北アメリカってイギリスが植民地にするまでは歴史の教科書に全然出てこないんやけど、なんでなん???
南アメリカとかの方が話題に出るくらいや
しかもちょびっと
物好きな教師はインディアン動物園の話とかするやろけど
割とマジでどんな歴史していたんやろう
東浜インド会社様々やろ
先輩の話。
アメリカへ出張に行っていた時のことだ。
向こうの山に登って、親しくなった現地のガイドに聞いたのだという。
一人の時に山小屋を見つけたら、入る前に注意することだ。
普通の山小屋なら何も問題は無い、ゆっくりと休むがいい。
だが、もし、小屋の扉がひとりでに開いたら―
もし、踏みしめた床が柔らかく弾力に富んだピンク色だったら―
もし、酸っぱい臭いのする液体が滴っていたら―
もし、床の上に骸骨が散乱していたら―
それは山小屋ではなく、グーディナルなのだから。
ガイドによるとその地方に伝わる民間伝承の怪物で、短編小説にもなったそうだ。
その土地には食虫植物が多く見られるのだが、ひょっとしたらその化け物かもな。
そう言って、ガイドは酒を注いでくれたという。
先輩の話。
アメリカに留学した時に、クラスメイトから聞いた話。
インディアンの伝説で、サンダーバードという怪鳥の話が伝わっているという。
色々とタイプがあるらしいが、級友の地元ではかなり気持ちの悪い姿だったらしい。
馬をさらえるほど大きく、羽毛の間から鱗が見えたのだそうだ。
切り立った高い岸壁の中腹に、その怪鳥は巣穴を作っていたという。
ある時、大学のロッククライミング部が、この穴を調べに登ったそうだ。
穴に達して中を覗いた学生は言葉を失った。
動物の骨がうず高く積み重なっていたのだ。
どうやら伝説は本当だったらしい。
遺骨はよく知られた動物のものばかりであった。
その中には、人間のものもあったのだという。
しかし、巣穴の主の骨は見当たらなかった。
もしかすると、今でもこの国の空を飛んでいたりするかもな。
そう言って、友人は話を締めくくったそうだ。
北米先住民による一般的な描写は、雷鳴、稲妻、大雨を起こす鷲に似た巨鳥。
ナヴァホ族の伝説には、雛鳥の餌にするために人間を攫った”絶壁の怪鳥”の言い伝え。
同じ様な話しで、ミシシッピー上流域のイリニ族には大人の雄鹿をも鉤爪で易々と運び
去れる程の巨大な”人食い鳥ピアソー”の伝説がある。
ピアソーは村人を次々と攫っては断崖の洞窟に運んで貪り食った。
何百人もの戦士が何十年にも渡り入れ替わり立ち替わり退治しようとしたが失敗。
しかし、イリニの大酋長ワートゴ達の毒やによりついに退治された。
彼等はこの恐ろしい事件を現場の絶壁に書き残す事にした。
岩絵は垂直の断崖の途中、25m前後の辺りに存在。 赤緑黒の3色で彫り込まれ、どれも
長さ9m、高さ3m以上ある。
1839年には先史文化研究家ジョン・ラッセル教授が2羽の絵を確認。 上記ピアソーの
伝説を報告した人物でもある。
同教授は先住民2人と、ピアソーが人間を運んだとされる断崖中の洞窟に潜入した。
川面から20m近い高さにあり、形は不規則ながらも高さと幅は約6m、奥行きは約9m。
床面は白い人骨でぎっしりと埋め尽くされ、1m程ほっても地面には届かなかった。
その後、この付近の岸壁は採石場になるなどして、岩絵も1846~47には完全に消滅。
現在は戦いの現場付近の岸壁に、岩絵を復元した看板が吊り下げられている。
アメリカで山岳ガイドに聞いた話。
あるインディアンの居留地になっている山の頂に、聖なる湖があるという。
その水は澄み切っているが、底が見えるほど浅くはない。
かつては年に一度、インディアンはこの湖で祭りを催していた。
祭りの夜になると湖の底から光が射してきて、水が宝石のように輝いたそうだ。
輝く水面に娘たちが船を漕ぎ出し、贈り物を収めた籠を水の中に静かに下ろしていく。
籠が水底につくと、やがて結ばれた紐が引っ張られる合図がある。
引き上げられた籠の中には、この土地では取れない品々が換わりに入っていたそうだ。
その後、湖に向かい感謝の意を込めて、夜を徹しての宴が開かれていたと伝わる。
もうこの祭りは行われておらず、何を交換していたのかも定かではない。
湖の底から光が射すこともなくなったと言われている。
一体、彼らは何者相手に物々交換をしていたのだろうか。
なぜや?
単にローマ以前の青銅器文明軍事技術インカと鉄砲持ったコンキスタドール戦って負けたのがインカがヨーロッパ中世ぐらいまで軍事技術発達してたらコンキスタドール撃退できたんじゃないかって話や
インディアンはどうやってもイギリスの波に飲まれたいしまうんやなあ
時代に流された女マリンチェ、シャア張りに逆襲を図った王子クアウテウモク、聖人ラスカサス辺りがおもろいんや
おまけでこいつがいなかったら抵抗すらできんかったであろう前時代覇王パチャクテク
パチャクテクってどんだけすごいんや?
中米でまわりを次々に征服して中央集権国家を始めて作り上げた覇王や
雰囲気や時代は違えど始皇帝やカエサルみたいなことしたんや
こいつがいなかったらなんとか族がヨーロッパ人にバラバラに対抗するだけになった可能性高くて最低限国と国の戦いにすらならなかったかもしれんのや
はえすごい人もいたもんやなあ
インディアンが今でもいるのはその人のおかげか
いや、南米の先住民が大量にタヒんだのは天然痘持ち込まれたからでどちらにせよ終わってる
北米のインディアンのが南米に比べて少ないのは単純に迫害されまくったからであってあんま関係ない
北のほうがヨーロッパ史に組み込まれるのはこの頃
北米はインディアンの小部族がまばらにいただけ
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