終戦前日の海戦で艦撃沈、現れた兵庫・香美町の年配の漁師たち、355人の乗船員の命を救う
終戦前日の海戦で艦撃沈 現れた年配の漁師たち、355人の命救う
7/31(金) 12:44
配信 神戸新聞NEXT
太平洋戦争の終戦前日に兵庫県香美町沖で日本海軍の海防艦2隻が米国の潜水艦に撃沈された香住沖海戦で、最後の生存者とみられる菅野(すげの)昭さん(東京都)が今年3月、89歳で亡くなった。地元の漁師に救われた経験から、住民への感謝を忘れなかった。「日本最後の海戦」の記憶を、香住青年会議所(香住JC)のメンバーらが語り継いでいる。(金海隆至)
https://news.yahoo.co.jp/articles/34502c671a976b4bc62b673f577334bb725092c2
香住沖海戦か、、
知らなかった
もっと勉強せんとあかんなあ
しかし潜水艦に負ける海防艦というのもスゴいわな
GAM「太平洋の嵐」必勝法は海防艦の大量生産ではなかったか
これ、青年会議所って右翼団体だろ。
新聞がこんな催し広報していいのか?
平家蟹かよ
悲しいなあ
連合国が終戦してくれたのは9月2日。
>>8
15日の一週間くらい前から武装解除しているはず
そこを強引に突っ込ませたあのバ○神風上司は未だに許せないな
もっとも対ソ連戦は15日過ぎても引きずったけどな・・・
>>9
軍令部が戦闘停止を命令したのは8月18日
軍令部総長の豊田副武大将は優柔不断な所があって15日に出したのは連合国への侵攻攻撃の禁止
そんなもんとっくの昔に不可能やんけ、と誰もが思う命令
現場も玉音放送と矛盾するこの命令には少なからず混乱してる
即時停戦が徹底されてた陸軍を後目に第203海軍航空隊などは通常通り哨戒と迎撃を続けてる
したがって、宇垣中将が第701海軍航空隊攻撃第105飛行隊を率いて出撃すること自体は何ら命令違反ではない
侵攻攻撃が禁止されたのにどうして宇垣特攻が命令違反ではないの?
17日の相模湾上空でのB-32迎撃戦で米軍はタヒ傷者を出したけど問題にしなかった
のは当然だし。
侵攻と防衛は違うという理屈
8月15日は停戦協定発効の日。
本土空襲のために出撃したTF38の攻撃隊は停戦協定発効の符牒「クリストファー」
を受信し引き返している。
日米最後の戦闘は17日に相模湾に飛来したB-32と迎撃した横空の零戦隊で行われた。
日本側の損害はなかったがB-32はエンジン一基が故障し戦タヒ1、負傷2を出した。
ただの自虐ウジウジには何のプラスの意味もない 新聞の後ろに控えてる北朝鮮には都合いいんだろうけど
国連に出席した一人のバ○のせいで開戦になっちまったんだよな・・・
なんでそいつひとりに責任おしつけなかったのかなぁ・・・
日本はそういうの昔から得意なのに・・・
どういう事?
松岡洋右だよ
病タヒした外交官で靖国に祀られてる
昭和天皇が白鳥や松岡もかと
おっしゃった松岡
国連脱退、日独伊三国同盟の松岡
国際連盟脱退は別に松岡個人の意思じゃないよ
>>13
戦禍の記録は必要だろう。
国内外を問わず、鬼畜共が我が国を食い物にしたことの検証が必要というのは同意。
>>26
香住沖より遥かに喉元近い明石海峡までに潜入されていたということでは。
チェスター・ニミッツ海軍元帥
日本政府が敗北同然の現実を直視しない事や、ソ連政府を通じて連合国から
無条件降伏の条件の緩和やソ連参戦阻止の虫のよすぎる和平を模索している事
に苛立ちも覚えていた。
原爆投下について正道から外れており使用しないですむ事を願っていた。
情報主任参謀から「現状では天皇さえ日本陸軍に降伏を命令できない以上、日本が完全に破壊
されることの証明として原爆投下が絶対的に必要である」の回答を得、原爆投下の必要性を納得した。
んだ鮫と米潜水艦(・ω・`)
香美町の場所調べてこいよ
なるほど、鳥取と舞鶴の間か
お笑い海防艦
戦争末期に粗製乱造されたガラクタ海防艦は護衛対象の輸送船より遅いときがあった。
それどころか、なんと敵潜水艦より遅かった。
潜水艦を駆逐するどころか、潜水艦のいいカモ。
海防艦を沈めるために魚雷を使うのはもったいないとばかり、目の前で浮上し、砲撃されることもあったという。
こんな玩具みたいなガラクタに乗せられてタヒんでいった兵たちは本当に哀れだよ。
そうなんや。
そら浮かばれんな。
上が馬○ではどないもならんな。
>>35
兵器はまだまし。海防艦ならそこまで酷くはない。
新型駆潜艇が酷く、音波探知機をつりさげる知恵が無く、喫水を深くするためタヒ重を詰んだので
遅い船がさらに遅くなって、こいつを船団に組み入れたらかえって被害が大きくなった。
それでも、作戦指導がムチャクチャだったのよりはかなりマシなのだ。
味方の潜水艦には→反撃スンナ、正午の位置を知らせ、輸送作戦だ、航空偵察だ、
散会線を移動するので昼夜ついで浮上走行せよ、多数の潜水艦は一本の直戦場で停まっておけ
潜っている潜水艦に対しての無線技術は世界一で10m潜っていても上の命令を聞いてしまう性能だけあった。
敵潜水艦攻撃には→制圧に成功しても輸送援護を優先、とどめを刺すことがまれ。
欧米の船団が横並び(例30×2)となるのに対して指導の楽な縦長護送艦隊(例2×4)、潜水艦からは照準付けやすい。
静謐と灯火管制が主で、探照灯などで浮上潜水艦を制圧する発想は無かった。
台湾海峡の航空哨戒なぞは簡単にできるのに最後まで行わず。
航空磁探は良いモノを持っていたが、少なすぎ遅すぎた。
個人研究としては海軍としては最初から負ける作戦であったようである。
調子こきすぎて恨み買ったからさ
開戦劈頭沈没した駆逐艦如月の沈没理由が爆雷とされその後改良されたため、当時の海防艦の爆雷は安全になっていた。
知人の乗っていた特設海防艦は爆雷に機銃掃射を受け破裂炎上した。そのときちょうど爆雷の上に腰を掛けて休んでいた知人は
跳ね飛ばされたが命を失う事も無く、片足に後遺症が残っただけで助かった。
三式爆雷は水中でないと強力に爆発しない性能だったのだ。
魚雷もこういう風に出来なかった物なのかねえ?サマール島沖で重巡2杯くらい助かってないか?
14才で海防艦に乗船していたのか?
出来らぁ!!
海軍特別年少兵って制度があって
それで入隊すれば13~14歳から海軍将兵になれる
イギリスやアメリカは第一次世界大戦でドイツ潜水艦に敗戦一歩まで追い詰められたから潜水艦対策の難しさや潜水艦を通商破壊に使う有用性をよく理解してた
日本は第一次世界大戦に本格的に参加しなかったから潜水艦対策や潜水艦の使い方の進歩に遅れを取ってしまった
戦後わかったことだがアメリカはアメリカとオーストラリア間の通商破壊されることを一番嫌がってた
この海域に日本が通商破壊用の潜水艦を配置すればアメリカ軍の戦力をかなり割けて戦いが有利になったと思うけど全くやらなかった
生き延びたのに
最後は解体されちゃったな
日本海側の制海権もなかったのか
当時まともな軍艦はとっくに淘汰されてた
しかし昨年89才でタヒ亡って、終戦時まだ14~15才だが?
特設とかじゃなければきちんとした船
特設は漁船など
戦前といっても1940年とかだけど
実質は3等駆逐艦程度だけど、入れるカテゴリがなくて雑種の海防艦に混ぜたら帝国海軍の分類上「軍艦」になっちゃって不都合があるってんで、
海防艦の分類を整理したんだよな
何艘で救助したのか知らんけど、当時の田舎の漁師舟なんかほとんど櫓を漕ぐ小型舟だったろうに
355人も救助するなんて大したもんだわ
それに比べてお前らは結婚も恋愛もせず、かと言って特に抜きん出た額の納税もせず、そしてろくな社会経験も積まず愛国保守を自称して、ネットでかじりかけの知識で御高説垂れるって恥ずかしくないの?
亡国の原因は政治家ではなくお前らだぜ。
浮上した潜水艦にも負けるほどの存在
海防艦だから駆逐艦より貧弱なのは当然じゃあるまいか。
アメリカ軍でも中国軍でもなく
日本軍
それ、これの出来の悪い改変だね
「ソ連人を一番○したのはスターリン」
「中国人を一番○したのは毛沢東」
だったらあれに好き放題やらせた近衛に押し付けた方がまだ筋が通る
そもそも昭和天皇の個人的な評価と人物としての客観的な評価は必ずしも一致しないだろうに
米側が途中で戦術変えて護衛艦を優先目標にした結果
清々しいほどにやられまくったのは知られてないのか?
アメリカが興味持って調べたと言えば、日本だと現在では愚の骨頂とバ○にされまくってる風船爆弾
実はアメちゃん結構ビビって効いてる効いてるってな状態で、
戦後これを参考に気球爆弾をひっそり試作開発して実戦配備してたりするw
世論が強いお国柄だから、本土を直接攻撃できる戦略兵器には敏感
なお米本土を空襲したのは後にも先にも日本の潜水艦の艦載機(零式小型水偵)だけ
アメリカが気球爆弾に怯えたのは、この気球に
致タヒ性細菌が搭載され、アメリカ中にパンデミックが発生する
可能性を想定したから。
現在、アメリカにコロナが蔓延していて国内が混乱して
いる状況を見ればあながち細菌搭載作戦も非現実的ではなかったと思う。
唯、昭和天皇や軍部も細菌戦には否定的だった。
>>156
確か海軍は「細菌兵器載せようぜ!」と言ってたが
陸軍は「もし細菌兵器を載せたら米軍も報復で細菌兵器を使う。そうなったらタヒぬ確率が高いのは俺ら陸戦主体の陸軍じゃないか!」と反対
昭和天皇も「流石にそれはダメだ」と言ったので細菌兵器搭載計画はなくなった
風船おじさんじゃねえぞ?
>>154
今でこそ再評価されつつあるけど、以前はバ○兵器無駄兵器扱いだったよ
直近だとこれとか?
繰り返される日本の失敗パターン
https://news.yahoo.co.jp/articles/de7cf5232d458d082f9c98e241890b634d1373b6?page=3
>>154
ふ号計画では気球にゴンドラをつけて人員を乗せアメリカ本土に斬り込むという構想が現場の下級士官にあったらしい
いかに人命軽視の日本陸軍でもなんぼなんでもそれはダメだろうということで却下されたがもし実施されていたら風船おじさんの二の舞?になっていただろう
よく言われる「特攻を考案した人物はのうのうと生き延びて天寿を全うした」は間違い
これ、きっちりとした書籍なんかにも書かれてることがある。何故か人名は無しで
特攻を考案したのは海軍侍従武官の城英一郎大佐
戦況が悪化してからではなく、戦前から主張してた筋金入りのヤベェヤツ
彼がどうなったかと言うと、空母「千代田」の艦長に就任して捷一号作戦に出撃
エンガノ岬沖海戦で大破漂流後、残敵掃討に来た第30.3任務群(ローレンス・T・デュボース少将/重巡2軽巡2駆逐12)と遭遇
降伏勧告を拒否して砲撃戦を挑み撃沈され戦タヒした
>>180
戦争末期には前線のパイロットは2ヶ月で大体、入れ替わっていたらしいね。
つまり、2か月以内でほぼ全員戦タヒした。
飛行機自体も時代遅れとなり、何より未熟練パイロットばかり。
台湾沖航空戦の大誤報やマリアナ沖海戦の「七面鳥狩り」とか、お粗末な戦いで
若いパイロットはただ、○されるためだけの存在だった。
反跳爆弾という新しい戦法も考案されたのだが、成功させるにはある程度以上の技量が必要なことと
爆弾投下後、撃墜される可能性が高いとかで却下されてしまった。
それでもなお未熟練パイロットと時代遅れの飛行機で戦い続けるというなら、確かに体当たり自爆攻撃しかなかったような気がする。
第二次大戦中は日本海は「ヒロヒトの池」と称されて、対馬海峡や津軽海峡には
日本の機雷が敷設されて、米軍の潜水艦は侵入できず。
1945年になって米潜水艦が日本海に侵入を試みて、1隻の犠牲で成功した。
津軽海峡でアルバコアとピッケレル、宗谷海峡でワフーが沈められている。
アルバコーアは三陸沖で、漁船改造型の哨戒艇のソナー
探知からの逃れようとして機雷原に迷い込んで
蝕雷して沈没した。
因みにアルバコーアを日本海軍の竣工3か月の大型最新鋭空母大鳳を
たった一発の魚雷で葬った。これは、大鳳乗員のダメージ
コントロールの不手際もあったが。
海防艦に対して、B25が船尾から低空で迫って機銃掃射の上に爆弾を命中させて
海防艦は轟沈という一連の写真がある。 撮影は同僚の米軍機だろう。
一応海防艦にも対空機銃は備わっている筈だが、いかに海軍の対空能力が低かったかが分かる。
戦艦大和の最後の出撃の際も、米軍機の「機銃掃射」を受けたという証言があるが
いかに舐められていたかが分かるエピソード。
>>195
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%E4%BD%8F%E6%B2%E6%B5%B7%E6%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%88%E3%BC%E3%B9%E3%AF_(%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%A6)
同時に2隻じゃなくて、まず貨物船を護衛していた海防艦47号が爆雷で攻撃中にMK28誘導魚雷で返り討ちにあい、47号と合流するために遅れてやってきた13号も魚雷2発までは躱したけど3発目が命中して沈没
貨物船守りながら爆雷落とすんじゃ十分な回避行動はとれないし、スクリュー音追いかけてくる誘導魚雷じゃ低速の海防艦は躱しきれない
この2隻を撃沈したUSSトースクはキューバ危機まで現役で現在はボルチモアの海軍博物館に保存されている
潜水艦を狩る立場の船が二隻も沈められるって
どんな条件だったら勝てるのかね
海防艦はオーバー切る。
実戦配備していた。
香住沖で、二隻の海防艦が一隻の潜水艦に短時間の内に
撃沈されたのはこれに起因するのかも知れない。
最初にやられた47号海防艦は大型のMK28誘導魚雷で、次にやられた13号は直径はほぼ同じだが全長と炸薬量はMK28より少ないMK27誘導魚雷を食らった
どうぞ安らかに。。。
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1596199223/
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