【研究】1500年前、東ローマ帝国のブドウ栽培は「ペストの大流行」により滅んだ!? 遺跡が示す”世界崩壊のシナリオ”とは…?
イスラエル南部にある砂漠地方の「ネゲヴ」は、約1500年前まで、ブドウ栽培の地として栄えていました。
ところが、東ローマ帝国に支配されていた6世紀半ばに突如として衰退し始めます。その原因は今も明らかになっていません。
しかし、バル=イラン大学(イスラエル)の研究により、2つの出来事がブドウ栽培の崩壊を招いた可能性が示唆されました。
その2つとは、536年〜660年頃まで続いた「古代後期小氷期」と541〜549年に東ローマ帝国で起きた「ペストの大流行(Plague of Justinian)」です。
一体どのようにしてブドウ栽培を崩壊させたのでしょうか。
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■帝国で人気を誇ったネゲヴの白ワイン
ネゲヴのブドウ栽培は、これまでの研究により、6世紀半ばに崩壊するまで約200年にわたり栄えていたことが分かっています。
6世紀半ばと言えば、ユスティニアヌス1世の治世であり、1453年まで続く東ローマ帝国の長い歴史の中でも最大の隆盛期でした。
歴史文書には、ネゲヴのブドウを使った白ワインが帝国内で人気だったことが書かれています。白ワインは「アンフォラ」という細長い壺に入れられ、地中海世界へと流通していたそうです。
ネゲヴにある遺跡(当時のゴミ捨て穴)からは、数万粒のブドウの種やアンフォラの断片が出土しています。
乾燥地帯であるネゲヴの緑化は、雨水を利用した排水農業と肥料となる鳥のフンを用いて行われました。農業が栄えていた証拠に、同じゴミ捨て穴からは、小麦や大麦といった穀物も見つかっています。
しかし、ネゲヴが穀物やワインの生産地であったなら、東ローマ帝国にとっては欠かせない場所であったはず。しかも、ユスティニアヌスの最盛期ともあれば、経済的に支援されても不思議ではありません。
それがなぜ衰退に向かったのでしょうか。
これについて、研究主任のダニエル・フークス氏は「6世紀半ばの東ローマ帝国を襲った気候変動と疫病が関係していたのではないか」と考えます。
■原因は寒冷化とペスト?
地球は温暖期と寒冷期を頻繁に繰り返しており、6〜7世紀頃までは「古代後期小氷期」という寒冷期に入っていました。この気候変動を背景に、東ローマ帝国は「ペストの大流行」に見舞われたのです。
541〜549年まで続いたペストにより、当時の東ローマ帝国の実に20%の人口が減少。それに加え、ユスティニアヌスの重税が災いし、帝国の社会経済は崩壊しました。
これを踏まえ、フークス氏は「帝国の人口減少と購買力の低下により、ネゲヴの農産物が買われなくなり、経済的に衰退したのではないか」と推測します。
ペストがネゲヴまで拡大していたかどうかは不明ですが、帝国の経済支援がない上に、小氷期のせいで農作物が不作に陥った可能性は高いでしょう。
ユスティニアヌス自身もペストに感染しましたが、後に回復しています。しかし、一度崩れた帝国の経済は回復しませんでした。ユスティニアヌスの後、東ローマ帝国は急激に縮小・弱体化し、9世紀になるまで長い衰退期に入ります。
フークス氏は「気候変動とペストがネゲヴの産業を崩壊させた直接的な原因とは断定できませんが、何らかの形で農民たちに打撃を与えたのは間違いない」と話します。
ネゲヴの悲劇は、単なる過去の出来事ではなく、新型コロナウイルスの感染拡大が続く現代にも言えることではないでしょうか。
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535年の大噴火
世の中全体が大きく振動し、鳴り渡る轟音と共に豪雨が降って来た。暴風雨が何度も起こった。
しかしその豪雨も噴炎を消すことが出来ないどころか、事態は一層惨憺たる様相を呈した。
その音は恐ろしかった。結局山はぞっとするような唸りと共に2つに割れ、地中深く沈んだ。
パトゥワラ山及びにカムラ山の東方、そしてラジャバサ山の西方にあった陸地は海面下に沈んだ。
スンダ地方からラジャバサ山までの地域に住んでいた人は溺タヒし、その遺体は財産もろとも押し流された。
水が引いた後、その山と周囲の陸地は海になり、今まで1つだった島が2つになった。
スマトラ島とジャワ島が出来たのはこういう次第だったのだ。
エフェソスのヨーアンネスが書いた歴史書『教会史』にこうある。「太陽から合図があったが、
あのような合図は、いままでに見たこともないし、報告されたこともない。太陽が暗くなり、
その暗さが1年半も続いたのだ。太陽は毎日4時間くらいしか照らなかった…」。
東ローマの歴史家プロコピオスは「日光は一年中、輝きを失って月のようだった」と。
カッシオドース「春は穏やかではなく、夏も暑くなかった。作物が生育すべき何ヶ月間かは、
北風で冷え冷えとしていた。雨は降らず、農民は、また寒気に襲われるのではと恐れている」。
中国の『北史』に「旱魃のため勅令が下された。タヒ体は埋葬すべしという内容だった。…当局は、
市門で水を配ることとした」。『南史』では南京に黄砂が押し寄せ「黄色い塵が手一杯
すくいあげられた」。『日本書紀』では「食は天下の本である。黄金が満貫あっても飢えを
癒すことができない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」。
インカ皇帝「ひくわー」
糖尿病患者が多く発生したのではないだろうか?
てゆーか、2つに別れたの本当にそんな最近のことだったのか?
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1596679336/
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