あまり知られていない中東・北アフリカの歴史について語ろう
中東では技術者や職人など、手を汚す仕事は卑しいものだと考えられている
そのためサウジアラビアでは、若者がホワイトカラーの職にしか就きたがらず、
いつまでたっても外国人労働者依存から抜け出せない
サウジアラビアをはじめとする湾岸産油国はフィリピン人の手稼ぎ労働者から
評判が悪いらしい
中世的というか、とにかく人権無視で奴隷のように扱うから
イスラーム研究者は、中世のイスラーム圏ではキリスト教圏より奴隷の扱いが
マシだったと主張するけど、これは眉唾物。
現代での湾岸諸国におけるメイド虐待などの事例を見ると、
奴隷制廃止以前の奴隷の扱いも結構ひどかったのではないかと思えてくる。
あの程度20世紀前半までの基準で見たら何ともないだろ。
自由民に対する扱いとして至って普通。
砂漠か岩山で、居住可能な地域は平均幅が2㎞から10㎞のナイル川の
両岸(ナイル河谷)や同川がカイロの北方でダミエッタとロゼッタのふたつの
支流に分かれて形成される地中海沿岸のデルタ地帯など
全土のわずか6%にすぎない。
可住地域の面積だけをみると、北海道よりも小さいことになる。
エジプトはアラブの中で二位のアルジェリアの
倍以上の人口を持つからアラブの中でも最も人口密度が高いのではないか?
アルジェリアが四千万人台に対し、3位~5位の
イラク、モロッコ、サウジアラビアは三千万人台。リビア、シリアは千万人より遥かに少ない
カイロは中国で言えば上海に近い感じで、思っていた以上にアラブは人口分布にバラつきがある
失礼しました!リビアが600万人台に対し、
シリアは2千万人台でした
申し訳ありません
エジプトは全土の6%しかない可住地域に7000万人以上の人口がひしめき、
さらにはカイロやアレキサンドリアなどの都市圏に集中する。
カイロの人口密度は、地区によっては1㎢当たり10万人を超えるとも
いわれている。結果としてもたらされたのは、主として都市部における
インフラストラクチャーの著しい不足である。
近年では、人口や自動車の増加などに伴い、都市部における
大気汚染や水質汚染が深刻化しており、呼吸器感染や下痢などによる
乳児タヒ亡率の高さをもたらしてる。
ゴミ処理も著しく遅れ、外国人観光客が宿泊するナイル河畔の
高級ホテルや公立病院の周辺の道路にすら、汚泥やゴミの山が放置され、
埃や紙くずが風に舞っている状態だ。
アラブ人の中でもっともすぐれた商人とされるのがレバノン人である。
レバノン人は19世紀半ば以降、人口増加に伴い、またオスマン帝国による
アラブ民族運動の抑圧を逃れて世界各地に広く移住し、行商を通じて
起業資金を貯め、金物屋や衣料品店の経営などから身を起こして、
どこの国でも商業的に成功した。
西アフリカでは、ちょうど東南アジアにおける華僑のように、
流通分野に進出し、現地農民とヨーロッパ系企業とを結ぶ仲介商人、
いわゆる「買弁」的な機能を担い、財を成した。
今では国内人口(約410万人)の三倍弱に相当する約1200万人が海外に居住し、
レバノン本国が抱える巨額の貿易赤字をこれら海外居住者からの
送金が補填している。
1492年のグラナダ陥落によってスペインから多くのムスリムが北アフリカへ
追放されたが、彼らの中には船隊を組織してスペイン船をはじめとする
ヨーロッパ船をしばしば襲い、「海のジハード」を展開する者たちがいた。
その一方で、彼らは状況に応じてヨーロッパ人とも交易を行っており、
捕虜の身請け金ともあいまって巨額の収入を得ていた。
彼らの活動は、ときにはアイスランドにすら及んだ。
北アフリカにおけるローマ化の進展はほとんど都市部に限られていたな
先住民の中にも、進んでローマ文化を取り入れて都市に住む者もあったが、
非都市部ではローマ化の度合いはきわめて限定的で、政治的にも自律的な
部族集団が事実上割拠する状況が続いていた。
また、リーフやアトラスのような山岳地帯、あるいはアトラス以南の
サハラ砂漠には、ほとんどローマの影響はみられなかった。
他の北アフリカ諸国とは違い、マグリブ三国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)
の沿岸地域には、小麦、オリーブ、オレンジ、ブドウなどの畑地が広がっている。
これは、アトラス山脈が大西洋・地中海からの湿気を受け止め降雨をもたらし、
また南のサハラ砂漠からの乾いた熱風をさえぎってくれるからである。
アンティオキアが完全に衰退したのに
エジプトは都市に適した土地が限られているから
戦乱を受けても他に移転しようがない。
黒い肌の人も見られるなど、形質的にはさまざまである。
紅毛碧眼の人がいたりして
>>24-25
カナリア諸島のベルベル系先住民グアンチェ族も金髪碧眼って
いわれてるっけ
>>27
アイリッシュではないんだろうけど,アサド大統領見た時
フランス人にもいそうな風貌だと思った。
十字軍としてやってきたフランス人なんかの遺伝子やろか。
例えば今のフランス人は3人に1人が祖父母の1人が北アフリカからの遺民と言われている
つまり100年前のフランス人とは遺伝子構成が大きく異なってるわけ
有史以来同民族間の近親婚で増えて来た日本人と違って大陸はどこもグチャグチャの混血よ
紀元前は文明の先進地域だった。
エジプトを征服して第25王朝を建てるほどの勢いがあった。
今の日本は失敗国家ランキング1位の貧しい国だけど、紀元前は神の国だった。
中国も同じでお互い刺激合っていたいい国だった。
アフリカは日本には理解出来ないアフリカの世界があるんだよw
第25王朝しかないとは悲しすぎる
1940年6月10日、ムッソリーニが唐突に対英仏戦線布告したため、
英国は地中海航路の保護が必要になりました。
あまり知られてないな。
日本もゴーン被告の引き渡しを条件にすればいいのに。
キリスト教が支配的である社会に適応しやすく、高い移民率によって、
国内に残る数は相対的に少なくなる
これに対して、南部などに多いシーア派は、移民率が低いだけではなく、
出生率が高い
現在ではレバノンの宗派ごとの人口構成が逆転し、ムスリムが六割五分から
七割に近くなり、その中でもシーア派が最大の人口を占める宗派に
なっているとみられる
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1555076285/
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