【中国史】中華文明って中国が広いだけで、もしかしてローカルな文明?
日本人(特に古い世代の人)は、中華文明というのは、近代以前の世界においては、偉大で圧倒的な普遍性を持った文明だと思いたがる傾向がある
しかし、いわゆる漢字文化圏以外の人々、例えば、西洋や中東の人々から見たら、結構、東の果てのローカルな文明に見えたりするようだ
確かに、インド起源の仏教は中国に大きな影響を与えた一方で、儒教や道教が他の世界に大きな影響を与えたとは聞いたことがない
中国の影響は漢字文化圏を一歩外に出ると、ほぼ物質面に限られるようだ
つまり、中国文明の普遍性とは、日本人の錯覚と異なり、東アジアの漢字文化圏限定のものではなかろうか?
勿論、中国自体の人口が巨大なので見かけ上の存在感は大きいと言えるかもしれないが
3: 2020/08/12(水) 18:54:37.78 0
まあ、孔子はともかく老子については、欧米のインテリはよく読んでるけどな
「影響を受けた本」として、老子道徳経を挙げる人が結構いる
そこから日本を初めとする東アジア諸国にも逆輸入された
ああ、確かに中国文明は物質面では卓越したものがあり、紙だけでなく、絹や陶磁器など色々、世界に影響与えたものはあるし、それが結果としておっしゃるように精神面の影響にも及んだというのはあるだろう
ただ、宗教思想、政治制度など文明システムの根本に関わるようなものに関して言うと意外なほど、中国文明の影響は地域限定じゃなかろうかということ
>>9
思想に関しては、その通り
もともと、「詩と宗教はアラブ、技術は中国」とマホメットも言ったくらいで、日本人も含め東アジア人は、概して宗教や哲学に強くない。
その代わり、絹織物や陶磁器などの工芸品は、古来から中国産が最高級品であることは誰もが認める事実だった。
現代でも、東アジアは製造業に強くて、その点ではアラブ人と比べ物にならない
モンゴル帝国は世界を大きく変えた
その影響の大きさは、近代における欧米列強の世界進出にもヒケを取らない
その通りだが、そのモンゴル帝国は中国(元)をも支配したにもかかわらず、世界に中華文明(漢字、儒教、道教など)を広める役割を果たさなかった
ここにも中華文明のローカル性が現れてるような気がする
>>12
あまり知られていないが、イルハン国はペルシャ美術に大きな影響を及ぼした
イスラム教の偶像崇拝禁止のおかげで絵画表現が衰退していたペルシャに、モンゴル帝国が連れてきた中国人の絵師は強い衝撃をもたらした。
そこで成立したペルシャの細密画は、ムガール帝国でも美術のスタンダードになった
イスラム、仏教のように、言葉の壁を越えて世界の文化文明を根本的に変えるほどの文化的影響力を中国文明は持っていなかった、漢字文化圏除いて
というか、中国自体がインド伝来の仏教で大きく変貌したのであり、その後成立した中国モデルが、東アジアの漢字文化圏限定で広まったとはいえる
中国人が自国の文化を誇るのは当たり前
アメリカ人のように民主主義がどうとは別に思わないが、対日政治工作で極左過激派を援助したり北朝鮮への軍事援助はやめてくれよと思う
大多数の日本人もそんな感じだろう
習近平が北朝鮮を懲らしめるといったら日本人は拍手喝采してファンになるよ
僕が言いたいのは、日本人には近代以前の中華文明は偉大にみえたりするが(それが悪いとは思わないが)、中華文明が日本人が思うほど、世界的なものではなかったとではということ
そう、この孤立した文明という認識が、従来の日本人には抜け落ちてたような気がするんだよ
欧米の知識人なんかはわりとそういう感覚を持ってるようだけけど
日本人は中華文明をただただ、巨大で偉大な文明と捉えがちだから
まあ、日本や朝鮮は中国文明の強い影響を受けた数少ない国だから仕方ないとも言えるけど
まずは、中国をやたらリスペクトする人には
「暗黒大陸・中国の真実」を読ませたほうがいいと思う
全部通読できる人は褒め称えていいくらいの、これでもかこれでもかというくらいの
闇の部分のオンパレードだから、これで中国を尊敬する気分は一挙に吹っ飛ぶはずだw
それはおくとして、
経済的には、砂漠地帯のエジプト・メソポタミア・インダスとちがって
モンスーン気候の黄河・長江は水量が桁違いなので、人口も桁違いだから
世界史を通して、中国が人口世界一ゆえに経済も世界一なのは、事実だろう
本当はインドもそのはずなんだが、いまでも人口に比した実力がない
中国が大朝鮮なら、インドも大東南アジアといえるくらいの未統一国家だからだろうか
地形的に隔絶しているから文化的にもローカルになったのは、>>13の言う通りだとおもうし、
>>18-20のみならず、夏殷周の青銅器文明の段階からして中東から伝播した可能性がある
ロクに広がらなかった文明だと言えるのでは?
そもそもユーラシア 全体での交易が古代からあったと考えられる以上、紋切り型にどの文明はどこよりも上と論じるのはナンセンスなのではないでしょうか
中華文明にしても、本当にローカルな文明と呼べる中南米やポリネシア 系の文明に比べれば遥かに文明史への貢献の度合いは大きいものに思えます
隋唐が西域から受けた影響というのも考えておかなければいけない
日本人が「中国から伝わった文化」と考えているものは、実はもっと西から来たものが多い。
たとえば、仏像だ。
>>20
確かに、インドだけでなく、西域の中国への影響も重要ですよね
おっしゃるように、隋唐時代はそれが顕著
そんなことは明白なのに、なぜか日本人には「中国は偉大な国だから、日本のように外国の真似をしたりせず、外国の影響などほとんど受けなかったのだ」と真顔で言う人が後をたたないのには驚く(最近は少し減ったかな)
仏教はインドの宗教だ。
彫刻はギリシャの美術だ。
この2つの文化がガンダーラで出会って、仏像彫刻に結実した。
それが中国に渡って、濃い顔のインド風から東アジア風の顔立ちに変わり、日本人がイメージするような仏像になった。
それも、「中国人が仏教を信仰するようになった」というより、「仏教を信仰する民族が中国に移住してきた」というほうが実態に近い。
音楽も同じで、雅楽の楽器はほとんどがペルシャに由来する
それが唐でアレンジされたものが日本に伝わた
>日本人(特に古い世代の人)は、中華文明というのは、近代以前の世界においては、偉大で圧倒的な普遍性を持った文明だと思いたがる傾向がある
この前提が間違ってるような? 「古い世代の人」が織豊政権以前であれば、そういう感覚の日本人がほとんどだったかも知れないが、
明治以降だと多くの日本人は西洋文明こそが普遍で中華はローカルだと考えていたんではないか
他国のことをあれこれ言うより自国の心配をしたほうがいいと思われ
>なぜか日本人には「中国は偉大な国だから、日本のように外国の真似をしたりせず、外国の影響などほとんど受けなかったのだ」と真顔で言う人が後をたたない
具体的に誰?
こんなことを真顔でいってるのはサヨクと中国人くらいじゃない?
「暗黒大陸・中国の真実」の著者本ラルフ・タウンゼント
1941年11月から始まった日本のプロパガンダに関する連邦政府の調査で、タウンゼントが1937年から1940年まで存在していた日本のプロパガンダ組織「日本貿易情報委員会」から支払いを受けていことを確認している
それは西洋諸国からおびただしい量の銀が流入したから
西洋人が買い付けたのは茶・生糸・陶磁器などの中国の物産
ムガール帝国期のインドもそんなもんだろ
中国が、インド同様、近代以前においては常に巨大な人口、経済力を持っていたのは、確かだ
ただ、文明の伝播力、つまり他国に与えた文化影響力ということになると、東アジアの漢字圏を覗けば、結構乏しいとも言えるのではないか
それどころか、清の版図であったモンゴル、チベット、ウイグルにさえ、限定的な影響しか与えていない気がする
漢字文化圏内に与える強い影響、しかし、漢字文化圏を一歩外に出ると途端に弱まる影響力という二重性が中国文明の特徴なのかもしれない
ローマ帝国も、地中海世界とヨーロッパ以外では、あまり影響力がなかったんじゃね?
ペルシャ文化やイスラーム教に比べて、ローマ文明の影響が及んだ範囲は狭い
火薬、羅針盤、紙、絹、陶磁器とか世界レベルで影響を与えているのですけど
あとイスラム美術にもデカい影響与えてるよね
アッバース朝では中国からの工芸品と言えば何でも高値で取引されて
だから「中国とインドの諸情報」なんて本が書かれたぐらいだし
>>39
中国は、物質面では確かに世界に大きな影響を与えたと言える
その意味で>>31には、物質面を除けば、という文言を加えるべきだったと反省する
ただ、ギリシャ哲学、キリスト教、イスラム教、インド起源の仏教が世界に与えた影響力に比べれば、中国の精神文化の影響力の及んだ範囲は、かなり限定的と言わざるを得ないのではないか
新大陸からの馬鈴薯のおかげ
それに比べると中華文明の影響の及んだ範囲は狭い
>>33
それよりも、気候風土の違いが大きい
モンゴルやウイグルなどの乾燥気候では、中国文化よりも中東のイスラム文化が好まれた。
東南アジアの熱帯気候では、中国文化よりもインド文化が好まれた
絶対神の試練に耐えるほど魂の救済がある
多神教は様々な風土に適応しているが、相対神なんでお呪い以上にはなり辛い
砂漠の内陸気候は昼と夜、夏と冬、その光と闇のギャップが大きいからな
一神教とか二元論とか、そういう突き詰めた思想は東アジアの風土からは生まれにくい
「西学中国起源論」があって、それが改革の足を引っ張る結果をもたらした
漢字が難しくて広まらなかったためにその思想も広まらなかった。
インドの仏教も阿含経と呼ばれる古い経典は現存しているのは東南アジアの小乗系で使われていふ欧印語系統のパーリ語とインドで仏教が滅びる前に漢訳されたものの二つだが、
漢訳の阿含経は欧米人には漢字が難しすぎてその研究は日本人の仏教学者が担うことになった。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1597144375/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません