兵法の天才と言われた孫子など現代にも通じる中国の兵法書物を語ろう
孫子
春秋左氏伝(関羽が、こよなく愛した)
司馬法・尉繚子・李衛公問対
史記
六韜
三略
呉子
みんな読みましょう!!!!
4: 2007/04/04(水) 23:15:17 ID:fWYfI4Xy0
>>1は兵家の七経+左伝・史記を挙げてるけど、兵法書を中心にしたいのかな?
左伝や史記は歴史書だが、歴史書もOKなんか?
DQN呂蒙が孫権から「読んどけ」って薦められたリストだっけ?
兵法書からは戦の原理を学び、史書からは戦の実例を学べ、と。
そんなこむつかしいもんよりか、
わいの書いた本読んだ方が、社会勉強になるでえ
つ「金瓶梅」
孫子なんてノストラダムスの予言書とおんなじだよ。
内容が抽象的だからどうとでも解釈できる。実際におきた事例を当てはめてみて、「おお、すげー」ってな。
背水の陣の話みたく内容もしばしば相矛盾するから、結局は使う人の能力次第。
春秋時代のような古臭い「礼」やら迷信やらが蔓延っていた時代には画期的な書物だったんだろうけど、
それ以降の時代は過去の名声で生き延びてきただけの書物。
名声だけは残っているから、いまだに読む人が居る。
で、孫子の都合のいい部分を持ち出して勝者を賞賛し、敗者を断罪する。
あたかもおそだしじゃんけんの如く。
今はいい時代だね。生兵法を振りかざしても趙括のように命まで失わずに済むんだから。
>>6
> 結局は使う人の能力次第。
それは孫子に限らず当たり前な事では?
基本中の基本だからこそ孫子はいろんな分野で応用されているんだよ。
「覚えてなくてもすごい奴はいるが、最後には覚えている奴が勝つ」ってのがやけにカッコよかった
実際にどうなのかは知らんが
劉備の兵法は我流なので、形式を超越した極意を示すことが出来なかった、と。
兵法と言う形式に「こだわらない」ということに「こだわってしまった」と。
現在我々が読むことのできるは後世いろいろな人物(代表例として曹操)が書き足したもの。
曹操はそれまで書き足されたものを削除したの。
これは基本的な常識だよ。
これも基本的常識。
兵法書はあくまで基礎で、応用力をつけるためには歴史書も読む必要があった じゃないと馬謖みたいになる
史書には主だった作戦が記載されているので
歴史上の名将がどのように作戦を進めていたかを知る教材になるからな。
もっとも戦国策は国内の謀士たちのやりとりがメインだが。
時系列を自分で整理して戦争直前のA国とB国の内部状況を読み比べてみると面白い。
この書物は歴史書であるので前述のような教材として役立つが
それ以上にこの書物は法を運用する上での前例集という趣が強く
関羽に為政者としての素養があったというエピソードと言える。
義務教育みたいなもんだ
日本で二次関数が出来ない大人は希だが、東南アジアのストリートチルドレンや、
ニューヨークのハレムでなら二次関数できるヤツが希
関羽は後者
左伝って、漫画みたいな本だよな。
漫画のキャラみたいな人物が登場しているせいもあるかもしれないが。
>それ以上にこの書物は法を運用する上での前例集という趣が強く
>関羽に為政者としての素養があったというエピソードと言える。
暗誦と実践は別物なんで一行目と二行目は必ずしも結びつかない。
暗誦の効用を理解してないらしいな
馬○では困るからでしょ
名門よりも小飼してる武将をあげた方が孫権に旨みがあるからな
後世の儒家からは兵法はどう思われていたんだろう。
兵法書を記すのは大きな加点要素になるようだ。
著名なものは孫子ですが、他にも三十六計、戦国策、
最近のでは毛沢東の遊撃戦論、超限戦など、
非常に読み応えのあるものが多いです。
兵法の枠を超えて対人関係の在り方、技法の書だな。
中国人は大雑把に言って、家族に対しては儒教の考え、それ以外に対しては兵法の考えで動く傾向がある。
三十六計は、まさに家族など自分の身内以外の者に対する中国人の対人関係のエッセンスが満載の書だ。
日本人的対人感覚でこの書に目を通すと単なる俗悪な書にしか見えないだろう。
現代兵法学からすれば孫子は致命的な欠点に満ちている。
現代でつかえる学問もあるが
1
まず1章の
大衆の意思 天候的要素 地理的数的統計 将兵、隊員のレベル 役割制度性
これは確かに軍事的な基礎だが、欠点としては本来は1万倍以上の字、情報をもってつたえることをまとめすぎてるため意味がわからなくなってる。
原文のままでは誰も理会できず、また古典的に理解できてない。つまり説明不足以前に短縮 短縮
そして重要な軍事生産についてが、時代が古いこともあってかけてる。これが戦争の基礎ゆえの欠点。古来欠点
2 奇兵(だまし)、統計の重要性
攻撃スタイルは形のないのが極意 この項目ある意味究極
3 浪費、兵站
これもただしい
4 100戦100勝は~ここから実はかなりあやうくなってくる。これが一概にいいともいえない。理屈はただしいようで実用性がない
5 外交孤立手段と事前打破たしかに重要
6 野戦主義、非功城
これが致命的な間違い。致命的な間違い妄想で、すでに最近の軍事学ではそれがもっともやってはいけない軍事上の失敗で、現代戦争は絶対的に逆になってる
思想かの妄想的な要素が強くて、現実的じゃない以前に。それは矛盾してるんだね。つまり攻城撃破がないかぎりかならず戦争が長期化するから絶対やっちゃいけないんだね。
基本は功城撃破。野戦回避。これが現代の軍事であって、大規模野戦決戦は実は大きなマイナス。現代の大失敗
7 さらに致命的な欠点と大失敗。これが数量論これが現実的じゃなく、かならず毎回10倍の数を用いて失敗したのがシナなんだね。毎回毎回失敗する。ガチで10倍戦力で国力衰退の歴史だよ。
現代戦上は少数撃破が最上の策とされる。逆これが致命的 どんな失敗。なんど失敗したことか。つまり10倍兵力になるとすでに兵站+基礎概念がこわれるんだよ。
8 最終項目の彼を知り
これが毎回できてない。言葉としてその難しい通年、概念~なんだが、それを最終目的のみ言葉として使ってしまってるため、その戦術、手段としてがかけていて、中身がかける。
1 つまり全体的には言葉不足であり、説明が不足し、理解不能、理解できないが古典的に語る。
2 戦争、通年、戦争戦争理解、これが極めて不足して致命的なミスの固まりになってる。
3 言葉不足で全体的にあやふやになりミスさせる
4 軍事生産が時代的にない。
とあってかなりかけてる。かつ政治戦略上の理解はあるし、かつ組織論にたいして多少踏み込み
かなりかって前衛的だったことはわかる。しかし全般的にあまりにも古く、それ以前に
具体的な軍事戦術、生産に関して致命的に失敗しているため失敗。
しかもその軍事戦術~生産不足で使うやつは毎回失敗するんだよな。
こうなのでないか?
無駄に攻めすぎ。廟算しろ。
まず一敗だな。
読み手が勝手に補完して深読みしてくれる
おもしれーわ。すげー、ガチシリアスなつくり。
レンタルして見てみー。
どうしてだろう?
パッと思いつくとこは
軍才は天賦のものだから
歴史的に武官が冷遇されてきた
大功を立てても、無実の罪で裁かれ前線から呼び戻されることがある
近代以前では、北方遊牧民の集団騎兵戦術が最強
どういうタイミングで兵を投入すべきかとか教えてくれないし
三十六計や戦国策、百戦奇略を忘れてはいけませんな
異論は認める
成立年代を考えても世界屈指の本だな
もしかして、なぜ孫呉と言われたか知らないの?
どうして差がついたか、慢心・環境の違い……
政治家としてはたいしたことなさそう
また今でも通用しそうなところが何箇所もあるから
孫子は優れた書物だ
孫子を読んだ感想
結局戦うべきと戦わざるべき
必勝必敗を分ける要素を挙げすぎで統一性に欠ける
「ここに注意しろ!」というポイント以上を教えるものではない
たぶん孫武さんが呉王に提出して「俺を将軍にしる!」って就活するためのものだから、
読んだだけで全てOK→「俺(王)がやるから将軍いらね」ってならないように肝心の部分を書いてないんじゃね?
自己啓発書の、いいとこ書いて、これ以上知りたかったらカネ払ってセミナーに来てねの古代版。
あの本は結局いかなる状況でも役に立つと思う
ことを起こすことの計画やら戦いの心構えやら
ワンミスでタヒんだだけで、素質的には俺らと同レベルなわけない。
孫子っておもしろい書物だな
一般的にはウソをつくなと教えられるが
兵は詭道なりとあって戦争は騙しあいと説明しているんだよな
つまりウソをつけと教えているんだよね。
道徳教育とかではウソをつくなと言うけど
孫子さんは正直者だからウソをつけと教えてくれているんだろうね
そう考えるとおもしろいな
正直者だからウソをつけと教えてるんじゃないよ(´∵)
戦争における戦略戦術を個人や平時の道徳とまったく別のものだと認識してるんだよ。
一国の軍を任されて敵国と戦う場合に限って詭道なのであって、
その他で嘘ばかりついてると信用がなくなって破滅するよ。
孫子の言う詭道は、相手の意図を事前に察知し、その裏をかく作戦を立てろということ。
強いのに弱く見せ、充実しているのに隙だらけのように見せかけるというのは、
相手の判断を狂わせて、自分の「利」にしようという発想。
単なる嘘つきとは違う。
○相手の判断を狂わせて不意を突け
孫子を初めとする兵家の発想は、相手の判断を狂わせて戦争を回避することも視野に入れている。
82にも書いたけど、充実しているのに隙だらけのように見せかけるのと同様に
実際は隙だらけなのに充実しているように見せかけるという戦術も当然あり得る。
そうした場合、こちらが圧倒的に不利にもかかわらず、相手の判断を狂わせ、兵を退かせるという状況も当然生まれてくる。
それをしたのが諸葛亮孔明だったわけだが、兵家の教えは自国の「利」を考えて行動する生き残り戦術だった。戦うばかりが兵法じゃない。
呉子では将軍の条件を智、信、仁、勇、厳と書いて、
「信」、つまり誠実で命令に忠実に従うということも高く評価されていた。
三略では、嘘をつかない「誠」という性質も評価されていた。
そういう点から考えても、バトルフィールドで敵を騙すということと、
味方の間や国内で誠実、正直、礼を守り義に厚いということは別に考えるべきだと思う。
○戦術レベルでの回避
ニュアンスが全然違う。孫子と兵家を過大評価しすぎ
ちなみに呉子での将軍の条件は理・備・果・戒・約だから
まあゴッキーも食事の約束して相手が来なかったからずっと食べずに待ってたような「信」の人物だけど
そんじょそこらのカリスマ勝負師ドラマとか、ギャンブル映画より、よっぽど楽しめる。
この教えを比べるとどっちのほうが優れているだろうか?
というかなんで二人で内容がまったく別なんだよ?
散逸したというか、忘れ去られていた孫ビン兵法が銀雀山漢墓というお墓から出てきた。
「孫子」を書いたのが孫武なのか孫ビンなのか議論があったが、「孫子」と「孫ビン兵法」が
同時に出土した事でその辺の関係が明らかになった。
晋の時代に、戦国時代の魏の王墓から竹簡に書かれた歴史書が発見されて「竹書紀年」と
呼ばれる。
四書五経の書経(尚書)は始皇帝の焚書で一度失われた。漢の文帝の時代に調査して
秦の博士だった伏勝が持っている事が判り、公開された。これが「今文尚書」。
さらに孔子の家の壁などから秦以前の古文で書かれた物が発見された。これが「古文尚書」。
「今文尚書」には無い内容が含まれるが、歴史的に顧みられる事は無かったらしい。
老子は昔の墓から出たものは道→徳じゃなくて徳→道の順になってて、
昔は政治論的な徳経が重視されて前に置かれてたのが、後で哲学的な道経を前に改変されたのがわかった。
韓非子の解老も徳経の解説から始まってるし。
読み応えがある
俺は武経七書すべて読んで一番良いと思ったのは六韜だな。
李衛公問対なんかもいいところはあるが例えば部隊の編成方法とか詳しく書いてくれてるのよな。
屯田の配置から何人を配置して何人で隊長を置き、とか進軍の時に鳴らす太鼓は~とか
あれは当時の実戦バイブルとしては役に立つだろうが現代で生かすのは難しい。
その点六韜は現代に生かせる部分が多い上内容的にも屈指の出来。
まあそんなのはいいが
孫子だけが異常に有名なのは三国志と同じ状況だな。
孫子の知名度は圧倒的にあるがそれ以外は誰も知らない。
武経七書の存在すら知らずに馬○みたいにあふれる孫子の兵法本を読んで
「俺は兵法に詳しい」って人間が量産されるのよな。
三国志演戯だけ読んで「俺は中国史詳しいよ」ってのがいっぱいいるみたいに。
孫子自体はそりゃよくできてるけどね。
孫?兵法は読んだ?
私も武経七書は一通り読んだが、孫?兵法はまだ通して読んでない。
金谷治さんが孫?兵法の本を出しているが、どうしようか迷っている。
読む価値あるかな・・・
>>105
読んでない。
でも確かあれは断片的にしか残ってなかっただろ?
ところどころ文字が失われててこれじゃ読む気起きんと思ったの覚えてる
価値は人によるだろ。別に現実に合わなくても古典として楽しむならいいだろうし。
有名な武経七書、孫ビン兵法、三十六計、戦国策、くらいだろうし。本が売ってたり簡単に読めるのは。
孫子ですら魏武注なんかほとんど見たことない。
当時はやった陰陽道とか、どうせそこら辺が根拠だろ。
まあ、挟撃とか、衝陣とか、伏兵の使い方というのはおもしろかったけど。
考え様では時代を経ても使えそうだが、だけど時代を逐えば幾らでも人間の倫理は変わるもんで
まー文字通り「お経」ですな。
実戦の点では孫子の火攻編をそっくりそのまま現代の戦争で使おうとするようなもんじゃないかと。
先祖の孫武さんが書いた普遍的な戦略理論を補う具体的な戦闘・戦術ってかんじで、
時代が変わると共に変わってく部分の書物。当時なら役に立ったろうが現代では…
読み継がれずに捨てられ、墓から出るまで存在すら忘れられてたのには理由がある。
そういう読み方をしているやつをこのスレでは孫子読みの孫子知らずと言う。
お経的に言うなら、馬の耳に念仏。
資本主義という倫理()で言うなら、猫に小判。
そういう読み方をしているやつは、おそらく何を読んでもダメ。
102 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/11/01(木) 04:26:15.01 ID:cnoMi0ZnO
闘戦経はかなり精神論な代物だからねぇ。
考え様では時代を経ても使えそうだが、だけど時代を逐えば幾らでも人間の倫理は変わるもんで
まー文字通り「お経」ですな。
実戦の点では孫子の火攻編をそっくりそのまま現代の戦争で使おうとするようなもんじゃないかと。
107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/11/03(土) 21:03:15.90 ID:2oOm8Y/20
読む価値は正直あまりない(´∵)
先祖の孫武さんが書いた普遍的な戦略理論を補う具体的な戦闘・戦術ってかんじで、
時代が変わると共に変わってく部分の書物。当時なら役に立ったろうが現代では…
読み継がれずに捨てられ、墓から出るまで存在すら忘れられてたのには理由がある。
102=107だろ。
コイツ戦国策も孫賓兵法も読んでない。
99.998%ライト点灯虫の書き込み。
実際、俺は孫賓兵法を読んだが、これまでの武経七書の理解を深めるという意味では、これは十分読む価値がある。
あくまで勝つの前提。負けるよりは持久戦のほうがマシ。
持久戦って言っても限度がある。
人類稀に見る粘り強さを持つやつと4年も持久戦が続いていた俺の反省から言うと、
持久戦は時間と金と労力の無駄が多すぎる。
勝てなくても持久戦で大損させられる備えがないと講和に応じてくれないだろ。
まず防御を固めて攻められても損害>利益になるようにして、その上で交渉。
力がないと外交交渉すらできない。
持久戦が続くと国力の疲弊が国家の滅亡につながるリスクがあるし、
持久戦で疲弊したところを第三者の諸侯に攻め込まれ、反目し合っている相手以外のやつから攻め滅ぼされるリスクを考えた上での教えだからな。
それも一理ある。
損害>利益というのは外交交渉の一つの前提になり得る。
だが、国家間の戦争は、戦争行為にまったく利益がないことを示すことによっても交渉はできる。
相手が戦争行為をするのは何かしらの利益を期待しているからで、
戦争行為には損害があっても、まったく利益がないことを確信させられたら、講和は成り立つ。
第二次世界大戦で、ドイツのスイス侵攻がそれにあたる。
ドイツはスイスの交通インフラを狙って侵攻したが、
スイスは交通インフラをすべて破壊し、徹底したゲリラ戦を続けることを宣言した。
インフラ設備が破壊されてしまって、ドイツの戦争目的がなくなってしまったため、ドイツはスイス侵攻をあきらめた。
ま、私怨私欲で戦うことを快楽としているようなやつが相手だったら、戦争=快楽になるから、利益のないことは示せないがな。
戦争にはコストが不可欠だが、勝利には利益がともなわないことがある。
兵法を学ぶものは、このような戦いをしてはならない。
戦争には、まず勝利を十分報いてくれるだけの利益を算定することが必須になる。
勝った場合に得られる利益が、戦争コストを差し引いても、十分妙味のあるものなら勝ちを目指す価値はある。(利食い)
また、勝利できる状況であっても、勝利で得られる利益が戦争コストより小さくなるような場合には、ただちに戦争を停止する努力が必要になる。(撤退)
さらに、敗戦が濃厚になるような場合には、多少の不利は承知でも戦争を停止することは避けられない。(損切り)
利食いを狙っている敵には、損害>利益を示すための抗戦が避けられない。
撤退の状況では、損害≧利益となるので講和は可能だ。
損切りは早いに越したことはない。
曹操で検索すると曹操注解孫子がヒットする。
一応買ってみた。
五恭五暴ってよく解らなかったんですが
飴と鞭っぽいんですが
途中に書いてあることがよく解りません
恭:暴
平常のあり方を狂わせる 敵領侵入 侵入者と呼ばれる
食糧を集められない 二 騒がしく五月蝿いといわれる
行動をしくじる 三 守り手の方で恐れる
食べ物がなくなる 四 士卒が騙される
役に立たなくなる 五 必ず大きな損失を受ける
これ全部悪いことなんですか?
暴二は舐められてるだけの印象
暴三は良いことに思えるのですが。。。
>>132
>暴二は舐められてるだけの印象
>暴三は良いことに思えるのですが。。。
始めは迷惑に思われるだけで済むが、繰り返すうちに警戒されるようになり、
ついには敵意を抱かせる事になる。
といって、恭でありすぎれば何も得る事が出来ない。バランスが大事、という事になる。
>>133
守り手の方で恐れるって
敵の士気が下がるんじゃなくて対策練られてしまうって意味なんですか
ならばこれは恭も暴も副作用のみに焦点を絞った記述なんですか?
というのは、恭も暴も狙いがあってやることですよね
対して述べられているのは全てマイナス点ということですから。
①恭も暴も仕方なく採る方針であり
②述べているのは副作用についてであり、段階が進む程ヤバい
③まとめると、連用は段階を加速度的に進めてしまうので交互に打ち消し合うように繰り出すこと
という理解でいいです?
>>134
>敵の士気が下がるんじゃなくて対策練られてしまうって意味なんですか
対策練られるまでいかないけど警戒されるって事だと思う。
敵領に侵入して住民にどう対応するかという話で、「恭」に過ぎれば舐められて食料すら手に入らない。
「暴」に過ぎれば反抗されるだけ。しかし「恭」も「暴」も仕方なく採る訳でもない。最初に書かれたように
飴と鞭という事であって、一方に偏らずにバランスを取れという事。必ずしも交互にとは限らない。
全体としてバランスが取れていれば良い。
>>135
:(;゙゚’ω゚’):敵領の住民……?……自軍の兵に対してだと思ってた……
危うく馬謖になるところでした
兵書という感じじゃないな。
内容的には儒教道徳に近い。六韜にもそういう要素が強いけど
強いだけで内容の主体は戦争の仕方だからな。
遊説の方法について書かれたってウィキが書いてるが、そんな感じも薄い
それならまだ兵書のが近いかな
新釈漢文大系で大きなのが上中下で出てるぞ
今ちょうど手元にある。図書館から借りてきたのだが。
県立くらいのとこなら置いてるんじゃないか。
今、第3章、4章くらい。
現代には当てはまらない部分もありますが、是非、御一読を。
日本政府関係者には、『ガリア戦記』もお薦め致します。
百s年百章より云々も戦わずに従わせたら絶滅させられないじゃん
絶滅戦争とかそういうのは考えてもいないんだな
書店に置かれている孫子の解説本は、いまだに内容が不正確なテキストをもとにして書かれてるのがある。
竹簡は失われた部分がある。
それでも孫子を理解するには、竹簡にもとにして書かれた解説本のほうがはるかに理解しやすい。
その人でなく別の人が書いた孫子解説本は、テキストが不正確なうえ解釈も間違っているのがよくある。
解説者の力量しだいで、孫子理解にも雲泥の差が出る。
竹簡をもとにした解説本が増えてほしい。
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175088127/
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