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水鏡先生が孔明か鳳統がいれば天下取れるって言ってたじゃん?

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1: 2008/06/08(日) 00:27:57 ID:k0Am57tg0
2人揃ったのに天下取れなかった蜀ってア○なの?

54: 2012/09/10(月) 20:29:03.93 ID:G1Bn+Mmy0
>>1
三分の一になった天下は取れたじゃないか

 

2: 2008/06/08(日) 00:42:44 ID:mAvGhccE0
水鏡先生「天下なんぞ取れなくてもよいぞ、よいぞ」

 

4: 2008/06/08(日) 01:42:41 ID:MUr5iw7B0
漢初、光武帝、唐初、光武帝に仕えた名将、名臣集めたって
劉備君は天下なんて取れなかったよ

 

5: 2008/06/08(日) 02:31:12 ID:vPkJOYd/0
天下取ったじゃん。蜀って国作った訳だし、皇帝になったんだし

 

6: 2008/06/08(日) 13:33:59 ID:psJspNNDO
天下を取れた可能性があったのは袁紹か曹操であって、劉備や孫権には
到底無理な話だったな。

 

7: 2008/06/08(日) 14:13:22 ID:XZDc9CG1O

一番言われてるのが蜀は中原から遠すぎた…

あんな僻地から天下を取ろうなんて少々無理がある

 

9: 2008/06/09(月) 22:19:27 ID:ipvXgQRS0
張良、蕭何、韓信、馬援、馮異、鄧禹、李靖、李勣、魏徴
これだけ蜀漢にいて初めて魏と互角。

 

10: 2008/06/09(月) 22:55:53 ID:b3W9FoUpO
あれだけの国力差になると人材のみでは補えないだろ。

 

11: 2008/06/09(月) 23:16:33 ID:GVgmWcz/0
曹操がなんらかの病気で突然タヒ。
その後、曹丕と曹植の後継者争いが勃発。
・・・なんて事になっても無理だな。

 

12: 2008/06/10(火) 11:05:30 ID:T5yoCZR6O
後継者争いが袁家みたいに内乱になれば幾らでもつけ込めるんじゃない?
もちろん可能性が出てくるというだけだけど。
となると韓信や彭越、蕭何とかより陳平が必要だね。
法正が早くタヒねから代わりに張良みたいなのが必要だな。

 

13: 2008/06/10(火) 14:22:57 ID:TTxeBU6n0


曹操タヒ後に曹丕が1年くらいで突然タヒ。後を継いだ曹叡も2年ともたずにタヒ亡。
曹植健在で自然と後見人の位置に。
異民族政策を誤って匈奴と鮮卑の南下開始。

孫権が関羽タヒ亡直後に合肥で戦タヒ。太子も一緒に戦タヒ。山越の大反乱。

これくらいの混乱は最低限でも必要かと。

 

14: 2008/06/10(火) 18:41:25 ID:goNF9/jl0
関羽が荊州をまるごと取ってたらアドバンテージもかなり変わってたかもな。
呉への外交交渉さえ上手く行なえていたなら荊州から関羽、漢中から劉備で
相当な位置まで押し込めたかもしれんね。

 

21: 2008/06/11(水) 18:58:52 ID:MYvqsHJ20
関羽一人で魏軍すべては無理だろうが
呉の横槍がなかったら荊州北部は完全に取れてたな。
>>14の言うとおりかなり有利な状況は作れただろうな。
魏呉の名将を相当動員してようやく関羽を討ち取れたんだから
もし首都に近い位置に名将関羽に居座られたら魏も相当なプレッシャーになってたはず。
それに曹操軍は曹操直轄の青洲黄巾兵以外は弱いらしいな。
曹操が中央集権制にして、自分の軍だけを精強な軍隊で固めたのが原因だそうな。
まあ、その直轄軍団も漢中で劉備に負けて自尊心を失いかけた時の関羽北上だから
呉軍との関羽挟撃作戦は司馬イの大ファインプレーだったな。

 

22: 2008/06/13(金) 09:51:15 ID:myiDKmVP0
>>21
それも無理だろ。関羽は結局城を落とせなかったんだから。
劉備軍は漢中でストップして、関羽は孤立状態。

 

23: 2008/06/13(金) 15:03:38 ID:9C29XhGRO

>>22
城を落とせなかったのは呉の横槍のせい

実際、ハン城を陥落寸前まで追い込んだんだし荊州は取れたかもね

 

15: 2008/06/10(火) 21:05:54 ID:T5yoCZR6O
劉備側の荊州に関する態度はなめてるとしか言いようがないから、割譲は
避けがたかったのではないかな(孫権もとんだタヌキ野郎だが)。
関羽は南群と武陵さえ抑えておけばよかった。
それより魯粛が長生きして呂蒙がもっと早くタヒねば荊州失陥は避けられた
と思う。
呂蒙の後で魯粛がタヒんでも陸遜は守勢のみの戦略のない男だしね。

 

18: 2008/06/11(水) 02:14:11 ID:EuzP1CEO0

>>15
それはない。史実の魯粛は荊州回復に軍事力だって辞さない男だった。

>>16
それもないな。

 

16: 2008/06/10(火) 22:50:44 ID:P3p9VGkqO
関羽が一人で魏を滅ぼしかけてたし、無理な話じゃなかったな。
呉の横槍が入らなければあのまま魏は滅んでたかもしれん。

 

24: 2008/06/13(金) 18:52:23 ID:5Gd3iYdJ0
曹仁は終始、関羽に押されっぱなしだったしね。
曹操もあの時点では劉備軍来襲に備えて長安に留まる必要もあった。
呉軍の援護がなかったら確実にハン城陥落、荊州も関羽軍のものになってたと俺も思う。

 

25: 2008/06/14(土) 00:35:52 ID:U/aCnyyq0
関羽軍は徐晃に突き破られているわけだが?曹操も長安どころか荊州まできてるし。
その間に劉備は何をしていたのか?

 

27: 2008/06/14(土) 11:11:37 ID:aAUISbb70
>>25
それは既に呉軍から背後よりの挟撃を受けたとの報を受けていたからだろう。

 

26: 2008/06/14(土) 05:07:35 ID:5uA5oZEU0
王制に移行して組閣に忙しいし、漢中は魏が強制移住させたおかげでガラガラだし

 

28: 2008/07/04(金) 08:03:34 ID:BoPzR6clO
徐晃がハン城の救援に来たタイミングがいつなのか、それがよくわからないね。

 

29: 2008/07/04(金) 18:15:21 ID:VmRpinNJ0

どっちにしろ現場大好きな曹操なら自分から出張ってくるし仮に動かなかったとしてもいざとなったら中央に残ってる兵や夏侯惇の二十六軍からも割けるんだよね
徐晃に負けてる時点で補給も受けられないからムリ臭いし、よしんば引き返して勝ったとしてもジョウヨウ取るくらいが精一杯で中原には入れないだろう。関羽も疲弊した兵と一緒に孤立したまま。
まあ勝てる可能性が出なくは無いが、関羽一人で魏を滅ぼせるとか戦争慣れしてる北の人間中心で編成された軍隊が青州兵以外の兵はザコばっかとか妄想もいいとこだな。

と、盛大に釣られてみようほととぎす。

 

30: 2008/10/26(日) 02:15:51 ID:eSva4LjgO
真面目な話、関羽がケイシュウで魏呉相手に悪戦苦闘してる間に何で劉備は援軍送らなかったの?

 

32: 2008/10/26(日) 10:34:16 ID:uWOARxYa0

関羽は無敵無敗と言うイメージがあるけど、意外と戦績は振るわないからね。
ケイ州では以前楽進にも負けているし、徐晃との戦いも戦力的には徐晃の方
に不安要素があったけど、結局破られている。そう言う意味ではあの辺りが
関羽にとっての勢力拡大の限界だったんじゃないかな。

むしろ張飛の方が軍指揮者としては優秀かもしれません。とはいえ、張飛に
ケイ州を任せて大丈夫かと言うとそうとも言えないし、難しいとこですな。

当時の劉備は漢中の整備に手一杯でケイ州の方に兵を送るだけの余裕が全然
なかった。地理的にもケイ州と益州を繋ぐ経路って凄く細いし、ほいほい軍
を送れるところでもなかったからね。近くて遠いお隣さんだ。

まぁ、実は当時関羽と劉備の間に溝ができていて、放置されていた、と言う
話もあるけどね。ただ、後の呉征伐のことも考えると単純に鵜呑みもできん
ところ。

 

33: 2008/10/26(日) 12:00:58 ID:S9WQNj2w0
結果論を持ち出すのは野暮ってもんだけどね。
戦局がどうかわるか分からない状況で関羽の快進撃に
曹操がブルッて遷都を考えた事実もあるんで、決して
徐晃を派遣すれば呉との同盟を結ばすとも勝てたというのは
結果を知ってる後世の人間でないと分からない。

 

35: 2008/10/30(木) 13:37:52 ID:75GkscIiO
孔明や玄徳が関羽の力を過信し過ぎてたのと、魏呉間の外交を安易に考え過ぎてたからじゃ?
まあいずれにせよ荊州と関羽の喪失は致命的だったろう

 

36: 2008/10/31(金) 07:35:25 ID:Jlcw1CN+0

結果論と言えば結果論だけど、当時魏最強の五将を相手に勝ち続ける
のは厳しいでしょう。

過去に一度楽進に敗れていると言うことは単純な比較としてそんなに
勝ち続けられるほどずば抜けた将才とは言えない。だからあの辺りが
限界点かな?と言う風に思ったのですよ。

 

37: 2008/11/01(土) 10:41:24 ID:ySj3YCyU0
おとなしく引き篭もってけいしゅうとられないように守ってればよかったんだよ
どっちにしろ攻めるのは時期早々だ。だから失敗した。それだけだ

 

38: 2008/11/02(日) 14:51:43 ID:6FHJ+r/JO
あれだけ力の差がある大国相手によく戦えたよ蜀は

 

41: 2009/09/29(火) 04:08:28 ID:nZypumvj0
呉参戦を知るまで、曹操は既に荊州を捨てる準備を始めてたわけだが

 

44: 2009/12/13(日) 04:17:18 ID:EIoBl4WxO
自分で言うのも何だがIDがエ○とな?
…自分で言うのも何だが

 

45: 2010/03/11(木) 06:05:20 ID:fUtWPFqQ0
田舎で大きくなった孫呉と田舎に逃げた劉備じゃ都会で鍛えられた曹魏に勝てるわけがない

 

46: 2010/04/17(土) 13:44:23 ID:HFNaGQd1O
どちらか一人ってのは演義の話だし
孔明は政治、ホウ統は軍事と
分担できればよかったな

 

47: 2010/04/21(水) 18:20:54 ID:9C6nKZjL0
軍師ビーム!

 

48: 2010/05/16(日) 17:19:09 ID:oMWvAlcw0
一人ずつなら天下取れるけど
二人持ってるとオーバーフローを起こして
天下を取れなくなる

 

49: 2010/05/17(月) 01:13:29 ID:PymCpMfq0
蜀という地を得て、三つに分かれた国のうちの
一つの国の天下は取れたじゃん
By水鏡先生

 

51: 2012/05/12(土) 18:07:33.02 ID:nxAaB8/c0 BE:273651539-PLT(12079)
二人とも大したことなかったんでは?

 

52: 2012/07/20(金) 17:11:32.14 ID:5GdurFZR0
水鏡先生は親戚の子供のホウトウが
いい年こいて無職なので劉備に過大に能力を申告して売り込んだ
孔明はホウトウを売り込むついでに持ち上げた

 

53: 2012/07/24(火) 15:44:23.63 ID:UB/XH8os0
水鏡先生と親戚ではないよ。ホウ徳公とは仲良しだったみたいだけど。
あとホウ統も二十歳くらいで郡の功曹になってたはず。
過大評価ってのは同意。

 

56: 2012/10/10(水) 02:21:19.20 ID:fVWZKbb70
孔明たんは君主製作に失敗したのね。
やっぱ素材的に劉備じゃ無理だったのよね。
糞ガキじゃさらに無理だしね。

 

57: 2012/11/02(金) 19:21:30.17 ID:mjIe6Q6x0

・伏龍と鳳雛のどっちか としか言ってないので両方取ってはいけない
・(蜀の)皇帝になった時点で天下取ってる 世界征服が出来るとは言ってない

 

59: 2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:Iee3IUM3P
飛び抜けた人材2人より馬良が10人居たほうがよほど良かったんだろうな
魏の強さは人材の暑さだし

 

60: 2013/09/27(金) 23:10:03.55 ID:YADjJ0aWI
というか、そんなセリフは正史のどこにもない

 

61: 2013/09/28(土) 07:37:19.45 ID:SweardjpP
孔明と?統除けば法政、馬良だな
他は丞相出来るようなレベルではない

 

62: 2013/09/28(土) 08:38:28.92 ID:n/DP34Hq0

馬良(笑)
龐統以上に過大評価されてるな

馬良よりは劉巴だろどう考えても

 

63: 2014/01/22(水) 22:53:38.58 ID:lcQtFzwaO
魏に行ったらただの凡人だろ
水鏡は浪人の実力しか知らなかったんだろう

 

64: 2014/02/24(月) 18:41:36.04 ID:kelpGfJP0

龐統もたかが劉循や張任ごときに
1年かかっておまけに戦タヒしているからな

よく孔明の批判の槍玉に法正や龐統の
軍師能力を上げるバ○がいるが

 

65: 2014/02/24(月) 18:53:50.30 ID:hKc5BKzJ0
水鏡先生はガラクタを推薦して紹介料で飯を食う人材派遣会社の社長

 

67: 2014/03/04(火) 00:31:43.75 ID:9rtiflF/O
蜀には謀臣はいなかったのかね?
流言を飛ばして司馬イを失脚させたりとか。

 

70: 2014/03/04(火) 11:29:45.05 ID:3iTplzsJ0
>>67
法正が居たけど司馬懿が出てくる前にタヒんだ。

 

68: 2014/03/04(火) 07:43:31.00 ID:sdZK/eVe0
孔明ホウトウがいて君主が劉備じゃないとダメよ

 

71: 2014/03/04(火) 17:54:14.02 ID:8LG3vfkr0
酔狂先生だったというわけか

 

72: 2014/03/05(水) 21:50:39.64 ID:eEez3ITd0
逆に言うと演義がホウトウを妙に評価してるのか
孔明自体は演義以前から名宰相、将軍、忠臣として色んなとこで言及されたりするし
人気があったからそれを主人公にするのはいいとして、ホウトウがそれと二大扱いというのは

 

73: 2014/03/05(水) 23:24:41.10 ID:BKnpamek0

>>72
>逆に言うと演義がホウトウを妙に評価してるのか
演義だけじゃなくて正史を見ても、龐統は益州攻略に当たっての戦略とか劉備に献策している。
頓タヒしたのは運が悪かっただけ。

孔明の本質は政治家であって軍事は不得手であった。龐統や法正は謀略や軍事も得意だから、
どちらか居れば孔明も苦労しなかった。

 

74: 2014/03/05(水) 23:36:27.50 ID:TSwLcZFO0
龐統は劉循や張任程度も打ち破れず戦死
法正は夏候淵を黄忠に打ち取らせただけ
孔明は大軍の司馬懿を破ったこともあるし
何より司馬懿は大軍を以てしても持久戦を取らざるを得なく
孔明撤退の際も追撃すらできなかった

 

75: 2014/03/06(木) 00:38:30.20 ID:9TyyaGEG0
>>74法正は夏侯淵を倒しただけじゃないぞ
蜀攻略の時も活躍してる
曹操が漢中奪取後、蜀に侵攻してこなかった理由を読んで、漢中に進軍すべきと劉備に進言したりと
軍師としてかなり活躍してる

 

76: 2014/03/06(木) 09:33:38.95 ID:wh02S2T70
諸葛亮だけ字で呼ぶ風潮

 

78: 2014/03/06(木) 21:05:07.22 ID:qBFiQJZp0
>>76
それは単に所轄量が一発変換できんからだろ。対して孔明だといける。

 

77: 2014/03/06(木) 20:51:12.22 ID:7xKIintd0
法正ってなんでいつも黄権の手柄を吸収して語られるの?

 

79: 2014/03/07(金) 03:14:16.30 ID:XP40/fuK0
>>77黄権よりは具体的な記述があるからじゃない?
後、蜀書の記述だと黄権の功績は漢中を取るように言った事なのか、漢中を取るための戦略を考えたのか、どっちかよくわからんのも理由だと思う

 

80: 2014/03/07(金) 18:58:04.92 ID:5WBDh6980
漢中を取るように言った事じゃないの。でもその時は手遅れになって取れなかった。
後に法正が時期を見計らって行動して取れた。

 

81: 2014/03/09(日) 14:06:00.70 ID:Z7XsKTDl0
孔明は陳倉退却時でも王双を撃破している
魏の大軍を用いる名将相手の追撃をも防いでいるし
司馬懿すら稀代の天才と認めている
浅慮なところのある淵を誘い出した事と漢中進行進言だけで法正が過大評価されすぎ

 

84: 2014/03/09(日) 18:31:02.29 ID:U0vduAfC0
>>81法正は曹操から誉められてるぜ

 

82: 2014/03/09(日) 14:08:29.47 ID:Z7XsKTDl0
まあ昔の軍師や参謀が過大評価されすぎなんだよ
稀代の才能とか天才軍師とかの評価があるから
諸葛亮叩きが出てくるわけだ
法正も現代の天才数学者に成れるかわからないし
今ここで語っているやつらも自分を大物と評価しているし
昔の麒麟児なんてそんなもんだよ

 

83: 2014/03/09(日) 14:49:55.00 ID:cvn+bcFK0
そもそも字って何?
「本名みたいなもんで字で呼ぶと本人が怒る」
みたいな説明をどこかで読んだんだけどイマイチわからん

 

86: 2014/03/09(日) 22:06:42.69 ID:vUiEqzaH0

>>83
それは諱(いみな)。諱とは忌み名であって、それを呼ぶ事は無い。
諸葛亮の亮がそれだ。

字(あざな)は諱に代わって呼んでもらう為に自分で付けるニックネームのようなもの。
諸葛亮の場合は孔明がそれ。

ちなみに字は諱にちなんで付ける事が多い。「亮」にはあきらか・あかるいの意味が有るので
孔明の「明」につながる。

 

87: 2014/03/09(日) 22:22:19.75 ID:FzzZJEpw0

>>86
ありがとう

字のことなのに諱の説明しているところがあって混乱してた
ニックネームなら字がある奴とない奴がいるのも納得

 

85: 2014/03/09(日) 19:18:44.07 ID:Z7XsKTDl0
魏の追撃を何度も交わす孔明なんだから司馬懿が言うだけのものはあったんだろ
実績では法正龐統より上だ

 

90: 2014/03/11(火) 09:11:11.41 ID:AR5FoVcy0
孔明は演義の反動でアンチがたくさんいるね。
無能な文官に過ぎない!みたいなこと言い出すのも多い
確かに神がかった軍師でもないんだけど、演義以前から魏晋南北朝、唐宋と常に評価されてるんだよね
蜀が孔明なしではどうにもならんレベルだったのも確か。
凄く有能で敵味方から尊敬された人物ってイメージを正史や正史準拠の小説読むと受けるんだけどね。

 

91: 2014/03/11(火) 11:47:58.37 ID:lufhKLlY0

演義(または演義準拠の創作)から入って正史を知ってアンチ劉備・アンチ諸葛亮になるのはほとんどの人が一度は通る道じゃないかな
で、時間とともにフラットな視点になっていくと

ここ数年は蒼天から入ってアンチ曹操・アンチ関羽になる人が散見されるけど

 

92: 2014/03/11(火) 11:55:48.14 ID:Kl+bIZzC0

説曹操 曹操就到

日本だと噂をすれば影
英語だとTalked of devil,as soon as he comoes out

英語でいうところの鬼に曹操があてられているというのが恐れられていることを示しているのだ

 

93: 2014/05/30(金) 21:35:38.92 ID:LzYV30Au0
ほう統って不細工だから孫権に主官
お断りされたんだよね?
劉備は偽善者だからそういうキャラこそ俺は重用してやんよ
って寵愛するのが目に見えてたんで
孔明はほう統を暗○したんだよ

 

96: 2014/07/13(日) 02:49:31.33 ID:GoiBJsjC0
唐澤

 

97: 2014/07/13(日) 11:49:34.04 ID:MCa7udbx0
諸葛亮だけ孔明と称してる奴は臭い

 

98: 2014/07/13(日) 13:16:50.11 ID:8coZP9bj0
諸葛亮孔明て書いちゃうようなんがいちばんにわかやな

 

99: 2014/07/14(月) 20:53:19.77 ID:eYFfPigFO
司馬徽「いやー、まさか蜀攻めで鳳雛を失うとは・・・、玄徳殿は天命に見放されたようじゃな
(ワシ間違ってないもん、玄徳がうつけだっただけだもん)」

 

103: 2014/07/25(金) 19:33:55.77 ID:a5OZPhe30
司馬懿が強すぎたw

 

104: 2014/07/25(金) 20:22:46.88 ID:io9Dtpqu0
結局挑発にのらずに守り固めてりゃ最終的には国力で圧倒する魏が勝つわな
蜀呉の連携が取れてなかったのも痛いね

 

105: 2014/07/28(月) 09:28:39.96 ID:tlXV4fRt0
司馬一族の強さに翻弄されたな

 

106: 2014/09/03(水) 00:35:36.39 ID:ZUqR5eYx0
関羽が陸遜をあなどって、孔明から助言をもらわずに、独断で動いたのがあかん。
あと、関羽がタヒんで劉備が強引に弔い合戦したのも蜀衰退の原因。張飛もあっけなく国内でタヒんだし。
関興、張苞が早くタヒんでしまったし、政務と軍略を一人でこなさなくてはいけなかったので、孔明一人に負担がかかりすぎた。
せめて、司馬懿みたく、孔明にも優秀な息子が2人くらいいれば・・・・それでもダメか

 

107: 2014/09/03(水) 02:33:18.62 ID:UKrWwHzo0
まぁ結局国力の差だよね
人材も含めて

 

109: 2014/10/16(木) 17:35:11.68 ID:IyRAIfI70
ホウ統よりも、徐庶の早期リタイアが痛すぎる

 

110: 2015/01/05(月) 23:04:16.69 ID:MiWQkLjy0

徐庶は曹操の戦術を研究し尽くしてたのに、なんでお母ちゃんを人質にとられるかもって
読めなかったのかな、孔明だったら、先回りして徐庶母を保護してただろうな

それと、荊州は劉表が劉備を養子にして、劉備が劉琦を養子にしてとかして
なんとか劉備に合法的に平和的に禅譲出来なかったのかな

 

111: 2015/01/05(月) 23:56:02.28 ID:h000kPzF0
実際は劉備と劉表の関係ってのはあんなもんじゃなかったし
単に劉備が簒奪しようとしたけどうまくいかず追われることになったとかそういう流れだったんだろうね

 

112: 2015/01/06(火) 01:27:05.20 ID:B+BGHRyI0
まぁ劉備が義の人ってのはちょっと無理があるね
むしろタヒぬまで漢王朝簒奪しなかった曹操のほうが義の人だと思う

 

113: 2015/01/06(火) 23:18:06.52 ID:qOeGT3Cm0
>>112いやいやいや
魏王になって簒奪する準備万全だったじゃないか
正確には息子に簒奪させる準備をしてた、だけど

 

114: 2015/01/07(水) 02:31:57.69 ID:++DVho3M0

自分の代のうちはトップに立つより名目上No.2の方が都合が良い・動きやすいと考えてたんではなかろうかね
まぁ真意は本人にしかわからんけど記録に残ってる行動からは漢王朝に対して義心を持っている様子は伺えないね

どちらにしても義という観点から見れば劉備も曹操もどっちもどっちよ

 

115: 2015/01/09(金) 07:09:32.98 ID:ymeF49ch0
演義でも劉備は呂布のタヒ後は呂布と同じような立ち位置になってるよな
袁紹、劉表、孫権から傭兵的な扱いで雇われて「人の下につくような人物ではない」って言われる

 

116: 2015/02/18(水) 06:46:45.75 ID:YjP3c40h0
劉備は忠義の人というか、身分が低かったから威張り方を知らなかっただけだと思うw
皇帝に即位したとたんに横柄になって、“朝廷の軍隊”のはずなのに、私的な感情だけで
無駄に挙兵して兵を失っただろ
あと、関羽張飛を甘やかしすぎる。なんで軍法でちゃんと裁かなかったのか
関羽なんか弔い合戦してやるどころか、生きて帰って来たとしてもタヒ罪だったろ

 

117: 2015/03/06(金) 10:44:53.17 ID:hOqzu7Yg0
国家の元首とはいえ守るべき憲法があるわけでもないし、挙兵以来の盟友のタヒに何も感じないなら人間じゃないわ
桃園の誓いは創作とはいえ史書にないから必ず違う、とも限らない
劉備・関羽・張飛、のちに諸葛亮を加えた4人には君臣を越えた絆があったのは確か

 

119: 2015/03/16(月) 00:21:41.55 ID:q55K3G8d0
天下を統一して民を安んず…なんか、一代でできるわけないんだから、
曹操、司馬懿、家康みたいに3代かけてやるべきところなのに20年で出来ると
読み間違えたせいで、次世代の人材をちゃんと用意できなかった所が間違いだったな
あの阿斗じゃ、たとえ劉備孔明が一代で天下統一して漢を再興しても
どうせ次の代でまた分裂に逆戻りに決まってるわい

 

120: 2015/03/17(火) 05:00:30.19 ID:IBSASwyA0
劉璋攻めの時に龐統が上中下の三計を提示するわけだけど下策とか必要なくね?
あれ要は「自信ないなら尻尾丸めて帰ってもいいんだよ?ん?」って言ってるのと同じじゃねーか

 

121: 2015/03/17(火) 08:13:11.80 ID:hiPNhraH0

意見を求められて「Aするのがいいでしょう」と答えればそれですむかもしれないが
相手によっては「うーんAでいいのかな」と躊躇するそういうときにあるいは
「AとBとの選択があるが総合的に考えてAがいいでしょう」ですむかもいしれないが
より念入りに「3つの選択肢があるがAが最上でしょう」と丸め込むため

いろんな可能性を検討したうえで客観的に献策しているような印象を与えられる
捨選択肢はもう一つ二つあっても邪魔にはならんかもしれんけどあまり多いと逆効果

阿刀田高さんなんかは「詭弁の話術」のなかでハッタリをきかせるために「ポイントは3つです」とか無理やり言い切るのが~と言ってますな

 

122: 2015/03/17(火) 09:22:06.54 ID:3AJjf+7F0
下の策は、上二つの背中を押すのが本当の狙い

 

125: 2015/03/23(月) 01:44:45.53 ID:bPCc5DxX0
頭が悪くてプライドの高い上司に一つだけの策を提示してはいけない

 

126: 2015/04/23(木) 21:12:23.91 ID:STVUnoJx0

全て軍事政権において治世を省みる人間が居ない。

孔明は治世や政略を掲げながらも、首饅頭という人道主義を叶えた人間ではある。

 

127: 2015/04/23(木) 22:37:12.63 ID:IAwB79Qk0
「孔明か龐統」ていう並記の仕方には違和感大

 

128: 2015/04/24(金) 14:06:31.56 ID:dFYqSqrM0
臥竜か鳳雛

 

129: 2015/04/24(金) 19:49:10.43 ID:Jn3T5PJF0
三国志の最後の勝者が司馬一族ってのもなぁ

 

132: 2015/04/24(金) 21:56:53.69 ID:yyzwrFhZ0
曹魏が重臣の権力争いで滅んだのを考慮して一族に権力を与えたら
八王の乱が起きて滅んでしまった。

 

133: 2015/04/25(土) 00:08:21.67 ID:gI6xj3d40

結局、孔明という類稀なる治世者は先帝たる劉備を失って軍閥と士大夫ら内部の分裂に、お飾り継帝のダウン症の亜斗に泣かされに泣かされた訳な。

思うに、曹操はそんな蜀漢の行く末すら見越して短歌行を歌っている。
凄い男だよ。

 

134: 2015/04/25(土) 01:17:49.66 ID:upbdmAy90
三国一の傑物は曹操ってことか

 

136: 2015/04/25(土) 21:29:23.59 ID:WTLgofdD0

>>134
是。
逆に孔儒という三国、もとい後漢においても文官たちの主流の本流をすら取り払った孟徳は凄い男だよ。
青州の黄巾を許容・併呑したのも一国に喩えばローマがキリストを怖れたのと比べれば幾許か?

でありながら、自作の短歌行。
散々に孔明といった逸材(国士)を恋ひて乞ひてる訳で。

 

139: 2015/07/04(土) 22:44:04.61 ID:/MrIVSiX0
>>134
間違いなくそうである一方で
「あれで一番かよ」
とも言われる感じかと。

 

135: 2015/04/25(土) 02:09:45.58 ID:fXw0vu3g0
曹操は三国志自体が蜀の陳寿の手によるもので、しかも成立は晋の時代
光武帝のセリフ引用して曹操の器の小ささをしれっとディスったりしてるからあんま信用出来ん

 

137: 2015/05/28(木) 01:03:22.85 ID:IjihMotI0
まあでも統一すらできなかったんだし中国史全体では朱全忠より下になるよね早々も

 

138: 2015/06/11(木) 09:38:04.65 ID:JiF356d2O
当時は儒教は一般的ではない、と言うか異端に近かったし
朱全忠は天下統一どころか1/3も抑えてないし

 

140: 2017/05/20(土) 12:25:46.17 ID:78rbhDFd0
孔明は忠義を尽くしたから歴史に残ったが逆に尽くさずに、皇帝になれば統一のチャンスはあった
劉家は趙匡胤みたいに、宗家としてきちんと保護する姿勢を見せれば下の者は付いてきただろう
兄貴と通じて呉で革命を起こせば荊州どころか江南も手に入り
天下を取ることは可能だったはずだ

 

142: 2018/06/30(土) 09:25:10.65 ID:CTSN4VkkO
?「臥龍・鳳雛とは言ったが、孔明・士元とは言ってない」

 

145: 2019/03/30(土) 12:07:33.61 ID:etW14Y5H0
姉小路や小田に?統や孔明がいれば天下を取れるだろうか?
同じことだろ

 

 

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1212852477/

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