なぜ蜀の政権は劉邦を除いていつも滅ぼされるのか
結局蜀から北伐を成功させて関中を征服して
天下制覇を成し遂げたのは劉邦のみ
三国時代も五胡十六国時代も五代十国時代も
隋末唐初でも明末でも蜀にできた政権はみんな天下をとれずに終わった
よくみたら南北朝時代でも北周にあっさりと蜀が征服されてるし
2: 2020/03/08(日) 06:03:10.39 0
天下をとれぬなら
蜀は天然の要害で肥沃であるというなら
守りを固めて独立国家のままでいることを目指せばいいのに
それすらもできずに終わった
なぜ蜀にできた政権はいつも滅びるのか
守りやすいが攻めにくい
北伐が難しいのはそのため
だから蜀漢は荊州両面から攻め込もうとした
関羽が荊州を取られて劉備も大敗したため
それがおじゃんになったが
諸葛亮は無理に北伐せず漢の命脈を保とうとするべきだった
蜀が征服されるのはいつも内部の堕落が原因で
外敵の侵攻は滅亡原因の2番目だから
劉邦が北伐できたのは蜀の蓋役をしていたのは三秦という小さな勢力であり
各個撃破できたのと項羽の直轄地は実はそれほど大きくないのと三秦が人心をつかめなかったと言う幸運が重なった結果。それがなかったら韓信であろうと難しかったろう
天然の要害よりも
人と団結が大事だと
蜀はいつも人がだらけて滅亡してしまう
だから台湾における初期の国民党政権もあくまで大陸反攻を叫んだ
東方への復帰意欲があった
まあ兵士の脱走者も結構いたそうだが
そして攻める際は長江よりも攻めにくい
中規模程度の勢力しか作れんから
「呉は征服できたけど蜀は征服できなかった」
蜀道の険も
晋以降は交通が整理されて
移動が容易になってるじゃないかと思う
独立勢力でなく他勢力の一部であった場合でも
蜀はとったりとられたりの場所になっている
たとえば
東晋と前秦
こいつらは何度も蜀を征服し合っている
秦に領有されて以降
「蜀は中華の一部」と多くの人が認識してる
これ結構大きいよ
だから各王朝も「所詮外地だからほっとこう、もしくは朝貢させておこう」とはならない
空にしても安全というわけでもない
(広東のほうも漢民族化した南方民族多かったりして)
引用元: ・なぜ蜀の政権はいつも滅ぼされるのか
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