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【封神演義】酒池肉林を貪り尽くした殷の紂王こそ悪の英雄だよな

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1: 2006/10/31(火) 21:07:38 ID:ibMo7Zpu0

力は素手で猛獣で渡り合うほどの怪力に頭脳明晰、弁舌さわやか。
その素質をひたむきに悪のみに邁進させた稀代の悪王、紂。

妊婦の腹を割き胎児を眺め、賢人の心臓には七つの穴があると称して胸を裂く。
諌める者は焼いた銅の柱に抱きつかせて○し、そのタヒ体は塩辛や干し肉に加工・・・

まさに悪の英雄ではございませぬか!

2: 2006/10/31(火) 21:31:12 ID:Ihiw2n7s0

途中までは名君だったのではないか?
3: 2006/10/31(火) 22:01:54 ID:4FtXddWpO
途中まで、というより最期まで普通に商王。
史書の姿は周の情報操作の結果で、甲骨文などの資料は商王としてはそれほど酷い王ではなかったんじゃ?
と言われつつある。
4: 2006/10/31(火) 22:09:13 ID:OicSHZ9H0
イケニエ文化を農耕民族が評価したものだから酷くなった、という説なら知ってる。
5: 2006/10/31(火) 22:17:06 ID:A+oh1Jup0
ぶっちゃけ昔過ぎて、実像は分からんな。
6: 2006/10/31(火) 22:49:28 ID:ibMo7Zpu0
生贄は異民族だから、祭祀をまじめに行えば異民族の恨みは増すばかり。
あの太公望は遊牧異民族出身だったからというからね。
7: 2006/10/31(火) 23:04:09 ID:OicSHZ9H0
羌族なんかは被犠牲の代表民族だし。
13: 2006/11/01(水) 08:31:48 ID:iPA4/w9T0
詳しくはないんだけど
夏の桀王とかぶってる部分多いと聞いたが
14: 2006/11/01(水) 13:00:51 ID:zPZp79JOO
>>13
愛妾の名前も似てれば倒した奴らもなんとなく似ている
16: 2006/11/01(水) 15:37:15 ID:iPA4/w9T0
>>14
つまりどちらかの所業が架空
もしくはどちらの所業も創作の可能性ありってか?
17: 2006/11/01(水) 18:00:19 ID:NC7ZiK7lO
>>16
宮崎市定先生の言う加上説だね。
15: 2006/11/01(水) 15:32:50 ID:imSlii3yO
夏の桀王も殷の紂王も悪党のレッテルを貼られて可哀相に思う。
18: 2006/11/01(水) 20:57:19 ID:tObi8XOK0
もともと夏や殷の頃から史記の時代まで千年以上経ってるわけで、
長年の間に伝説の混同や創作があっても不思議でないと思う。
44: 2006/12/29(金) 15:31:17 ID:GVFIKg+WO

>>18
今の時代でいえば源義経がタヒぬとき光の柱出て白馬が空に舞うようなもんか

そうかんがえればほとんどが創作って考えれるな

20: 2006/11/02(木) 02:53:54 ID:/rLCDcbmO
あの世で紂王や文王などと存分に語りあって下さい、白川先生。
ご冥福をお祈りいたします。
21: 2006/11/02(木) 10:42:21 ID:A/kIBOdD0
殷の王宮ってどんな感じだったのかな?
後の、紫禁城とかを知っている今から見たら、
かなりしょぼかったんだろうな。
24: 2006/11/03(金) 15:27:25 ID:OKgsZ1910
漫画といえば、諸星大二郎の漫画もいいぞ。
27: 2006/11/06(月) 21:57:52 ID:cqCHSs1J0
>>24
『太公望伝』だな、だが俺は同じコミックに収録されている『無面目』のが好きだ。
25: 2006/11/04(土) 21:12:38 ID:lJOKOfua0
誰か横山殷周伝説読んだ人いる?
29: 2006/11/13(月) 21:50:04 ID:ct3q5WPq0
>>25
ネタ入れまくりで駄作
一巻から妲己が妖怪に取りつかれたり2巻では雲中子が宙に浮いたり・・・
10巻から後は土行孫(辺りの景色に溶け込める人間)とか出てきてむちゃくちゃ
31: 2006/11/14(火) 09:46:41 ID:ydsgHgD+0
>>29
えーと単行本にちゃんと封神演義がベースって書いてありますけど?
90: 2015/12/14(月) 20:25:28.75 ID:GNc9z66D0
>>25
正直、藤崎封神を読んでるとあまりキャラに感情移入できません
横光本人も楽しんで描いてたのかな?
26: 2006/11/05(日) 17:16:16 ID:P1jGBbmg0
面白いけどネタ入ってるよ。分身の術とか浮遊術とか。
28: 2006/11/13(月) 14:26:12 ID:pPzZ7iUb0
完顔亮みたいなイメージかな
30: 2006/11/13(月) 22:17:38 ID:E4VCSGbR0

諸星の漫画では、殷人は辮髪を頭に巻きつけ、羌人は辮髪を後頭部にたらし、
周人はいわゆる漢民族式の髷を結っていた。

この髪型設定は根拠があるの?

33: 2006/11/21(火) 03:31:02 ID:ET1koveF0
藤崎漫画のチュウオウイケメンス
35: 2006/11/30(木) 16:23:16 ID:O60LP9W4O

紂王に仕えた悪来についてだが、素手で虎をボコッたとか、戦場で一騎駆けかましたとか、こんな風な武勇伝は無いの?

ただ腕っ節が強いだけの告げ口野郎?

36: 2006/11/30(木) 22:37:07 ID:OUjLSo2A0
史記の注釈で引用されてる晏子春秋に
「手で虎やジ(水牛)で裂いた」というのがあるが。
太平御覧で引用されてる尸子の中にも似たような話がある。
39: 2006/12/03(日) 13:55:50 ID:SXO5hFXt0
崇侯虎は熱い湯の入った鼎を持ち上げることができた
41: 2006/12/08(金) 13:04:49 ID:VNtD4jwa0

帝辛の評価
帝辛の伝記はまさしく悪事のオンパレードであり、ここまで並べられると逆に怪しく思われる。論語の中で、孔子の
弟子の子貢が「殷の紂王の悪行は世間で言われているほどではなかっただろう。」と述べたとあるから、春秋時代後
期には既にそうとうの悪評があり、当時の有識者もまた疑問を持っていたと思われる。実際甲骨文によれば、帝辛は
神への祭祀をする事厚く、東の人方と言う部族を討ち国勢は盛んになったと書かれている。熱心に祭祀を行ったため
に生贄を多く必要とし、そのことが周によって残された史書に、帝辛の悪事として誇張されたであろうし、後世、文
王と武王が聖人化されたため後世の人間が色々と悪事を付け加えた事も考えられる。殷周革命は衰えた殷に周が取っ
て変わったというわけではなく、殷が東方の経略に夢中になっていた隙を突いて周が殷を滅ぼしたとする説が最近で
は有力視されている。

帝辛と桀の最期は酷似している。美女(末喜と妲己)に溺れ、諫言をする臣を○して回り、次代の王(湯王と文
王)を幽閉し、名臣の補佐(伊尹と太公望)を受けた英雄に滅ぼされる。これは帝辛の最後から桀の伝説に欠けて
いる部分を穴埋めしていったのではないかと思われる。

42: 2006/12/10(日) 23:16:15 ID:v1qdtGQGO
そうだね。東方の征伐は何度も繰り返されていたらしいから或いは国が貧困にあ
って領土拡大を謀らなければならなかった為のかもしれいし…。
また戦争が多くなれば民が苦しむのは当然で、しかし永く平和が続いていたが為
に平和ボケしてた人が歴史を伝えたとすれば、たくさんの歴史を知っている人た
ちからすれば大袈裟に聞こえるとも考えられる。
先代の姫昌も、民の為というよりは自分の受けた恨みの報復の気が強い気も…。
46: 2007/01/21(日) 23:03:49 ID:Heg/8my70
太公望は面白い。
知れば知る程面白い。
48: 2007/01/23(火) 12:26:37 ID:l3w9KF/y0
因みに商売の商は殷(商)から来ているそうです。
商売という行為を初めて行なったからと本に出てました。
52: 2007/02/25(日) 15:35:48 ID:xODL9FJq0
この時代に記録された彗星が記録された最初のハレー彗星だと言われてるね
53: 2007/03/10(土) 15:46:26 ID:YRiHeE1N0
史記の始皇帝本紀が初のハレー彗星の記録じゃなかったの?
54: 2007/04/09(月) 09:25:13 ID:pOag7Fkq0
それっぽい彗星の記録を、後からハレー彗星じゃないのかと推測するしかないからなあ。
56: 2007/05/12(土) 12:15:15 ID:w8Tsxxw+0
昔の超新星爆発の記録も残っているね。
昼間でも見えるものらしいけど、どんな感じだったんだろう。
63: 2008/04/30(水) 05:38:47 ID:C7l/gA3w0
ドラマの「封神榜」は面白い
72: 2010/02/16(火) 02:01:16 ID:TFozu6fO0
>>63
封神榜(封神演義)面白いね。
女カ宮が日本の神社っぽかたり、勾玉みたいなのが出てきたり、
ジョカも、何となく天照風?ww
これ、台湾とか香港じゃなくて中国本土で作られた事に驚いた。
時代は変わったんだなーと思った。
69: 2009/03/05(木) 21:09:25 ID:RaWDX6iO0
彼は兄の微子啓のことはどう思っていたのでしょうか?
叔父達よりは扱いは良かったのでしょうか?
71: 2010/02/07(日) 18:02:54 ID:QVDjAozR0
毛沢東に比べるとましだな。
75: 2011/06/08(水) 16:39:14.37 ID:iNwVKjOE0
殷の時代の青銅器とかがいい
中国の美術品は古いほどカッコイイ
76: 2011/09/23(金) 23:13:18.70 ID:CJxQSF610
藤崎版封神→安能版封神→史実
次どこ行けばいい?
77: 2011/09/27(火) 15:48:17.36 ID:5QnM+8IbO
>>76
コーエー封神は?
79: 2012/12/14(金) 15:08:11.66 ID:qO7vOsP10
まぁもう紂王と妲妃の話は作り話ってのは明白だよなぁ
実際に殷が何らかの理由で疲弊して周を中心とする連合軍に負けたのは事実だろうけど
夏 殷 周 で言えば殷の統治が最も安定してたと思うんだがここまで叩かれるのはやはり
王権簒奪した周が徹底的に殷を貶めたからだろうね
80: 2012/12/14(金) 16:58:07.24 ID:jrHtjd340
何らかの理由って東夷征伐を繰り返したからだよ。紂王こと帝辛の時代にはむしろ国力が伸びていたんだけど
東方の経略に気を取られている隙を突かれた。
81: 2012/12/15(土) 17:49:25.99 ID:OXhB8XVP0
滅亡寸前に最大版図、戦の連続で国が疲弊ってのは呉王夫差のパターンか
83: 2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:2r9zKCbP0
紂王さんと夏の最後の王(名前忘れた)は後世に伝えられるような資料が誤認されたり司馬遷の史記でもすこし事実と異なっている部分がありました
84: 2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:SImYxdQN0
夏の最後の王は桀(けつ)。しかし桀の話は紂王の話に似過ぎていて不自然。
西周の時代に作られた紂王伝説を元に、もっと後に創作された疑いが有る。
87: 2015/07/12(日) 08:27:03.73 ID:fwbgLld0O
紂王は素手で猛獣倒せたらしいな
88: 2015/07/12(日) 10:00:09.25 ID:CJwShOVO0

聡明で勇猛
自分以外の奴らが馬○に見えて仕方がない

後漢の劉秀は聡明で勇猛だったが思い上がりがなかったな

89: 2015/11/21(土) 16:18:03.74 ID:mSNlodF/0
曹操の息子にも素手で獣と戦えるやついたな
91: 2017/02/08(水) 13:17:22.74 ID:IKxw1xKO0

東京都知事時代には毎日酒池肉林の生活だった。

遺産相続50億円。

逃げるが花

93: 2017/09/09(土) 22:49:12.88 ID:2DADpeGv0
羌はイケニエの意味なんだな
94: 2017/09/26(火) 09:39:11.77 ID:nHpKviQ90
違う違う、普通に羊飼いの人の意味
95: 2017/11/28(火) 05:32:26.92 ID:lJu/BXxy0

紂王は神話だな

中国史において商ー周ー春秋がルーツ神話で王国とかは神話、ブンドと人口上ありえない
中国は実質戦国から人物や歴史がはっきりして、それ以前は作られた歴史、加筆された歴史で
せいぜい周の主張がいたという歴史が周王朝史観に曲解されてるが間違い

また一般論として中原ルーツ=周に求めるがこれも明らかな間違いで、中原の歴史は西安ー秦からとみなすのが歴史学的にただしい

96: 2018/02/11(日) 01:45:38.40 ID:pu9fu7wJ0
宮城谷昌光の太公望とか王家の風日の話は出ないのか
97: 2018/03/29(木) 19:01:10.45 ID:Qg726A8z0
宮城谷紂王は開明的すぎて周りがついてこれなくなった君主って扱いだったな
99: 2018/03/29(木) 21:26:58.41 ID:JsokF79u0
伝統の祭礼に注力しすぎての負担増も指摘されているから開明とは真逆だろう
102: 2018/06/06(水) 15:44:05.29 ID:Cajsn7F50
でも生贄の人間の代わりにはにわにしたんでしょ
生贄というより殉タヒかな
103: 2018/06/06(水) 17:31:29.79 ID:e/TRgzBR0
>>102
殉タヒをやめて埴輪にしたのは日本の話だろう。
104: 2018/08/25(土) 23:20:43.32 ID:+2XGuEzJ0
>>103
いや殉タヒやめさせたらしいよ
105: 2018/08/26(日) 10:36:12.16 ID:h/5fuCO+O

殉タヒの停止、というより帝辛代の甲骨文に
「祭祀の犧牲の羌の数を減らしてもおK?」
というのが発掘されていて、帝辛こと紂王はそれまでの人間の犠牲を全廃は無理だけど数の削減をしようとしていたらしい。
ただ、その分帝辛時代の祭祀の回数はその占いの卦辞甲骨文の出土数から先代までよりも増えているそうなので、単に犠牲の羌が祭祀の回数に間に合わなくなって足りなくなり
それで数を減らして祭祀していいか神に問うた可能性もある。

因みに周に入ってから人間の犠牲は止めたという俗説があるけど、実際には成王の治世頃(周公旦の時代)の地層から数十人の人間の犠牲の痕があり
周初期は周でも人間の犠牲を捧げていたのが最近では判明している。

106: 2018/08/26(日) 15:52:21.31 ID:neeOqnr60
お供えは近くの異民族羌を狩ってきて数を揃えるから数を減らしたくなるのは当然だ。
それは人命を重んじたからとは言い難い。そもそも人間と思ってるかどうかすら怪しい。
現代の感覚で考えてはいかん。
108: 2018/09/08(土) 01:40:01.57 ID:kduP8Zlu0
羌ってのは庶民も○していい生き物なの?
109: 2018/09/08(土) 04:36:40.49 ID:DtYssF/HO
>>108
殷の庶民生活自体が考古学上からもよく解らないから、庶民の祭祀で人牲を捧げてたか自体分からない。
少なくとも犠牲の大量発掘されるのは王墓など王家関連らしいと見られる所のみだから、人牲は王家専祀の供物だった可能性が高いけど。
でも殷があった頃はそんな案配だから差別意識程度は庶民もあったかも、というかそもそも「羌族を人間と思ってなかった」かと。
113: 2020/02/21(金) 21:06:52.18 ID:UxYmIMmk0
>>109
○人は悪いことだと言いながら人肉を食べるんだからね
110: 2018/09/08(土) 05:28:18.48 ID:yfgiG4n30
まあ、殷人の羌に対する感覚は近代の白人のアボリジニに対するものに似てるかもしれない。
オーストラリアの白人のアボリジニ狩りって○人を犯しているなんて感覚はちっともなかっただろ。

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1162296458/

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