ロシア・ツァーリ国とロシア帝国との違い
民族の別なく有能な人間を取り立てることで発展したが、
旧ソ連にもそういうところがあるよな
グルジア人のスターリンやシェワルナゼが高い地位に就いたりとか
16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった
>16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった
そこから逃げ出した人達の集まりがコサックとなったんかね?
>中世ロシアの農民は、「移転の権利」を持つ自由な人々であったが、
>16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった
タタールのくびきの時代はむしろ幸福だったてことか
「そんな大それた称号を名乗ったら、西欧の列強が黙っていませんぞ」と、群臣はこぞって反対した
インペラートルを名乗ってしまうと、ローマ皇帝の位を簒奪することになるからね
すぐに承認しようとしなかった。
あのなかば野蛮な国が、という思いがあったから。
>>9
結局、西欧列強がロシアの君主を「皇帝」と正式に認めてくれたのは、
ナポレオンに破れたハプスブルク帝国の皇帝フランツが、「これからは神聖ローマ帝国の皇帝をやめて、オーストリア帝国の皇帝になります」
と宣言してからだった
それまで、神聖ローマ帝国の皇帝は「天下の皇帝」だったが、それがオーストリアという「1国の君主」に格下げされた形
>>36
エカチェリーナ2世の頃はインペラトール扱いしてくれなかったのか>列強衆
>>35
>これは名前
ロシアではバシレイオス派生の名前としてヴァシリーがあるけど君主の呼称
としてはバシレイオス派生の表現って使われてないのね
>>37
>エカチェリーナ2世の頃はインペラトール扱いしてくれなかったのか
ロシア帝国が名実ともに超大国らしくなるのはウィーン会議からだけど、君主号としての「インペラートル」は、もっと前に承認されてたみたい↓
・・・1721年10月22日 (11月2日)にピョートル1世はインペラートルの称号を採用し、プロイセン王国とネーデルラント共和国は即座に、
スウェーデンは1723年に、オスマン帝国は1739年に、グレートブリテン王国とオーストリアは1742年に、
フランス王国とスペインは1745年に、最後にポーランド・リトアニア共和国が1764年にロシアの新君主号を承認した。
ロシア・ツァーリ国という国名もインペラトルに合わせて新たにロシア帝国(Русской империей)と改称したのである。
それまで、欧州で「皇帝」といえば、ハプスブルク帝国に決まってた。
もはや神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国ですらなかったが、どういうわけか「皇帝」は健在だった。
神聖ローマ帝国の皇帝は、さかのぼれば962年に戴冠したオットー1世を初代とするが、さらにさかのぼれば、800年に戴冠したカロリング朝フランク王国のカール大帝に至る。
そのカールの戴冠は、欧州人にとっては「西ローマ帝国の再興」を意味した。
では、ロシア皇帝はどうなのかといえば、これは、「滅亡した東ローマ帝国を受け継ぐ者」ということになる。
東ローマ帝国が千年つづいて、オスマン帝国に滅ぼされた。
ギリシャ正教会の守護者たるローマ皇帝がいなくなった。
その跡を継ぐのは、ロシア帝国。
というわけで、再び、東と西の皇帝が並び立つことになった。
皇帝は、どこかの国の国王とはわけが違う。
フランス国王でさえ、最後まで1度も「皇帝」になれなかった。
「皇帝」はそれだけ特別だったのだ。
でもロシアはビザンツ帝国とは違って、古典古代の伝統がないよな
古典古代の文化はイタリアへ行ってしまった
ロシアに伝わったのはヘシカズム
ローマ帝国が北からの蛮族(ゲルマン人)に悩まされていたのに対し、
ロシアは南からの蛮族(クリミア・タタール人)に悩まされていた
そこで南部に要塞都市を築くとともに、都市間を土塁や逆茂木で
結ぶことで侵入を食い止めることが考えられた
いわば古代ローマの「リーメス・ゲルマニア」のロシア版である
東方のモンゴル系諸汗国の君主たちもみなツァーリだから、ツァーリの重みがインフレ気味で、もっと重々しい称号が欲しくなったのかね。
カイザーつながりだがドイツ帝国の皇帝がインペラトールではなく
カイザーを名乗ったのってどうしてだろ?
オーストリアの皇帝の呼称もカイザーなんであっちとは違うぞって
意味合いでインペラトールにしてもよさそうな気が・・・
Wikipediaの続き
国王は1部族や複数部族単位の支配者に留まるが、皇帝は世界全体を治める者と考えられていた。
世界全体ってのは日本語の通りじゃないからな
ギリシャ語でいえばオイクメニコス
ラテン語ではエクメニクス英語のエキュエニカルの意でローマ帝国時代ではほぼローマ帝国の範囲とかわらない
結局ローマ帝国を支配するのがインペラートルでそれ以外の領域を支配しているのが王レークスという意味でしかない
オクタヴィアヌス/アウグストゥスではなくその養父で礎を築いた
カエサルが皇帝の名称として使われるようになったのか。
(そのせいでカエサルが初代ローマ皇帝だと思ってますたorz)
魏からあとの皇帝が「曹操」と呼ばれるようなもんだな
晴れてローマ帝国の後継者となったという思いが強かったんかね?
神聖ローマ帝国では、ずっと使われてた
冠されてるが皇帝アウグストゥスとは無関係?
東と西に、それぞれ正帝と副帝がいた。
神聖ローマ帝国の皇帝をドイツ語でカイザーと呼ぶようになったのは
ローマ副帝の呼称にちなんで?はたまたオクタヴィアヌスの養父
ガイウス・ユリウス=カエサルの偉業にあやかった?
>>33
ローマ帝国では、「インペラトール、カエサル、アウグストゥス」が、皇帝の3大称号だった
このうち、なぜかドイツとロシアでは「カエサル」が定着したようで、ドイツ語では「カイザー」、ロシア語では「ツァーリ」が、「皇帝」を意味する普通名詞になった
英語では「エンペラー」、フランス語は「アンプルール」なのに、不思議といえば不思議
神聖ローマ皇帝の正式な称号も、ずっとそんな感じ
ピョートル大帝が自称した「インペラトール」は、神聖ローマ帝国に由来する、西欧的な皇帝の称号。
東ローマ帝国の伝統に従うなら、ここは「バシレイオス」と言うべきところだろう。
これを見ても、ピョートルの西欧志向が分かる
西暦千年くらいから西欧が東ローマをはじめとする東欧を凌駕しはじめたからね
>>30
イワン4世がツァーリではなくバシレイオス由来の呼称を名乗ってたら
皇帝と訳されその国家はロシア”帝”国と呼ばれてたんかな。
ピョートル1世からのインペラートルとの区別から皇帝とは訳されなかった
かもしれんけど
>>47
ツァーリがロシア語で、バシレウスがギリシャ語
・・・という程度の違いしかないものと思われ
神聖ローマ帝国でのアウグストゥスもドイツ語だとカエサル由来の
カイザーになるんだっけ。
廷臣連中は東の辺境の蛮族(?)が自分とこの君主と同じカエサルを
名乗ってる事が許せなかった?
ちなみに東ローマ帝国では、なぜか、ヘラクレイオス帝から、ギリシャ語で王を意味する「バシレウス」が皇帝の称号になった
「バシレイオス1世」、「バシレイオス2世」っていう名前の皇帝もいるけど、これは名前なので混同しないようにとのこと
それまでは「インペラトール、カエサル、アウグストゥス」だったのに、なぜなのかは不明で諸説あるらしい
日本で例えるなら、日本に亡命政権を築いた唐皇室が途中から「オオキミ」とか名乗り始めたようなもんか
>>38
「皇帝」は中国風だから、「オオキミ」にしようと?
東ローマ帝国の場合も、やっぱり、このころからギリシャ化したんでしょうな。
ギリシャ語で言わないと、人々に通じないっていう
滅亡するまではロシア=ツァーリ国という認識かね
(ナポレオンはずっとツァーリ国扱いしてたりして)
ウィーン会議でフィンランドとポーランドを獲得するまでは、西欧列強にとってロシアはしょせん、大国といっても遠い北のハテの国だった
>>44
現役のロシア皇帝がいきなり弟子入り志願してくるとは、オランダの船大工もさぞかしビックリしただろうな
それも、「一見、普通の人に見える」というのならともかく、抜群に頭が切れる、眼光鋭い身長2mの巨人
ピョートル大帝は、オランダの造船技術を導入してロシア海軍を建設
甚大な犠牲を払って、内陸のモスクワから、バルト海の港ペテルブルグに遷都した
帝政ロシアで活躍した軍人・文官・政治家にはバルトドイツ人だけでなく
ピョートル大帝治下のロシアに渡ったオランダ人技術者の子孫も少なからずいた?
海洋覇権は大げさな・・・
「海へのアクセスを確保した」くらいじゃろ、スウェーデンは海軍国としては三流だし
そういやイワン雷帝の頃にもドイツ人が仕えてたってトロワイヤの本に書いてた気がする。
最初は官吏でのちにオプリーチニクの隊員となったハインリヒ・フォン=シュターデンとか
イワン雷帝の主治医だったエリセーイ・ボメーリー(エリジウス・ボーメル)とか
こうして見ると民族主義ってやっぱりクソだなあ
民族に拘るからチョビ髭伍長閣下がバルト・ドイツ人の分布域を見て東方生存圏()なんて世迷い事抜かして逆にケーヒスベルク奪われる羽目になった
側近のローゼンベルクも第一次大戦やその後のロシア革命がなかったら
(バルト=ドイツ系の)ロシア人として生きてたんかな
帝政になるとウラルの西側だけの欧州気取り
https://i.imgur.com/DkoHVE3.jpg
西欧からは「東の野蛮な国」としか見てもらえなかったりして。
帝政時代のエリートはドイツ系も多かったけど
エルミタージュで博物館ひらいた頃のフランスは革命前夜かな
今でもロシア人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(俺らを一緒にすんな)
他の欧州人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(あいつらを一緒にすんな)
らしい
ユーラシア大陸というのは誰が名付けたか知らないが
ユーロ+ロシアならまさしく
>>68
>ロシア人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(俺らを一緒にすんな)
>他の欧州人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(あいつらを一緒にすんな)
イギリスと大陸欧州との関係も
イギリス「イギリスはヨーロッパじゃない、イギリスだ」(俺らを一緒にすんな)
大陸欧州「イギリスはヨーロッパじゃない、イギリスだ」(あいつらを一緒にすんな)
みたいな感じだったりすんのかね?
なんで西欧ラブに傾いたんだろう
雷帝はいい世継ぎを自ら潰して自爆したね
ニコライ2世もなんでわざわざ血友病家系の嫁を貰ったかね
カリオストロでルパンが化けた坊さん
祭り上げてたのよな
https://jp.rbth.com/travel/82597-purioratsuki-kyuden
(ピョートル大帝に代表される)インペラートルと見なしてるのか
>>87
モスクワ行きアエ○機内でツアーのおばちゃん達がエカテリーナ読んでた
自分はオルフェウスで学んだ
インペラートルは西欧化のち領土拡大した帝王様って感じ
あとの王様はツァーリかな
はずなのに19Cの国土統一期とか同世紀末のアドワの戦いとか20C前半と
いった近世には冷たい塩婆orz
皇帝は名乗れないという不文律は崩れ去ったとされている
一般大衆はともかく貴族なんかの上流階級は西欧化以前の生活様式を蔑んでたのかって事じゃね?
雷帝亡き後しばらくツァーリは忌職だったのか
彼は1473年にリヴォニア騎士団長をして、「ルーシの大公にしてツァーリ」
との和議に調印させているが、とくに80年代から、リューベック、ナルヴァ、
レヴァル、騎士団などとの外交文書においてこの称号を使用した
これは彼の内外政策における顕著な成功を背景にして、はじめてなしえたことであった
外国に対してはキングとかロワで紹介してた?はたまたエンペラーとかアンプルール?
インペラトルが皇帝
ロシア帝国になって将軍か
これはスウェーデンにとっては「バルト海帝国」の完全な崩壊を、
ロシアにとってはバルト海への出口の確保のみならずこの「北の地中海」
における支配的地位の獲得を意味した
そして元老院はピョートルに対して「インペラトル」「祖国の父」「大帝」
という称号を授与した
ヨーロッパの列強は、「インペラトル」という伝統ある称号の使用を
すぐには承認しなかった(イギリスとオーストリアは1742年、フランスは1744年)
この頃は欧米全体がヒゲモジャの時代だったけど,ロシアの場合は古き時代への
回帰という側面もあったりする?
ビザンツ皇帝の地位を継承したのはオスマン帝国のスルタンなのだから
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1583242806/
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