信長に翻弄されるも、最後まで将軍を貫いた足利義昭を再評価しよう

広告

1: 2020/07/02(木) 22:19:22.99
信長に翻弄されながら最後まで将軍であり続けた
再評価を

2: 2020/07/02(木) 22:26:20.14
実際京都を追放されても将軍だったから
足利幕府は滅亡していないと解釈できる

 

3: 2020/07/03(金) 13:32:19.55
義昭は無能の将軍って評価が固定してるけど
足利義昭って本読んでなかなかやるなと思った

 

4: 2020/07/04(土) 10:47:34.10
永禄11年(1568年)10月18日、征夷大将軍宣下。
元亀4年(1573年)、京都より追放される。
天正4年(1576年)、備後国鞆要害に亡命政府(鞆幕府)樹立。
天正16年(1588年)1月13日、山城国(京都)に帰還。征夷大将軍を辞して出家。
慶長2年(1597年)8月28日、薨去。法号は霊陽院昌山道休

 

5: 2020/07/05(日) 10:38:00.48
鞆幕府以前も各地に書簡送って信長包囲網を形成してる

 

6: 2020/07/05(日) 12:10:43.20
鞆幕府を維持して征夷大将軍の地位のまま、織豊政権、江戸幕府まで続いていたらどうなっていただろうか?
義政の系統は、喜連川御所(鎌倉公方家)と同様、徳川家の客将のような立場になれたのでは?
将軍家なので、喜連川御所より家格は上になっただろう

 

7: 2020/07/05(日) 15:05:02.15
>>6
帰京した時、秀吉とどんな条件があったのかな
征夷大将軍を辞することが条件だった可能性もあるかも

 

8: 2020/07/05(日) 17:31:49.44
秀吉を猶子として受け入れたらどうなっていただろうか?

 

9: 2020/07/05(日) 17:52:15.25

将軍の中の将軍やからな(°▽°)

いいとこ摂津源氏の流れを引く徳川氏は将軍には本来なれないだ

 

10: 2020/07/05(日) 19:55:28.69
足利秀吉が征夷大将軍になったか?

 

11: 2020/07/05(日) 22:50:42.37
信長が右近衛大将、内大臣、右大臣、正二位となって、足利将軍家よりも官位で上回って、武家の棟梁が交代したから、(実態というのみならず)信長の天下だと名実ともに思われたのかなとも、思っていたけれど、よく考えたら、大内義隆も従二位兵部卿まではなっていて、足利将軍家と並び立つぐらいの権威は持っていたわけだな。

 

12: 2020/07/06(月) 04:32:33.32
秀吉が16代将軍になったら幕府はいつまで続いていただろうか?

 

13: 2020/07/06(月) 05:43:15.21

将軍の子孫いるのに将軍なるわけないじゃん

てより足利将軍が京都にいたのは反乱が起こるからじゃん

尊氏も最初は鎌倉に拠点構えて幕府作るつもりだったらしいでよ

そんために鎌倉に自分の子らを残した

これが鎌倉公方の始まり

 

15: 2020/07/06(月) 06:37:41.03
>>13 >>14
義昭が秀吉を猶子にした場合だよ。

 

14: 2020/07/06(月) 05:45:20.99

京都の将軍家が絶えたら鎌倉から新たに尊氏の子らがやってきて新たに将軍となった

京都で将軍家が継がれるよ~になったからやがて互いに対立するよ~になった

これが関東と京都の争い

 

16: 2020/07/06(月) 20:07:17.23
義昭は征夷大将軍位を誰かに渡せなかったのかな
自分の子供もいたわけだし

 

17: 2020/07/07(火) 07:09:23.96
義昭の近親に適当な姫はおらんかっのかな?
秀吉を猶子にしてもその姫に秀吉との間に男子が生まれたら血脈は続くことになる。
別に淀を妾にする必要なかったしな。

 

18: 2020/07/07(火) 07:53:00.69
足利尊氏も最初は「鎌倉殿」と呼ばれていたし、鎌倉幕府の実務官僚(長井、二階堂、摂津など)を
再雇用して行政機構を作ったから、鎌倉幕府第10代将軍とも言える。
だから、豊臣秀吉が「室町殿」になって、室町幕府第16代将軍になるというのはあり得た。
義昭でなくても、誰か足利氏一門の猶子になって、源(足利)秀吉になり、奉行衆や奉公衆などの
室町幕府の機構を接収すればよかった。

 

 

引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1593695962/

広告