奈良県天理市の博物館が所蔵する「家系図」を分析したところ、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハーンを始まりとする世界最大級の家系図だったことが分かりました。
家系図は円形で直径は約5.6m、木綿製の帯状の布を繋ぎ合わせて作られています。家系図は、1966年以前に天理参考館に収蔵されましたが、
詳しい調査はされないまま保管されていました。ことし、天理大学が創立100周年を迎えることから、専門家に解読を依頼したところ、家系図の詳しい内容が明らかになったということです。
家系図(天理大学附属天理参考館)
家系図の始祖は、モンゴル帝国初代皇帝チンギス・ハーンの男系子孫「ショロイ」で、家系図の中心に記されています。ショロイから同心円状に、世代毎にその子孫が書かれていき、
14世代目までの名前が記録されています。総数は約1万2000人で、300年以上にもわたる記録ということです。
家系図は16日から始まる天理大学付属天理参考館(天理市)の企画展で初公開されています。展示は6月2日までの予定です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5bf96bf1609adf76e77745fa5d7c1a199111827e
ショロイって人がモンゴル帝国で流行したラマ教の重要人物で天理教にも影響したんだよ
第一次大戦前後に西域とかチベットが流行ってた
兄弟平等相続で、子孫になるほど数が多くなって
そんな書き方をする文化なのだろうな
あっちは末子相続だよ
2代目トルイも3代目クビライも四男
上の兄たちも領地は分けてもらえるけど
2代ハーンはトゥルイの兄で三男坊のオコダイ。
トゥルイは末っ子だったがオコダイより先にタヒんだからハーンに成ってない。
その代わり?トゥルイの子のモンケとフビライ(日本を攻めた人)がハーンに成ってる。
オゴデイね
大昔の力ある人なら全然不思議じゃないな
中山靖王は劉勝な、劉備の祖先で前漢中興の祖・武帝の異母兄。
お墓が発掘された時に保存状態の良い凄い宝が複数見つかった事でも有名。
劉備ってそう名乗ってたけど
実際は光武帝劉秀の兄貴劉エンの庶子子孫だろ
皇族の縁戚としてはそっちの方が良い気がするが
前漢の皇族子孫名乗ったほうが位高いんだろうか?
元々、昭和の自虐史観で「世界を知らない鎌倉幕府がなにも知らず戦争になって負けそうになったら台風でたまたま勝った」
という自虐史観の流れがある。
「神風」がらみで、太平洋戦争時からの日本自虐、日本ヘイト史観が、日教組が猛威を震ったこともあって
教育現場でも流布してた。
それが、平成以降、ネットでの多様な意見の流通がようやくできるようになり、実は史実では
鎌倉幕府は南宋から十分な情報得ており、使者を切ったのはいずれにせよ侵攻するつもりのモンゴルに
情報すら渡さないという選択で、実際の戦いも、名乗りを上げてやられまくる間抜けな鎌倉武士、という昭和の
自虐史観の真逆で、獰猛に○しまくって圧勝してたというのが広まった。
ところが、これが嫌なのか、教育テレビをはじめNHKでは、昭和の自虐史観に回帰する動きが近年目立つ。
「元側は友好的に戦争を回避するつもりだったが、外交をしらない、無知な鎌倉幕府がヒステリックな対応をしたため」
っていう昭和の頃ずーっと言われてた自虐史観が息を吹きかえしてる。
それと日本への最初の使者の来日は元寇6年前(1268)なんだが、この時の使者がまだ日本滞在中のうちから
クビライは高麗に対して南宋と日本を討つ意思表明をして軍船の建造も命じてる
使者が返書のないまま帰ってきたのはその後
時系列見ても日本の対応と関係なくクビライは最初から戦争前提で既に準備段階に入ってる
元寇直前の使者が偵察して帰ったのみてもわかるように使者派遣ってのは攻め込む先の地形や内情視察も兼ねてる戦争準備のひとつ
モンゴルが共産主義国だった時に日本共産党の連中が宣伝した内容を
今頃また再宣伝してるだけ
>使者を切ったのはいずれにせよ侵攻するつもりのモンゴルに情報すら渡さないという選択で、
というか使者処刑(1275)の前年が第一次元寇の文永の役(1274)で一度侵攻された後
使者処刑を元寇の原因とする説は、文永の役前の使者は生かして帰してるにも関わらず元は攻めてきた前例があることや、
実際元寇前の使者が情報収集してたことを無視してるか、あるいは使者処刑が文永の役前のことだと勘違いしてることが多い
ノヤンは「春の日、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と答えた。
チンギスが他の将軍のボロウルにも同じことを問うと、ボロウルも同じことを答えた。
するとチンギスは「違う」と言い、「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えた。
モンゴル帝国史
チンギス・ハーンを始まりとする家系図
【実際】
チンギス・ハーンの子孫を始まりとする家系図
東スポ並の誇張
現在モンゴルで「チンギス・ハーンの子孫」を自称する人達の殆んどが、このシュロイ系を自称しているらしい。
チンギス・ハーン(初代)
↓
トゥルイ→モンケ(4代)
↓
フビライ(モンゴル5代、元の初代)
↓
チンキム
↓
ダルマバラ
↓
カイシャン(元7代)
↓
コシラ(元9代)
↓
トゴン・テムル(元11代。中国領を失った元朝最後の皇帝)
↓
アユルシリダラ(ビレクト・ハン)
母親は朝鮮半島の身分の低い家出身
↓
エリベクハン?
エルベク・ハン
(フビライ・ハン系かフビライとハンの座を争った弟のアリクブケ系の二説あるが、ドッチにしろチンギス・ハーンの血をひいているのは変わらない。ココではフビライ系とする)
↓
ハルグチュク・ドゥーレン・テムル・ホンタイジ
(エルベクの弟と言う説もあるが、ホンタイジとは皇太子の事なので息子の可能性が高い)
奥さんが超美人でドスケベな父エルベクに暗○されて奥さんを奪われる
↓
アジャイタイジ
↓
アクバルジ・ジノン(モンゴル28代)
↓
ハルグチュク・タイジ
↓
バヤン・モンケ(ボルフ・ジノン)
↓
バトゥ・モンケ(ダヤン・ハーン)
モンゴル34代ハーン。中国領土を失って以来王朝の力が衰え、モンゴル領土内ですら分裂状態だったのを再び統一し、初代チンギスと5代(元王朝初代)フビライに次ぐモンゴル三大偉人と称えられる人物。
エキノコックス感染経験があるという珍しい経歴を持つ。
↓
ゲレセンジェ・ジャイラル・ホンタイジ
↓
モーロボイマ
↓
ショロイ(チェチェン・ハーン)
https://i.imgur.com/lr2Wt30.jpeg
多分、ジョチの子孫のトクタミシュの家系だと思う
Σ( ゚Д゚)キャプチャクハーン国!
どうやらそれはみなチンギスハーンの子孫だかららしいということだった。
大規模な後宮を作ってやりまくってたかららしい。1人の人間の子孫が大量
に居るというわけ。
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1744784703/

コメント