東日本では初!埼玉・行田の「埼玉古墳群」が国の特別史跡指定へ
埼玉 行田の「埼玉古墳群」が国の特別史跡指定へ 東日本で初
古墳時代に造られた埼玉県行田市の「埼玉(さきたま)古墳群」が、古墳群としては東日本で初めて国の特別史跡に指定されることになりました。
行田市にある「埼玉古墳群」は、5世紀後半から7世紀初めの古墳時代に造られ、前方後円墳が8基と、100メートルを超える大型の円墳1基などからなる国内有数の規模の古墳群です。
古墳群は、当時この地域を治めていた支配者層の歴代の墓と推定されています。
前方後円墳は、すべて北向きと規則性を持っていることや、出土した鉄剣に大和政権に仕えていたことを示す、文が刻まれているなど大和政権と当時の地方の支配者層とのつながりが分かり、歴史的に価値が高いということです。
さらに、地元で保存や調査活動に長年取り組んでいたことも評価され、15日開かれた国の文化審議会で国の特別史跡に指定されることが答申されました。
正式に指定されるのは来年2月以降の見込みで、古墳群が国の特別史跡に指定されるのは67年ぶり、東日本では初めてとなります。
「埼玉県立さきたま史跡の博物館」の栗岡眞理子学芸主幹は「歴史的な価値が認められて大変光栄です。大型の古墳が密集しているのは珍しいので、多くの人に訪れてほしい」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191115/K10012178751_1911151547_1911151632_01_02.jpg
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191115/k10012178751000.html
2019年11月15日 17時03分 NHK
>出土した鉄剣に大和政権に仕えていたことを示す、文
そんなものはない
進歩的国粋主義史観者にしか見えない幻影
>>197
関東で「ヤマトタケル」の事跡とされるものには常陸国風土記に記された「倭武天皇」関係が多数含まれている可能性が高い
ヤマトタケル自身の関東(九州もだけど)での行動は不明瞭かつ創作濃厚(日本書紀)だからね
むしろ古代中国で記録された倭(王)武との関連の有無の方が興味を引く(同名の別人の可能性も高いけど)
関東の古墳は作られた当時の姿を保ってるんだな。
関西のは木が生い茂って古墳の形が分かりづらいのが多い。
無駄に金はあるからな関東
>>3
整備したんだよ
鉄剣の出た稲荷山古墳はぶっ壊れて崩壊寸前だったから再建したサイボーグ古墳
将軍塚なんて完全に中身鉄筋の建物だから
勘違いしてる人が多いけど遺跡は基本的にそのまま維持する物
発掘するのは「壊れそう、工事で出てきちゃった」とかそういう時だけ
吉見百穴
すでになってる。
この古墳は物凄い貴重な金錯名鉄剣が発見されてるからな
素晴らしい事だ
やたらと広くて歩いたという記憶しかない。
フライ食べながら鉄剣と古墳見学しようぜ
いくた
くまたに
はぶ
埴輪売ってた店が火事で失くなってから行ってないなあ
古代蓮は静かに見たいわ
行ったことないし千葉県民だけど
獲加多支鹵大王の説明をします
この鉄剣が見つかった事で日本の古代史がただの神話や伝説ではなく歴史として考えることが出来るようになったからな
雄略天皇の実在性を基準として古代史を構築できるようになった
そして鉄剣に示される名前から四道将軍や崇神天皇まで視野に入れられる
この発見は本当に大きい
>>29
それでもオオヒコの実在性を認めない学者が多いのが今の歴史学会の悲惨な現状ではある。
「テヨカリワケ」は本朝皇胤紹運録でオオヒコの子孫とされてる豊韓別だし、「スクネ」から「ワケ」
への変遷や、名前が訛って伝えられてることからは、所有者が伝え聞いていた先祖伝承だろうね。
あと、「半弖比」はあえて「半」を当ててることからは、「ハッテヒ」→「ハットリ」と思う。
古墳の上からの眺めもいいし
日向ぼっこには最高
ただこの古墳群って古墳そのものは物凄い貴重なんだけど管理の方にやる気を感じない
マスコットキャラが「ニニギンとコノハちゃん」だぜ?
なんで瓊瓊杵尊と木花昨夜姫やねん
それ日向の方のマスコットじゃねぇのかと
せめてヲワケくんとかにしろよ
なんかこう推し進めてる方が実は古墳群になんの興味も無さそうなのがまた
実際行くと空気感が全然他の畑と違うのがわかる
神がいる空気感がよくわかるよ
なんか行田っていつもこんな感じなんだよな
あるものを生かすと言うよりもその時はやってる物にのって定着の努力しないみたいな
のぼうの城の時も、陸王の時もそうだったな
ブームが去ると「新しいブームを寄こせ!」みたいな受け身の態度が目立つ
古墳群も実は大して興味なさそうな気がする
こんなもん全国どこにでもある
関西では道路工事で取り壊されてるレベルだな
古墳群最大の二子山古墳は形をちゃんと維持してるから発掘されてない
稲荷山の例があるから是非何があるか知りたいところだが維持が基本だから掘れない
ジレンマだな
この古墳群はある時期に突然出現している
武蔵国を大和朝廷が支配するためのクサビとしてここに親大和朝廷的な勢力が配置された可能性がある
のちの武蔵国造の乱の笠原直使主との関係も想像できて興味深い
伝説とされる時代の物証として様々な要素が凝縮されているな
吉野ケ里に少し似てる
同じこと思った
旦那の実家の佐賀に行くともう行田に帰ってきちゃったっけとびっくりする
行田に帰るとまだ佐賀だっけと時々戸惑う
かなりぞんざいな状態なのが多いのが残念だが、綺麗に復元されたのもある
>>54
そこらへんの古墳の埋葬者は、おそらくヤマト政権から派遣された軍閥の長。
で、ヤマト政権の東北侵攻と関東支配の拠点として、「イバラで囲まれた砦(環濠集落)=茨城」があった。
それが茨城郡の、のちに茨城県の地名の起源。
>>57
本庄だと笑顔の埴輪が見つかってるな
武蔵国は田舎だから埴輪もかなり独自性が出て面白いな
世界史で言うならトロイが発掘されてギリシャ神話のトロイ戦争が実証された発見みたいなものだな
中国の殷墟や夏王朝の実在の可能性が出た発見なんかにも通じる
神話や伝説が歴史とされるようになった画期の遺跡
埼玉の県名は、埼玉(さきたま)古墳が由来だ
色々説があってな、どれが正統なのか、だーれも分からないんだわw
二柱が関与しているのなら、ウガヤフキアエズ王朝に由来していると考えられる
行田市に謎得られるのは、こじつけだろ
日本史だと古代は西日本中心だが
関東にも大和朝廷に属していなかったであろう地方豪族がいたからな
今は古墳でしか分からないのが残念
古墳のあるとこは地方豪族がいたってことでいいの?
大きな古墳はそれなりの人を集められないと作れないからね
石田三成がだいぶ壊しちゃったけどな
行田から鴻巣にかけて大小さまざまな古墳だらけだ
古代の大和朝廷侵出の拠点となっているのが分かるな
>>66
関東北部は、麦・粟、馬、絹。
ていうか当時の日本でも有数の、人口が多い地域だったから、かなりの生産力と軍事力があった。
ちなみに筑波山の「つくば」の語源説のひとつに、「銑場(ヅクバ)=製鉄所」がある。
なんでこんなに作りまくったんだ
水田整備した時に余った土を盛ったらしい
つまりゴミ捨て場
田んぼの中に、ポツンと小さな古墳がある。
>>76
古墳をはじめとした遺跡の変遷を見るとかなり長い時間をかけてじっくりと巧妙に支配を広げてる
ローマの分割統治を彷彿とさせるような巧みな方法を用いてるのが見えてくる
古代だから適当だったと思いがちだけどかなり高度なやり口で地方の藩王を叩き潰して飲み込んでる
このさきたま古墳もその大和朝廷の地方支配の一つの現れ
ちょうど地方の藩王を次々と滅ぼしていく5~6世紀頃に該当する総仕上げの頃
調べてみると古代史の見方が変わる
>>86
ヤマト政権の侵攻支配って、考古学的な知見からすると、確かにローマ帝国とかイギリスのインド支配タイプの
「ジワジワと時間をかけて既成事実を積み上げて、相手が気がつくと体制に取り込まれて支配されてる」
だよね。
実際に書物以外で雄略天皇の実存を示す強力な証拠となったからな
同時に年代的に倭王武とする比定で学会はほぼ一致してるので、各書物の記載を総合するといろいろ辻褄が合う
は一切出てきてない。不思議だな。中にはカワイイのもあるね。群馬県太田市から出た
武人の埴輪は国宝だよね。
太田からはユダヤ人の埴輪も出ているんだよな
昔の人の感覚だと
西日本と朝鮮半島南部が一つの国で
関東東北は別の国という感じだったんだろうな
文化圏が違う
最初知らずに遭遇した時周りかなり整備してあって
こんな田舎で急にどうした?と思ったら世界遺産登録目指してるみたいだね
埼玉に出雲系のアメノホヒノミコトの子のタケヒラトリノミコト、茨城と千葉に物部氏のフツヌシノミコト
このコンビが両地域を朝廷の先駆けとなって支配していく流れなのが興味深い
両者ともに天孫降臨前に各地域のまつろわぬ神々を討ち平らげて回った神話の土台があってそれを想起するな
関東をはじめとした地方を討ち平らげた史実的なものが土台にあるのかもしれない
まぁ鷲宮は今はアニメの聖地になってるけどw
物部氏も出雲系だろ?
ということは、出雲系は大和政権の成立前に関東まで制圧してたのかよ・・・
となると、その出雲主体の邪馬台国を取り込んで壊滅させた大和政権を作ったのはどこの勢力なんだろな
記紀を信じたら九州南部の勢力なんだろうけど、たったそれだけでどうやって逆転できるんだよ
大和に入る時は酒飲まして夜襲かけたらしいけど、日本全体が敵ならその後反撃食らうだろうし・・・
中国の後ろ盾でもあったんかな
>>116
出雲の勢力が北関東の一部を支配しただけでしょ
日本海側から新潟長野群馬と北関東に入るのは楽
南関東含めて関東全域を支配していたわけじゃない
坂上田村麻呂が蝦夷征伐をやったときでも
大和朝廷は関東全域を支配していなかったという話もある
埼玉の実家近くで古墳の管理してる大地主は大昔に
富山や新潟から来た一族だと言ってたけど、
まさかその時代からの人達なんだろうか。ビビるわ。
雄略も伝承のように三輪山の南に宮を置いていたとしたら
雄略は実質初代の10代祟神天皇の権威を
利用しようとしたんじゃないか
そして豪族の整理をする
晩年はNHKに出たりして有名人だった
丸墓山古墳は最近日本一巨大な円墳じゃなくなって残念
奈良の富雄丸山古墳に負けた
つか奈良は他にいっぱいあるんだから自重しろ
かなりデカいんで登ると結構怖いくらいだな
>>115
戦前、とくに世界大戦前の軍国化した時代に「皇国史観」が強くなりすぎて今の韓国みたいになって
(そういう意味で、彼らが悪魔のように嫌う「日帝」の思想的正統後継者は韓国だったりするw)
大正デモクラシーの時代のような、自由な古代史研究が出来なくなったんだよ。
その反動で、特に津田左右吉という、戦前イジメられすぎた記紀研究の大家とか、「継体天皇以前はぜんぶファンタジーだ」とか言い出して
それが戦後日本の古代史研究の「常識・権威」みたいになっちゃってた。
丸墓山は興味深い古墳だな
これだけ巨大なのに円墳と言う
古墳の秩序では前方後円墳が最高位で、その下が前方後方墳、それに続いて円墳となる
大きさもそのランク付けに入るわけだが、これだけ巨大なのに円墳どまりと言うのはどいう事なのか
中央から見ると低ランクだが、地元の実力的には大きいと言う人物になるな
地方王に仕える有力家臣だろうか
金錯銘鉄剣が出てるから支配下にあったのは確実
ただ、持ち主が元から関東にいた地方豪族だったのか
関西から派遣された官僚なのかは分かってない
>>127
首都圏は「弥生系」75%
http://1.bp.blogspot.com/-xfe953hh0W0/VRIPM5RK4bI/AAAAAAAAI8E/wQzp2oE0ZsQ/s1600/l_sk_dna.jpg
顔つきなど遺伝的特徴の地域差は、拡散や混血の度合いの違いによるとされ、その解明は人類学の大きなテーマだ。各地域集団の計算結果は表の通り。
日本人の平均的集団と考えられる首都圏の弥生人の比率(71%)で、別の調査の歯の形態から割り出された現代関東人での弥生系の比率(75%)とほぼ同じだった。
Y染色体の比率とずいぶん違う
戦後の記紀、日本史否定の流れも酷い物だからな
もうありとあらゆるものを「渡来人が作った」「全部サルマネ」とか言い出す始末
揚句に今となってはギャグにしかならない騎馬民族征服説とかがまことしやかに語られてたからな
逆にもう学問の体をなしてない
歴史にイデオロギーを持ち込んで一方的な思い込みを押し込みだすともうそれは歴史ではなくなる証拠だな
ついでに言うから考古学が発展したのも「物証によって記紀や日本史の常識の全ての嘘が暴かれ破壊されるはずだ」という期待があった
ところが開けてみたら記紀の記載が実際はかなり真実に即した物だったことが証明され始めたと言う
この鉄剣とかもその一つ
何というかそれこそ歴史は時に皮肉なことをするもんだw
今はそういう戦後の呪縛が解けてだいぶんニュートラルな考えになってきてよかったよ
吉見百穴って今は「ひゃくあな」なんだよな
昔は「ひゃっけつ」と呼んでたな
呼び方で世代が分かる
ひゃっけつの方が切れがいい感じがして好きなんだけどな
ひゃくあなとかまぁそのものズバリで分かりやすいけど何というかそのまんま過ぎだなぁと
江田船山古墳の鉄剣が普通に置いてあってビビるよね。
こんなの2階に持っていって特別展として限定展示したら行列になりそうなのに。
>>135
まぁ価値の分からない人にはどんな貴重なもんでもゴミだからな
鉄剣も錆びた鉄の塊にしか見えないし
だからそういう人達に少しでも興味を持たせる苦肉の策が世界遺産とか、ブームとかの肩書
豚に真珠とはよく言ったもんで
どれだけ貴重だと説明してもタピオカの方が100万倍も興味があるんだろうよ
話題になって土産物店が復活するといいんだが・・・
>>142
古墳と言っても太田と行田では意味が違う
太田は大王に縁の深い直轄的な性格で由来も古く5世紀前半くらい
行田は朝廷の影響下にある地方の豪族で勢力を形成したのは5~6世紀くらい
古墳の違いを理解するとその意味が見えてきて面白さが増すね
埼玉人
武蔵国の力関係がひっくり返ったのは江戸時代から
それまではずっと埼玉>東京>神奈川
徳川家康が来るまで江戸城のあたりなんてただの海辺じゃん
平家物語とかに出てくる坂東武者ってこの辺の武士のこと
>>159
くだらなくない。
それこそ権力の証な訳だから。
天皇家が天皇家たるのは、家系図の記録があるから。
全部やれよ
>>165
勘違いしてる人が多いが遺跡は「現状維持」が基本
掘ったら壊しちゃうからね
遺跡が掘れるのは
「そのままだと崩壊しそう」「工事で出てきてしまった」などの時くらい
稲荷山や将軍塚は崩壊寸前だったなどの理由がある
隠蔽とか陰謀じゃなくて遺跡は基本的に掘らない
チャリだと裏の川のサイクリングロードに出て行けるので、距離が半分くらいになる
出雲地方から東は新潟県糸魚川、西は山口県徳地まで、出雲国風土記と古事記に載っている史跡巡りをしてきました。
いろいろな史跡とその周辺の地域を見聞し、そこで気付いたことや、疑問に思ったことなどをネットや本でいろいろな項目を検証した結果、
古代日本の成り立ちについて、このようなイメージを持ちました。
素戔嗚尊(スサノオノミコト) は たたらによる鉄器の生産(製鉄加工業)と樹木の栽培(林業):二つ合わせて”近代日本でいうところの殖産興業”を
日本列島の現在の島根の石見地方から鳥取の伯耆の国を中心に広めることで、そこに住み着いていた人々の生活の向上に貢献した集団の王様
大国主命(オオクニヌシノミコト) は 素戔嗚尊の技術を受け継ぎ、その技術を進化させて水田開発(木の鍬が鉄の鍬に進化することで、耕作の効率が向上する)と稲作技術を、
日本列島の現在の新潟県の糸魚川から山口県の徳地までのエリアに広めることで、そこに住み着いていた人々の生活の向上に貢献した集団の王様
スサノオとオオクニヌシのこの二つの出雲の集団は、勢力を伸ばした先の地域の人々にとって、占領支配されたけど、生活の向上をもたらしてくれた存在であったから、
現代に至るまで、東北から九州まで各所でお祀りされている。
この二人の作り上げた、豊かな国の出雲の生産力を欲しがって国譲りを求めたのが、天照大神の大和集団。
この集団は出雲より技術では劣っていたが、統治・政治力は出雲より優れているので
、結果的に大和が出雲を吸収合併したから、今の日本列島はひとつの国として進化・発展を遂げ存在している。
稲荷山古墳も干拓のために切り崩されたとか
というか古墳は別に特別な物ではないからね
実は全国に16万もある
コンビニが8万だからなんと倍もある
大小さまざまでちょっと調べてみると自分の家の後ろが古墳だったりするくらい身近にある
調べてみると面白いよ
行田ブームくらな
うちのタヒんだばあちゃんの実家が行田で足袋工場やってたわ
あと、砂丘跡とかも
その辺は大宮台地の支台の末端だっけ?
海の近くで暮らしやすかったのかな
川越駅もリニューアルされるし。
じゃあ大物主系の土地柄か?
幸魂って説もあるけど
実際は奥多摩(オクタマ)に対して前(先)多摩(サキタマ)ってことらしい
ああそういうことか
武蔵国造しらべてみたら伊勢津彦の子孫だなあ
伊勢津彦は饒速日とかタケミナカタとか大物主とか言われるんでにぎたまさきたまもありうるかもしれんなあ
恐らくみんな小さい頃に
この場所の重要さを理解する前に行ってるんだよなぁ
古墳の価値より周りの池で釣りが楽しめる場所。
古墳以外も相当歴史ある地域なのは間違いない
現代の日本人と変わんないよね
剣に書くのは書きにくかったと思うけど日本人ぽいのがよく表れてる
どっちもデカかったな
あそこは立地が残念なんだよな
長野の森将軍塚古墳館みたいに広い公園になってて、きちんとした資料館が整備されてるほうがいい
浦和・大宮が中心のさいたま市は歴史的地理的経緯を重んずるなら「足立市」
…なんかだめだこりゃw
急ごう
>>218
整備は十分されてる
価値が分からない人しかないから誰も来ない
金ピカな財宝や、巨大なピラミッドでもないと素人には何が凄いのか理解できないだろう
鉄剣も何も知らないならただの錆びた鉄の塊だし
資料館で鉄剣の銘文を読もうと思ったらマスコミの焚くフラッシュが反射して
全然読めなかったから「君たち!ライトをやめよ!」と一喝。
引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1573818846/
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