気がしています。
言葉の意味は「資質に偏りがあって、凡庸で」みたいな感じで・・・
多分、楽毅の4巻の前半あたりに記載されていたと思います。困ってます。

 

137: 2010/06/20(日) 09:01:27 ID:Hn0PSoJfO
>>136
確認したところ、「偏失庸器」
偏失とは中正ではないということ
出典は四巻の「一家の春」
太子時代の燕の恵王の資質についてふれた場面だった

 

142: 2011/10/23(日) 23:32:03.04 ID:28mlAsCc0
楽毅の知識が乏しい俺に教えてくれ
楽毅って一般的に中山の臣か燕の臣どっちなの?
時間的には中山の方が多いの?
あと丹冬とかって実在すり人間?

 

143: 2011/10/24(月) 18:03:38.80 ID:F11G2mO1O
 うーん、岩波文庫だけど楽毅列伝じゃ殆ど記されてない。 不親切なことに文章が「趙の武霊王の時に、また中山は滅ぼされた」の後に「楽氏の子孫に楽毅が出た」となってる。 この書き方だと滅亡後に生まれたみたいだよなあ。
後のおおよその流れは小説通り。 孟嘗君のもの字も無いけどね。
あと楽毅周辺の配下も楽間と楽乗以外全然出てきません。 燕世家でも見れば違うのかな?

 

144: 2011/10/30(日) 01:59:46.49 ID:oyK0ORme0
祖先の楽羊が中山を貰ったんだから、候か公だったんじゃないか。

 

146: 2011/10/30(日) 20:59:04.14 ID:5SA/679W0
>>144
いや、たしかに中山を討伐したのは樂羊だけど、与えられたのは首都だった一邑
中山全土を治めたのは魏の太子の撃(武侯)でしょ
でもって樂氏は中山の王族じゃないんで、公・侯号は関係ないと思うけど

 

147: 2011/10/31(月) 02:24:10.56 ID:Svjm6cYMO
宮城谷「楽毅」の楽毅配下で実際の人物は一族の楽乗のみ
楽毅とともに趙に亡命したらしく後に趙で武将として活躍してます
実力としては良将ぐらいのレベルかな

 

149: 2011/12/06(火) 23:34:45.92 ID:5sxapK8P0
>>147
息子の楽間がいたような。
趙と燕、両方の戦に将軍として出てたりして随分変わった立場だなと思った事がある。

 

148: 2011/12/04(日) 23:08:13.51 ID:VaLtivU8O
名将であり戦略家、外交官、政治家としても優秀でオールマイティーな人だよね
完全に軍事だけの白起とはまた違った名将だな

 

150: 2011/12/07(水) 01:34:39.41 ID:rbD6qzMDO
息子の楽間は将軍になったことが無いような

 

152: 2012/08/03(金) 15:29:26.90 ID:uY301JH50
楽毅が趙と燕を行ったり来たりしている時期と、田単が趙の宰相になった時期ってかぶってる?
もしそうならこの両雄が酒でも酌み交わして、先の闘いについて語り合っていたなんて想像すると、なんか嬉しいな。

 

154: 2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:2r9zKCbP0
まず、楽毅は中山国宰相(当時かは不明)の父の嫡男として生まれマスタそしてなんやかんやで(趙にはいってないらしい
魏の国にいきました。そこで孟嘗君(戦国の四君)の画策で斉を討つために燕に楽毅を正使、韓?を副使をして

 

155: 2013/10/21(月) 19:46:58.29 ID:GBP9mzViP
台湾海軍には火牛のシンボルマークをつけた軍艦「田単」があるが楽毅は無いな。
台湾でもやはり評価は田単>楽毅なんだろうか。ほかに岳飛や子儀の名も軍艦の名になってるが。

 

159: 2014/01/03(金) 07:41:27.85 ID:YpaEKYUZ0
>>155
2城まで追い込まれて取り返したのを台湾に当てはめてるだけでしょ
あくまで台湾は中華民国だからな

 

157: 2013/11/29(金) 22:11:01.46 ID:S8FA31UT0
三国志演義での諸葛亮のおかげ 羅貫中のおかげか

 

158: 2013/11/29(金) 22:11:57.22 ID:S8FA31UT0
宮城谷さんのおかげ

 

160: 2014/09/10(水) 22:38:56.30 ID:NmDHzJ6d0
そういや小説「楽毅」では郭隗がいつの間にか影も形も無くなったが、どうしたんだろ。
あいつがいれば、楽毅追放も無かったかも と妄想してみる。

 

161: 2015/04/29(水) 05:51:54.14 ID:ahby/n1t0
諸葛が自分を楽毅になぞらえて他人も認めてたのが不思議。
何か武功でも立てない限りただの机上の戦略家でしか
あり得ないと思うのだが・・・
実際孔明の軍才も軍功も楽毅には及ばないでしょ。

 

162: 2015/04/29(水) 17:44:53.68 ID:KkSIGOX20

管仲・楽毅のように、卑賎の身だが明君に遭えば二人のように政戦両面で活躍してやる、っていうことじゃね
管仲も楽毅も、君主に絶大な信任を受けて初めて活躍できた人だし

あと、管仲楽毅に比すという評を他人が認めていた、という記述は
史書にはなかったような気がするけど、どこかにそういう記述あるの?

 

163: 2015/04/29(水) 21:05:35.15 ID:ahby/n1t0

自比於管仲、樂毅,時人莫之許也。
惟博陵崔州平、潁川徐庶元直與亮友善,謂為信然。

って書いてるから少なくとも二人は認めてたんじゃないの。

 

164: 2015/04/29(水) 22:42:24.29 ID:KkSIGOX20

他人=世間(諸葛孔明が所属する荊州の知識人層)と誤認してたわ
友人3人に認められれば、他人に認められた、と言ってもいいね

ところで、諸葛孔明の軍才に疑問符をつけてるようだけど
孔明の北伐が楽毅の斉征服に比肩するほどの功績ではないのは、同意するが
孔明の戦法を唐の李靖が高く評価してるから、軍才が楽毅に及ばない、というのはちょっと同意しかねる

そもそも楽毅の軍才がどれほどのものなのかは、史書に記述が少ないから正確に測るのは難しいしね

 

165: 2015/04/30(木) 03:02:22.98 ID:2X1G7oz70
孫子の兵法>>>孔明の兵法だからな。
曹操の兵法のが孔明より上かも知れんぞ。

 

167: 2015/04/30(木) 22:02:28.44 ID:L3m2FApB0
マジレスすると、
孫子の兵法と諸葛孔明の戦術を一緒くたにした挙句に上下をつけるのは、いくらなんでも蛮行、としか言えんぞ

 

 

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1164469207/

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