【漢】劉備と劉邦、どこか似た二人だけど個人としてはどちらが優秀か議論しよう
劉邦と違って部下に恵まれず、
敵が曹操という文武両道の人物だったところが悲運だったと思う
たまには漢帝国中興の祖、劉秀のことも思い出してあげてください
劉エンの地盤は別に継いじゃいないだろ。
馮異以外のほとんどの劉エン人脈は河北で確固たる地盤を築いてからの帰参だ。
劉玄を利用できたことならわかるが。
あと敵ではっきりと弱かったのは張歩ぐらい。
それも曹操が孫ピンとともに声東撃西策の模範とした耿エンが、策謀巡らせてはめにはめた結果。
王莽が荘尤を、公孫述が延岑らをまともに使えなかったことも有利な点かな。
あとの連中に対しては、劉秀がほとんど失策がなく、
相手が地盤広げる隙のないうちに中原を高速で制圧できたのが何より大きい。
隗囂あたりなんてあとちょっと遅ければ、或いは竇融がもし劉秀につかず隗囂方についていれば危うかったろう。
呉漢らが敗れてるわけだしな。
その差が人物の優劣でないか?
後漢紀に昆陽で先鋒を勤めたとの記述があったり、
後漢書にも即位後も直接敵兵と格闘した記述があるあたり、一番君子に向いてないかもだが。
若い頃仲間を引き連れて放蕩の限りを尽くし、負け戦では子供二人を放っぽり出して単騎逃げようとする劉邦
それに対して若い頃から真面目に働き、負け戦でも領民を守ろうとする劉備
どちらかと言うと劉備の方が慕われると思うよ
運の強さは劉邦の方が上だったけどね
いや、劉備だって若い頃遊学先で勉強せず遊びまくってたりに負け戦で子供ほっぽらかして一目散に逃げてるぜ
基本的に似たり寄ったりなんだ、劉備と劉邦
何気に二人とも戦わりと強いし。常に項羽と曹操の陰に隠れるけど
>>21
アレは正に劉邦の故事にならって付会されたもの。
劉邦を継ぐものだというアピとそれが家臣のためだったという仁アピ。
能力というのが学力とか考察力、体力、技量なんてものを指すなら
史書の記述を見る限り劉備>劉邦。
だけど、主君=能力NO.1の必要は全くないわけで、決断力、包容力といった
指導者の資質というか器の大きさでは圧倒的に劉邦だろ。
俺の意見
兵や家臣としての能力 劉備>劉邦
主君としての能力 劉備<<<<劉邦
劉備の場合はホウトウ法正とも短期間でタヒんじまったし。
最も優れていたのは運、シャレ抜きで運
光武帝の兄貴の子孫て説があるけど本当?
魏略だと劉備は臨シ侯の子孫ということになってるんだが
後漢における臨シ侯の一人が劉エンの息子なんだよね
だから光武帝の兄貴説というのも一応間違いじゃない
ありがとう
光武帝の兄貴は劉邦に似てたような
彭城奪われたところを覆せるだろうかねえ
劉秀だったら曹操をも倒せるかも知れん。過大評価しすぎかな?
でも多分本当のチート能力は始皇帝政。同時期に居たら誰も勝てない。地盤も強すぎるしね。
曹操も割とそんなだぞ
逆に言えばそれだけ
器のでかさは最大級。
むしろ好評価して重用するだろ
能力と野心のバランスも上手くとって赤壁に投入
武将はともかく、他の軍師との関係も良好に保てる
問題は曹操亡き後なんだよな、抑えられる君主が居ない
魏はなんだかんだ言って門閥だから、結局、韓信には大軍は任せられないで逃げられそう
項羽は仮に天下取れてもタヒ後すぐに秦同様楚は滅亡することになるでしょう。
戦争に強いのと良い政治をして国を治める能力は別。
平和になると項羽の能力は生かせない。乱世でこそ生きる能力
うまく項羽とは別タイプの2代目皇帝に引き継がせるしか方法が無い。
項羽は戦争病に取りつかれて天下統一後即座に匈奴討伐戦とかやりそうだが。
もちろん良い意味で
光武帝も
意外と曹操や劉備の補佐役とかのまま生涯を終えそうな気もする
劉秀って戦乱の時代の人には珍しいくらい良い人だし
法正とホウ統が生きてたらな。
劉備には結局孔明しかいなくなり、それに頼りすぎた。
劉邦は統一まで張良、ショウカ、韓信が現役だったからなぁ。
劉邦単体では負け戦が多かったり、統一した後反乱起こされたりと、能力と人心掌握力は劉備の方が上だと思う。
ただオレは演技厨だけどW
劉備タヒ後、法正と魏延が壮絶な仲違いをするなか
頭を抱える諸葛亮の姿は思い浮かんだ
ただ相手の曹操は項羽のように人格に問題はなく文武両道の名将(もちろん項羽も名将なんだけど)
法正 ホウトウの早すぎるタヒ(ホウセイの才能は疑いようはない ただ性格的に孔明のように将軍としての器があったかは微妙
ホウトウは微妙だが 人物眼にも定評があったらしい)
劉備軍でも楽勝だろう
項羽>董卓>劉備>曹操>袁紹>袁術>王允>王莽
この時代ではバランス一番いい
>>92
王莽を舐め過ぎじゃね?
時代にはそぐわなかったが、晋代に匹敵するレベルの政策を行っているし、
王邑などの将軍達はは昆陽近くのマクロレベルの動きをみても、名将に近い作戦をたてている。
大軍による半包囲と、兵站線への迂回打撃で緑林軍を干上がらせるという作戦は理にかなっているし、
局地戦で誰かさんが寡兵であっさり鶴翼の左翼を文字通り粉砕してしまわなければ、
緑林軍を完璧に破っていただろう。
ついでに言うと、王莽自身の軍事戦略については俺も匈奴戦の五路進軍が
「兵力の分散じゃね?」と最近まで思っていたんだが、
近代兵学の本を読んだら、大軍の場合、目的地に向かって一路だけで進軍すると、
所謂遊兵が戦線後方に出来るため、結局前線では寡兵で戦うことになるからよろしくないらしく、
大軍で複数の道が同じ目的地に向かって伸びている場合、
複数にわけて進軍するのは望ましいことなんだそうな。
だから、絡め手で政権奪ったあげく、一代で滅んだために散々けなされて甘く見られがちだが、
彼は割とバ○にできないよ。
バ○に出来ないというか、むしろかなり先進的な思考をしている。
あなたの思ってるとおりの基準で>>92を書いたなら
董卓、劉備が曹操より上になる訳ないだろ。
能力の不等号ではない。
その場でタヒんだ振りして仲間が助けてくれるのをずっと待ってたって話を思い出す。
関羽は途中参加で張飛、田予、簡ヨウが最古参
両方好きだけど部下になれるなら劉備の部下になりて~
孫権裏切りますぜ~って教えてあげたい
劉邦の部下になったら、○されるのがヲチだからな。
たしかにw
劉備が天下統一しても部下は○さなさそうだもんな
劉備も皇帝になってから
いろいろ過去のことに根を持って○してますよ
項羽は確かに武勇がやばいけど、部下の扱いに色々問題がある。
横山さんの漫画で見たかぎりでも、叔父(名前忘れた)は完全に
劉邦派だし、参謀の意見を全然受け入れないし、英布ほどの
武人に裏切られるし。相手が曹操だったらきつかったんじゃないか?
つまり劉一族の弱点は情け容赦ない人。部下の質も違うし比べようが無い。
大体、劉備だって別に下手ってわけじゃない
劉邦が勝ったのは不タヒ身なのが大きい
英布にしても相手が戦略をミスってるし、それ以外は姦計で○してるからな
大体戦上手ならスイ水の時点で連合軍をまとめて勝ってて韓信の出る幕はなかっただろう
項羽に負けたのが響いているんだろうが、
それは相手が悪かったというもので
負けてなお戦力が瓦解しなかった点を評価すべき
生存能力という点で劉備が比較されているが、劉備のはただ生き延びる能力で、
劉邦とは似て非なると言っていい
ただ、本当にスッテンテンになってもいつの間にか復活してしまうのは
また別に凄いことだ
裏切りを繰り返しても○されることなく名声を高めていく奴
お前、和議成立で別れる瞬間、後ろから襲いかかった劉邦先生なめんなよ。
劉邦=教祖様
劉備=詐欺師
ってイメージ。
小説や漫画のイメージと、史実との差が凄くてビックリした
劉邦は三国志演義でやたら「負けまくったけど韓信とかのお陰で項羽を倒した」って言われてるからな
あれはかなりひどい誇張
三国志で言えば、呂布を使いこなして天下統一、用済みになった所を処断って所か?
確かに劉邦は武略では劣るが、まさに将に将たりだな。
漢を長期安定国家にするには大きすぎる存在を必要に迫られて作らざるを得なかったものの、見事に自分で手仕舞いした。
前漢は統一後も戦乱が続いたと非難されるが、もし劉邦が韓信○す前にタヒんでたら乱世に逆戻りじゃね?
少なくとも、徳川家康が前田利家よりも先にタヒんだ場合より歴史が変化しそうw
己は完全でなくても嫌いな人物の意見や口うるさい助言もいいと思えば受け入れ
衆知を活かして活用することができる
彼らの力は言ってみれば個人的能力ではなく衆知の総和だから
組織の大将としてはまさに無限に近い力を持ってると言えるかも
劉備は最後に関羽のタヒで逆上し、衆知を活かす事を見失っちゃったけどね
劉備もこんな感じだったんだろうか
劉邦に比べると全体的に器用
ただし劉邦の圧倒的な強運に比べると運が悪い
この際の運ってのは周囲の状況ってことだが
残念ながら劉備は、劉邦や劉秀、李世民や朱元璋辺りと比べたら一段落ちる。
正直皇帝の器ではなかったというところだな。
皇帝と言うのはやはりある意味残酷な面もなければいけない。
しかし劉備は義弟の仇討ちという私怨で兵を起こし惨敗したという
拭い切れない汚点を残している。
夷陵の戦いなら仇討ちだけとは言い切れないんだな
戦略拠点として重要だし(それは呉も同じ)
多くの人士の出身地でもあるからな
問題は戦に負けたことだけで器には関係ない
韓信なんかあからさまなタヒ亡フラグ立ててるからな
まぁこういうあほな先人が前例を作ってくれたおかげで人類が成長して行ったんだろうが
>>173
どこが?
最終的に劉邦が完勝してるからそう見えるだけで
楚漢抗争期だって別にレベル低いわけじゃない
劉邦・劉秀・劉備
もし劉備が三国時代を制していたら劉秀の王朝は中漢と呼ばれていたのかな?
ここまで劉氏王朝が続くと中国の歴史も変わってそう
日本の皇室や西欧の諸王家みたいに、劉氏でないと皇帝になれない、みたいな掟ができてそう
実際、季漢輔臣賛では後漢を中漢って呼んでるよ
前漢(前206~8) 建国者:劉邦
中漢(25~220) 建国者:劉秀
後漢(221~420) 建国者:劉備
宋漢(420~479) 建国者:劉裕
こういうことですね、わかります。
>>188
NO
双方戦術レベルの雄だが、項羽は歩兵の運用で結果を残してるし
呂布は騎兵の運用で結果を出してる
>>188
項羽はハッキリ言って三国時代の誰が戦争しても勝てないと思う。
言ってみれば武力は呂布より強くて用兵は孔明より巧みだった。
劉邦が勝てたのは楽毅よろしく連合軍を結成して
国士無双の韓信が指揮して何とか勝てた。
それまでに項羽を弱らせるために何年も準備を重ねてやっと、だ。
政はさっぱりだったが逆に言うとそれだけ諸国がいかに項羽の強さを思い知ったかがわかる。
当代最強だった秦の精鋭を打ち滅ぼした時点でもはや敵はいなかったろうな。
けど、他は能力は上でもカリスマが無いから人がついてこない。
いつの時代も結局カリスマは台頭する。
時代が周りがほうっておかない。それをカリスマという。
美容師やホストのカリスマではなく、天下を取る一人限定のカリスマが
劉邦にはあった。
実は冷酷な権謀術数のある劉邦は
劉備より曹操に近いと思う。
後世の人が劉邦の演じたイメージに騙されて劉備にその像を見たのかもしれないが、
劉邦の本質は冷酷さだと思う。
劉備があそこまで成り上がれたのも皇室の一族だったっていう名分があったからこそ。
大して劉邦は家柄も学も何もなく一介の亭長から皇帝まで成り上がった。
逆にそれだけの身分だったからこそ人を用いて人が集まったんだろうが
それを受け入れる度量のでかさのスケールが違った。
だから張良や韓信なんかの逸材が次々と集まった。
劉備は結局の所それだけの度量と魅力がなかった。
仁義だけでは結局才能ある人材は集まらないし
忠義心が高い忠臣が多いってことは逆に出世するチャンスもないってことだ。
見限る人材も多いよ。
劉邦はもともとは侠の親分だからな
劉備もそこは共通してる
劉秀はいいとこのボンボン
正史読む限り劉備はむしろ曹操や董卓のような貴族だが何故劉備が侠の親分ということになるんだ?
関羽や張飛との関係や、若い頃に任侠気取りで豪傑と交際して、若者を集めたってあたりからじゃないかな?
正史読む限り、曹操は中央政界のトップを争う大宦官の一族にして大富豪
一方劉備は学費すら自家では出せず、一族に肩代わりしてもらうくらい
黄巾の時だって曹操は最初から騎兵将校で劉備は義勇軍参加
どうみたって同じようなスタートとはいえんと思うが
>>253
知識階級という意味では同じだが知識階級もピンキリだろ
>>256
俺は「同じようなスタート」とは言ってない
「当時的な貴族階級の出身」という意味で劉備は曹操と似たようなもんだという話
そして、学費は出せるぞ
ちゃんと正史には「母親が劉備を行学させた」とある
そしたら親戚のおっさんも金をくれただけであって、別に「学費も出せない程の貧乏」ではない
学費は出せたが親戚のおっさんが更に金をくれた、ということだ
当時の学校は勉学の場だけでなく社交サロンでもあったから金はあればあるだけでいい
ってかそもそも「劉備が貧乏」ってのが演義とか先行の話にだまされ過ぎなんだよなぁ
お前、それは四世三公の大貴族袁氏と、新興貴族で三公を一人出しただけの曹氏と、
県令や州郡の官吏を出す程度の地方名士の劉氏を、みんな貴族でひとくくりにするような暴論だ。
>>263
じゃあ他になんていう?
農民ではない、商人でもない
当てはめるとしたら貴族階級以外ないじゃないか
>>265
平民じゃなきゃ貴族ってのは、さすがにおかしい。
国会議員と県会議員と市町村議は、みんな議員だから、
当てはめるならみんな同じ政治家じゃないかって言ってるようなもん。
貴族名乗るなら、最低でも先祖や一族から、何人も二千石出すレベルじゃないと。
州郡の官吏がデフォで、たまに県令や中央の下級官僚出す程度の家なら、
せいぜい田舎豪族だね。
>>266
全部政治家だろ
何言ってんだ?
>>262
さすがに似たようなもんじゃないだろ
なんだって中央政界のトップを争う曹操一族と
最高でも県令程度の一族が似たようなものになるんだよ
>>267
質はまるで別物だろ
さすがに貴族はないだろ
>>268
地方議会の議員は政治家かそうでないかで言えば政治家
劉備は貴族かそうでないかで言えば貴族
魏略を信じるなら臨邑侯の一族だ
ちょっと前の臨邑侯は大貴族だぞ
正史本文の劉貞の子孫つーのは状況的にありえない
>>269
>>270参照のこと
魏略って魏贔屓が激しくて孔明が仕えるくだりも正史と異なってるんだよな
てか魏略を鵜呑みにしてさえも、支流だぞ
草履作って蓆織ってる人間が貴族といってもなあ
>>270-271
正史読んでないことモロバレじゃん
販履とあっては売ってるだけで「作って」とはどこにも書いてない
織席でムシロを織ってたと考えるかもしれないが大事なのは続く「為業」
つまりそういうのを取り扱う商売やってたって意味なんだよ
金銀や馬の売買と違って元手がなくても家の下男使えばいくらだって商品作れるしな
てかそういう商売人としてのルートがあるから馬商人とかから融資引っ張れる
何もなくていきなり商人と知り合って融資して貰えるようになるわけもないのは常識で考えればわかる事
>>271
正史本文でわざわざ書いているところに蜀に対してアンチであると指摘される魏略が
わざわざ「臨邑公」を持ち出してくる時点で劉勝、劉貞の子孫であるってことが否定されるわけだ
また父祖代々木っ端どころか結構出世した役人をやってる
前漢で爵位失ってる劉貞の子孫と、後漢で権威も金もある臨邑侯の子孫
どっちが後漢末の頃に代々官吏になれるような家柄かね?
>>272
その後に爵位失って、しかも後漢復興後には臨邑侯が近くに入ってきてる状況で
どのようにして地元で頑張れるのだろうな
>>273
祖父が孝廉を経て県令、父が若くして州郡の役人として働いてるのに下級役人とか凄いこと言うんだな
県令って結構偉いのよ?
>>274
読んでるからいってんですが
ちゃんと原文だって確認してますよお~
先主少孤,與母販履織席為業
「先主は年齢が少なくして孤児(ここでは父親がいないって事か)となり、母親と共に草履・蓆を織って売る事を家業としてました」
これで普通に意味が通じると思うが
下男に織らせたなんてどこにも書いてないぞー
草履は天から降ってくるのか?
蓆も自分で織ってるような母子家庭なのに?
この文脈からは自分で草履作ってると見たほうがいいと思うが
なんでこの文脈で金持ちだと想像できるのか謎だわ
>>274
俺宛の文章じゃないが、ほかのも答えてみるか
なんで正史に対して一説でしかない魏略の記述で
全てがひっくり返ることになるのか意味不明すぎ
魏略にしてみれば、君みたいに劉備が低い身分からのし上がった事を否定したくて書いてるともとれるわけだが
てか最高で県令ってそれほど凄いか疑問だな
その父親は劉備が幼いころにタヒんで劉備は母子家庭で育ったとしっかり書いてありますが
劉備と張世平達とのつながりも、正史で見る限りもともと馬を販売して
あちこちを渡り歩いていた彼らが劉備と会って只者ではないと思って
多くの財を与えたそうな
同じ販売業でもちっちゃな自営業と大商人で接点が当たり前に出来る、というのは無理あるだろ
お望みなら原文も貼りますよー
>>278
そのちっちゃな自営業というのが思い込み
「販」の意味は「安く買って高く売る」
ただの小売じゃない、でかい商売が「販」だ
>>281
んな阿呆な
販という字にそんな区別はないぞ
それから、中国って近代に入るまでは伝統的に商業蔑視だぞ
貴族連中は特にその傾向が強い
高官や諸侯の家が商売して儲けたら、馬○にされる時代だったよね。
そうそう
商人を贔屓にしてる太守とかいたら悪とかみなされるような時代
>>282
>宗家は劉徳然の家であって劉備は支流
この根拠をお聞かせ願おうか
徳然は「同宗」で「同じ一族」ということだが、宗家とはどこにもないぞ
叔父が登場するから一応父の劉弘は弟がいるということくらいはわかるが
劉備一族についての宗家だ分家だなどのディティールは一切不明じゃないか
>>283
そういう日々の糧を得るようなのは「鬻」って表記がある
「販」という恒常的な商業とはまた別
「販」という字が出てる時点でその日暮らしのようなお寒い商売ではないってことなんだわ
>>284-285
それは不正確
商売してその利益を人に与えない貯めこむ奴がバ○にされる
要するにがめついとダメってことだ
商人を贔屓にしてる皇帝が居るんだが別に悪とは看做されてないぞ?
>>286
劉元起とその妻の発言から見て、少なくとも劉備が宗家ではない事がわかる
宗家として配慮された発言がどこにもないどころか、妻は元起に対して
「別の家の子でしょ!なんでそこまでするのよ!」といって怒ってる
この発言からは劉備が宗家というほどの家ではなかった事がわかる
徳然の家は少なくとも劉一門の中でも相当な立場にあった事がうかがえる
仮に劉元起の家が宗家じゃないなら、劉備って宗家でもない家より生活レベルが劣るって事になるのだけど…
その字って春を鬻ぐ、とかの賎業とされる仕事に当てられる字じゃん
どうみたって的外れ
正業だったら大企業も家庭内内職も同じだ、といってるようなもん
そんな事はないよん
壟断、の故事を拡大解釈してるようにしか見えないのですが
劉備は、劉邦の生まれ変わり?
そうすると、孔明は、張良の生まれ変わり。
>>316孔明はショウカの生まれ変わりです。それは孔明の仕事を見れば解ります
張良の生まれ変わりと韓信の生まれ変わりが孔明と共に劉備に仕えていれば劉備は天下を取れたのかもしれません
代々州郡の官吏を出して、たまに県令が出れば特筆ものな田舎豪族と、
親父が三公で大富豪で爵位持ち、一族にも高官が大勢いる中央のエリート一族を、
同じ階層だと考えるのも無理があるかな。
劉備は庶民でもないけど、曹一族ほど高貴でもない田舎のそこそこいい家ってとこだな。
劉邦に至っては本当に魅力があったのかどうか疑問だな。
確かに劉邦には多くの人材が流れたが、それは項羽があまりにもやんちゃなせいで
項羽に従って居ても命の保証がなかったからにすぎない。
降伏秦兵20万を平気で虐○する項羽に誰が安心して下れようか。
項羽に変わる勢力となると劉邦しかいない。
結局将兵には劉邦しか選択の余地がなかっただけであり、
劉邦に特別慕っているとは考えにくい。
項羽と比べればどんな人間だって魅力的に見える。
実際劉邦は、項羽がタヒんでからは反乱を起こされまくっている。
臣下を大事にする曹操を相手にしても
多くの人材がついてきた劉備と比較すると
仁徳の面でも劉備が圧勝するように思われる。
劉備もけっこう手下に離反されてるんだけどね
劉邦よりも魅力があったのかというと微妙
>>401
劉邦への反乱はほとんど、取り潰すために反乱した事にされて攻め滅ぼされたか、
そういう劉邦のやり口を見て自分も取り潰されるんじゃないかと思って、不安が昂じて反乱した奴。
劉備が同じことしてても、たぶん反乱起きただろうな。
要はでっち上げで反乱者にされたか、反乱者にされるぐらいならこっちから先に反乱してやるっていう正当防衛。
粛清してないことで人徳を称えられてる劉秀なんかは、身の危険とかが無いのに、
不満を持って反乱したり敵に降伏したりした部下が結構多い。
粛清する前にみんなタヒんじゃったイメージだし
そもそも粛清を起こせるほど国が安泰でもなかった気がする
劉邦と違って秦や楚を倒して統一したわけじゃないから比較は出来ないと思うよ
もし蜀漢が統一してたら魏が助けた山陽公だって暗○してたかもしれないし
部下だって義兄弟の二人に孔明、趙雲くらいしか残らなかったんじゃない?
だから諸葛亮も採用できなかったんだろう。
実際、後継者は息子じゃないとまとまらないって。
劉邦も劉備も文字は読めたんだよな
いつ勉強したんだろうな
特に劉邦なんか下手したら文盲なんじゃねえの?
張良が教えた?
弟の劉交は若い頃都会に留学して儒教を勉強してたエリート。
そんな兄弟がいる家で、文盲が生まれるなんてありえない。
農民が学べる時代じゃなかったが、劉邦が何らかのコネで最低限読み書き程度は
覚えた可能性もあると思う。
ただ、劉備の様に然るべき人物から学んだかどうかは分からないので、確率的には
劉備の方が学はあっただろう。
劉備も劉邦も一族の後押しがなかったのは同じなんだけど
劉邦はそれでも弟や外戚の呂氏の一族が使えないながらもいた。
劉備は太子の劉禅は身分の低い甘夫人の子供で有力な外戚すらいない。
親族は張純討伐のときに惨敗して、そのときほぼ全滅だったとするといない。
だからといって秀吉のように子供好きかといえば
劉禅は投げ捨てるくらいどうでもいい扱い。
甘夫人はすでにタヒんでる。
さみしい人生だから、家臣に後を託したいと思っても不思議じゃない。
蒼天のイメージで言ってるだけ
そいつにとっては蒼天航路=正史なんだろうけど
蒼天航路の任侠と、正史で言うところの侠は違うしな。
正史での侠はヤクザじゃなくて、男気のある親分肌ってニュアンスで、
曹操だの袁紹だの袁術だののようなエリートも、若い頃はそれで鳴らしてたりする。
侠のつながりや親族を中核に家柄、役職で人材が集まってくるのが袁家や曹操。
侠しかないのが劉備。
>>464
公孫サンは漢代の軍閥の頭としてはクズだからな。
袁紹ははっきりとはわからないが、冀州を盗んだとか出身地を侵略したとか
理由は考えられる。
しかし名声高い劉虞ではなく公孫サンを選んだあたり、趙雲も聖人君子ではな
いんだよ。
劉備についたこともあわせて、時勢を読む力がなかったってことでそ?
ただ個人の素質としては低い方なので
劉備が個人の素質で劉邦よりも上だとしてもあまり自慢にならない
劉邦は亭長→山賊降格時代の行いによって沛を基盤に
開幕からぐう有能武官文官がいて兵数2.3000、自己勢力の確立が糞早いのがやばい
しかも、挙兵3年で前政権打倒+三傑揃えて
4年で項羽の本拠地一度落とすとかおかしな事やっとる
劉備が対抗するには反董卓時代に全盛期迎えなアカン状態やぞ
血統ブーストもなくなるし、ぐう有能で長寿の軍略・政略家が必要だから
劉邦vs兄劉備・弟劉秀にした方が良い試合になりそう
後劉備vs劉邦vs劉秀にする場合、劉秀は兄関係の問題が出てくる。
劉エンがいなきゃ執金吾やるか実家の農業に熱中、いたら従って終わる可能性がある。
また部下が兄弟のどちら寄りなのかも問題
ディスカッション
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