【範馬勇次郎禁止】歴史上に実際した史上最強の戦士って一体誰???
でも具体的実績知らないしね。
てなると、500人を狙撃射○したって公式記録残ってるシモンヘイヘかな?
できれば実績込みで最強を教えて。
ヘイへさんはサブマシンガンでも200人位倒してたはず。
>>1
宮本武蔵だろ
ヘイヘやハルトマンも凄いが
ルーデルはちょっと違う
君は分かってる
もも太郎
世界史偉人68人偏差値ランキング 2014/1/1
70.0 リンカーン
67.5 リシュリュー、ビスマルク
65.0 ジャック・ドロール、ルイ9世
62.5 康熙帝、ナポレオン、唐の太宗
60.0 アショカ、コジモ・ディ・メディチ、レオ13世
57.5 サラディン、宋の太祖、明治天皇、ムハンマド、ワシントン
55.0 シャルルマーニュ、エンリケ航海王子、池田勇人、ネルー、鄧小平
52.5 ハンムラビ王、ピョートル大帝、ベリクレス、アクバル、始皇帝、カエサル
50.0 アレクサンドロス、ルイ14世、ダレイオス1世、ジャンヌ・ダルク、ユスティニアヌス1世、シモン・ボリバル、スレイマン1世
47.5 ウィレム1世、ナセル、クロムウェル、クロービス、エリザベス1世、ウィリアム1世、F・ルーズベルト
45.0 ウォルボール、リチャード1世、レーニン、漢の高祖、コンスタンティヌス1世、フリードリヒ大王
42.5 ハドリアヌス、エンリコ・ダンドロ、ラムセス2世、メッテルニヒ、ウルバヌス2世
40.0 エルナン・コルテス、イザベル女王、アッティラ、サッチャー、メフメト2世
37.5 永楽帝、フェリペ2世、オットー1世
35.0 ジョン・F・ケネディ、チンギス・ハン、ビクトリア女王
32.5 ティムール、ルイ16世
30.0 ブレジネフ、ウィルヘルム2世
27.5 ヒトラー
http://blog.livedoor.jp/utsunomiya_marchen/
舩坂弘 ググってみな、超人だよホント
化け物じみた個人武勇の持ち主
戦国時代だと毛利勝永と本多忠勝
毛利勝永の徳川15万突破はまじですごい
真田幸村が目立ち過ぎているが、実は影の力持ちは勝永
武蔵坊 弁慶を挙げたい処だが、実在したかどうか怪しい人物だしなぁ。
日本各地に残る弁慶に因んだ名所も、弁慶を好き過ぎる人達が後世に造り上げた創作物(※エピソードも創作が多い)が多いみたいだし。
人々に愛されて、後世にエピソードが創られて遺されるなんてよっぽど人々に愛されてたんだな。
(※日本では弁慶の他に、前田慶次もこんな感じで人々にエピソードが創られて遺されてます。コレ豆な)
今の世界構造を考えるとキリスト教が大きく影響を与えてるし
ローマ帝国の基盤を作った軍人という部分で
様々な競技会でテオゲネスはボクシングやパンクラチオンによる試合を
し続けてきたが、連戦連勝で決して敗北することがなく、22年間も無敗であった。
ネメア大祭とイストミア大祭では9回、ピュティア大祭では3回、オリンピア大祭では前480年にボクシングで、
前476年にはパンクラチオンでそれぞれ優勝した。その内、
ピュティア大祭における3回目の優勝では、テオゲネスがあまりに強すぎて挑戦者が現れず、戦うことなく優勝を飾った。
四大祭全てにおいて優勝した者はペリオドニコス(周期の勝者)と呼ばれ、神々に近い存在とされて並外れた栄誉を授けられたが、
テオゲネスは最強のペリオドニコスであった。
その並外れた偉業を讃え、オリンピアやデルフィ、故郷のタソス島に彼の彫刻が立てられ、その台座にはテオゲネスが戦った
1300回の試合の詳細(無論、全てにおいて勝利を収めている)と、12行にも渡る彼を讃える賛歌が彫られており、今でもそれは現存している。
戦士じゃないよな
生命力だったら舩坂弘
・「不タヒ身の分隊長」と呼ばれる
・米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う。
・軍医が助からないと判断して自決用の手榴弾を手渡される程の瀕タヒの重傷。
・ちなみに軍医が来るまでの間、米軍の銃火の中に数時間放置される。
・しかし、日章旗で縛ることで止血し「夜通し這う」ことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には歩けるまでに回復。
・その後も瀕タヒクラスの傷を何度も負うも、不思議と翌日には回復している。
・「生まれつき傷が治りやすい体質」と、本人談。
・鬼神の如き奮戦の記録。
・アンガウルの戦いにて擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上○傷。
・絶望的な戦況でも、拳銃の3連射で3人の米兵を倒す。
・米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に倒す。
・左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺○。
・その銃剣を「短機関銃」を手にしていた敵兵に投げ、顎部に突き刺して○す。
・腹部に重傷を負ってついに「這うこと」しか出来なくなり、「もはやこれまで」と自決用手榴弾の信管を抜くも不発。
・戦友も次々と倒れ部隊壊滅するが、タヒぬ前にせめて敵将に一矢報いんと
重傷なのに米軍司令部への単身斬り込み(10000人vs1人)、肉弾自爆を決意する。
・その前に自分の傷口に群がる蛆虫を拳銃の火薬で○すが、あまりの激痛に失神。半日間タヒ線を彷徨うが後に復活。
・手榴弾6発を身体にくくりつけ、拳銃1丁を持って重傷なのに数夜這い続ける
・重傷なのに前哨陣地を突破。4日目には米軍指揮所テント群に20メートルの地点にまで潜入していた。
・ちなみにこの時までの負傷は大小24箇所。
・左大腿部裂傷・左上膊部貫通銃創2箇所
・頭部打撲傷・左腹部盲貫銃創
さらに
・右肩捻挫・右足首脱臼・火傷
・全身20箇所に食い込んだ砲弾の破片
・でも敵を目の前にして「立ち上がり」、発見した米軍は激しく動揺。
・手榴弾片手に米軍に向かって全力疾走。
・残念ながら首を銃撃されて昏倒する。もちろん米軍は戦タヒと判断。
・一応は野戦病院に担ぎ込まれ、「これが日本のサムライだけが出来る勇敢なタヒに様」と評価される。
・そんな船坂は3日後に米軍の野戦病院で生き返る。
・素早く周囲の医療器具を叩き壊し、駆けつけた鬼より怖いMPに「俺を早く撃ち○せ!」と無理を言う。
・その後も顔面蒼白の米兵を尻目に暴れまわる。
・戦地アウンガルにいる米兵の間で「伝説」と化した。
・敵ながら勇気を称えられ「勇敢なる兵士」の名を贈られる。
・数日後、ペリリュー島の捕虜収容所に身柄を移される。
・船坂の最強伝説はペリリュー島まで伝わっており、要注意人物の筆頭に挙げられる。
・瀕タヒの重傷なのに収容所から抜け出すことに成功。
・この時、極度の栄養失調に加え出血多量により、両目はほとんど見えていない。
・なのに1000メートルも潜んで行って日本兵の遺体から抜き取った火薬によって、米軍弾薬庫を爆破。
・爆破後に収容所に戻り、何食わぬ顔で翌朝の点呼に参加。
・もちろん米軍は徹底的な捜査をしたが、弾薬庫が吹き飛んだ原因は判明しなかった。
・仕方がないので米軍の公式記録には「原因不明の爆発」と記される。
・耐えかねた米側に捕虜収容所を追い出され、各地の捕虜収容所を転々として1946年に無事帰国。
・実家に帰ってきたが、すでにタヒ亡したとされ位牌まであった。
・村の人々は幽霊ではないかと噂し、しばらくの間疑いの目で見られる。
・個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられている。
・2006年2月11日にタヒ没
因みに舩坂弘ね
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1321085541/
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