宇野弘蔵の経済学方法論をほんの少し読んでいるが、
やはり、ものの考え方としてカント哲学の素養は必要である。
学者があらかじめ存在する対象を見出して認識するのではなく、
学者が認識すべき対象を見出して初めて当の対象が存在するといった、
コペルニクス的転回が理解されていなければならない。
こういう教養は、旧制高校の卒業生~戦前生まれの大卒者には、
当たり前にあったのだろう。
悟性は概念を把握する能力
ドイツ語ではVerstand、英語でunderstandingなのだから、普通に「理解」と訳せば良かったのに
誤解を招くこの用語を避けて、別の言葉に置き換えることも行われてきた
長谷川宏の超訳ヘーゲルでは、なんと「科学的思考」になってた。長谷川宏によると、悟性の典型的な使用例はニュートン力学なんだそうな。これだと禅僧の頓悟とは正反対だけど、参考になる
カントの純粋理性批判を読むためには、予備知識としてユークリッド幾何学とニュートン力学を知っておく必要がある
理系並みの専門知識なんか必要ないけど、どういう理論だったかイメージくらいはつかんでおかないと
全てを統括するみたいな。
例えば、赤いリンゴがあったとする
昔の人々は、「リンゴという赤い物体が存在する」と考えていた
現代人は、「リンゴの表面が反射する光を、人間が認識するから赤く見えるのだ」と考える
(そんな風に考えるのは哲学者や科学者だけで、普通の人はそこまで深く考えてないが)
要するに、「赤いリンゴ」が存在するのは、人間がそれを認識するから
「モノが存在するから、ヒトが認識するのだ」から、
「ヒトが認識するから、モノが存在するのだ」
へと180度クルッと変わった
それが、天動説から地動説への転回に似ている
カントがコペルニクスで例えたのは天動説から地動説への転回じゃないよ
天球の回転から地球の自転への転回だよ
地動説が成立するには地球の公転の発想が必要だけど第一批判の当該箇所には公転についての記述がなく、自転についてしか触れてない
そうかなるほど
地球の自転を人間の能動的な認識に例えているわけか
「コペルニクス的転回」とは大げさな名前を付けたもんだな。
残っていたはずだから、そういう考え方から脱しただけでも画期的だったのだと思うよ。
みんなありがとう!
カントの判断力批判的に考えると、
アニメの制作は各部門が有機的に連関して合目的的であるからして、
意義ある崇高なものであるが故に、単なるお子様のお遊戯とは程遠いなんつって。

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